2012年4月19日木曜日

平成24年4月18日(水) くもり

家を出てしばらく歩いているとき曇り空の切れ間から筋状の光の帯が射していた。


英語ではAngel's ladder , Jacob's ladder など表現はいくつかある。日本語の一般的な表現は何というのだろうか。薄明光線というのは知っているがピタリとこない。

旧約聖書のヤコブの階段 Jacob's ladder(ジェイコブズ・ラダー)という映画を20年くらい前に観た。このタイトルは物語の本質と深く関わっているので内容は書けぬが忘れず憶えている。この雲の切れ間からの光を作家開高健はレンブラント光線と言っていた。画家レンブラントが好んで描いた事を指しているのかも知れぬが定かではない。開高健が亡くなってすでに20年以上経つ。その死の一年前に最後のカナダ釣行の様子をBSNHKで以前放送したのを録画してある。その中で自然と文明についての語り口が鋭い。

「私があっちゃこちゃ渡り歩いて魚釣りをした経験でいくと魚釣りというのはプリミティブの度合いを探求する一番いい方法のようなもんなんですがね。
あの~アマゾンとかああいうのは後退する一途で、アラスカとかこのカナダとか住民が発達していて民度が、魚を保護する、大事にする、自然を守る精神のある、自然の豊かな先進国ほどプリミティブな自然が残されている。それはプリミティブとは言えない、人間が採らないとか放してやるとか保護するとか孵化場設けるとか、いろいろ努力したあげく、それですから、いわゆる第一次プリミティブというよりは第二次プリミティブみたいなもんだけども、インドネシアとかタイランドとかアマゾン、これらの第一次プリミティブは滅びたらとたんにダメになってしまう。第二次植林してる間も無く、日光に灼けて樹がただれてしまう。
だからこの人が嘆くみたいにアマゾンはもうアカンという事になってくる。一種の倒錯現象ですね。文明国であるほど自然があるということは…」

開高健が亡くなった頃のことはよく覚えている。死の床で最後まで誰にも面会を許さなかったそうだ。病んだ姿を晒すことを嫌ったのであろうか。そうだとすれば人としての尊厳をもっとも大切にしていたのだろう。



武蔵境赤十字病院の裏通り、春を告げる山吹が咲いている。

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