2011年12月30日金曜日

平成23年12月29日(木) 晴れ

28日までの営業で今年も終わった。29日になり店の掃除をする。きのうは終わってから納会半分で飲み過ぎた。朝というか昼前に起きるとカミサンはすでに店に行っていない。午後から私も店に合流し表のガラス戸や床を掃除した。

店が三鷹駅に近いので行き交う人の様子がよく分かる。大きなキャリーや荷物を持った人が目立つ。それぞれの故郷や実家に帰省するのであろう。

私は東京生まれでも東京育ちでもないので生まれ故郷はあるが、両親はすでに亡く帰る家も無いので盆暮れの移動はない。前に書いたが故郷は香川県の高松だ。兄が定年後里帰りして住んでいるので二年に一度くらいご機嫌伺いに訪ねる。兄も酒が好きなのでいつも二人で飲みっぱなしで、まあ飲みに行くようなもので帰りはだいたい飲み疲れて健康には、はなはだよろしくない。

しかし、飲めるときに飲みたい人と飲めるだけ飲むのは大事なことだ。若者でもあろうとも絶対明日があるという保証はないのだから。ましてやもうこの歳になれば健康がいちばんなどという幻想に惑わされてはいけない。自分のしたいことを一番優先すべきだ。

健康のためにいろんな制限をして我慢をするのは本末転倒で、例えばそれで五年長く生きながらえても楽しかったと思えなければ虚しいだけだ。人はいずれ必ず死ぬ。生きている間に楽しもうと思う。


私が中学生の頃流れていたなつかしい歌で、唄っている北原謙二は2005年に他界している。彼の独特の鼻にかかった歌声はクセがあるので好き嫌いが分かれると思うが今でも強く印象に残っている好きな歌だ。今度カラオケに行ったら唄ってみよう。しかしそのカラオケ、ここ何年も行っていないような気がする。


2011年12月27日火曜日

平成23年12月26日(月) はれ

クリスマスが終わり暮れが押し詰まる前の一休み的な日常だ。きのうの夜、何とか仕上げた年賀状を今日投函した。私は年賀状はいくつかの種類を使い分けている。

まず夫婦共有の儀礼的付き合い用、夫婦共有の親密な付き合い用、私と妻のそれぞれ固有の友人への個人的な年賀状と四種類を使い分ける。すべてデザインが違う事はないが、今年は五種類ほど用意して実際に使ったのは三種類だ。

今年は、私の親類の訃報年賀欠礼の知らせが二件あった。妻個人の知り合いからもあったみたいで、そういう年齢に達したということだ。

「プリンセス・トヨトミ」をVODで観た。ツッコミどころ満載であるが、綾瀬はるか、お約束の天然演出に敬意を表して良しとしよう。でもこういう作品はスキだらけがゆえ、評価する側のツッコミをかわし易い構造に甘えている作品だと私は思う。今日も遅くなった今午前三時前この辺で寝ないと朝がきついので終了。

2011年12月25日日曜日

平成23年12月24日(土) はれ

クリスマスが特別な日であるのはキリスト教信者とその文化圏の人々だと思うのだが、日本では宗教的には何の関わりもない人々が本来立ち入れぬ聖なる儀式生誕祭を、いささかの恥じらいもなくイベントにして既に幾星霜、うっかりすると仏壇にクリスマスプレゼントが置かれたりする。

私はこの宗教的節操のなさは、非難することよりもむしろ日本人のしなやかな文化吸収力だと思う。
私を含めて多くの日本人は信心はあるが宗教はない。つまり(Believe)と(Religion)の違いだ。

困ったときの神頼みは当たり前、自分がこれと思えば便所の神様でも、鰯の頭でもありがたく思えるという柔軟な精神構造は多分苦境の時のしたたかなバネとなって古くから今の日本を形作ってきたものと思う。

クリスマスといえば以前仕事をしていた「ポワロー」というフレンチレストランのエピソードをひとつ。

その店は1985年から1995年くらいの間、表参道・青山界隈はもちろん同業者で知らぬ者はなし、かつひんぱんに雑誌に紹介され当時最も予約がとれない店のひとつだった。

毎年10月あたまでクリスマス前後の予約が昼夜とも2回転分満席になる。30席の小さな店なので満席になった時点からかかってくる予約の電話はすべて、おことわりすることになる。朝、店に出勤したときから一日中電話が鳴りっぱなしで仕事にならない、知り合いに電話番を頼んだほどだ。

単純計算すると10月10日から12月20日までのおよそ約70日、一日中本当に鳴りっぱなしの電話の件数を一時間当たり少なく見て30件として12時間では300件以上、これが70日、ということは21000件の予約があったということだ。

ほとんどお二人様予約なので四万人以上の予約を断ったことになる。もしこれをすべて受けていたら表参道駅から青山通りは大変なことになる数字だ。この他にも普通の予約電話は入りっぱなしだった。私はこの過去の繁盛店の自慢をしているのでない。

そのような予約状況にもかかわらず、当日連絡なしで来店していただけぬ場合がある。予約時間を30分以上過ぎて何の連絡もいただけない事がある。その時点で店側の判断としてその予約客はリストからはずす事になる。そこに、たまたまフリの二人連れの方が「二人なんだけど」とドアを開けて来たとき「いらっしゃいませ」と迎えるスタッフの複雑な気持ちをお解りいただけるだろうか。

その日まで断り続けた予約電話の数、キャンセル待ちで待機していただいた多くの方をおいて、そのお二人様は自分たちがいかにラッキーだったことを知らない。もちろん誰もそれをその方に言うことはない。

それもこれも含めて様々なことがおこり世の中は移ろうのだ。表に出てきている事はほんのわずか、多くは人の胸にしまわれている。



2011年12月23日金曜日

平成23年12月22日(木) 薄曇り

今日は冬至だ。一日の内、昼が最も短いというのが我々の一般的な理解であるが、夜明けの時間と日暮れの時間のどちらも一番ではないそうだ。つまり一日全体を比較して昼が最短ということで日の出と日没は別物であることを今日初めて知った。

ちなみに南半球では真夏なのでどういう扱いかというと天文学的には冬至に統一されているが、便宜的、習慣的には夏至の扱いのようだ。

今週は時間がなくて今日一日だけ歩きで店まで行った。今日は気温も上がらず5km約50分、歩きの最後まで手や耳が冷たかった。これからは末梢部の防寒対策が必要になってくると思い、100円ショップを覗くとあるではないかニット帽とフリース手袋、二点で〆て210円也。

犯罪者の遺留品ではない


価格破壊などどいう刺激的な言葉でもヤワに聞こえるほどの値段だ。それを買っておいて言うのもなんだが、世の中には適正価格というものがあると思う。

普段はシャワーしか使わぬが今日は冬至の柚子湯を張ってあるのでつかることにしよう。

冬至日暮れ前の三鷹駅南口付近



2011年12月22日木曜日

平成23年12月21日(水) はれ

「家政婦のミタ」の最終回を録画していたので帰宅後観た。スタート時二回ほど観ていまひとつだったので後は観ていなかったが、視聴率が30%云々というドラマなので改めて注目した。ダイジェスト版を観ていたので全体のあらすじや登場人物の立場は理解している。で、最終回の締めくくり方は、崩壊同然の家族が再生したものの、ミタさんとは共存しない形で終わる。
 
 私の推測だが多くの視聴者の希望はミタさんの今まで決して見せる事のなかった笑顔を見たいという思い(これは最後のほうでそこそこ達せられる)と願わくばミタさんと家族が結ばれる事を予感させての最終回を見たかったのではなかろうか。

 それを言い方は悪いが視聴者の期待を裏切るシナリオだった。物語の背景が痛ましいほど、見ている側、視聴者は結末にはカタルシス(浄化)を求める。最後は単純で良いのではないか、でないと救いのないミタさんが気にかかってしまう。

 以前、篠原涼子が演じた「ハケンの品格」の大前春子さんと印象が少しかぶるが、ミタさんの背景にある重さとは異質だ。キレイで笑顔の美しいお姉さんの代表であった松嶋菜々子がほとんどすっぴんの無表情ロボット状態という演技は、今までの彼女の印象を捨てるに相当の覚悟がいったであろう。
 不思議な物で個人的にはあまり好きではなかった松嶋菜々子という俳優は私の中で評価が一変した。
 まあそれは置いといて最終回は松島菜々子扮する「三田灯」にスタンディングオベーションを送る気持ちで見ていたので、良い一日となった。


2011年12月21日水曜日

平成23年12月20日(火) はれ

そろそろ年賀状を意識する。まだ何も考えていないが25日迄の投函は元日配達が約束されているらしい。年が明けてから心を新たにし賀状をしたためるのが本来の習わしであるのに元日に年賀状が届くシステムに乗っかり相変わらず年内に出す事にしている。

まあ虚礼に近い相手もいるが、一年一回だけの通信相手もある。それはわたしにとってささやかな楽しみで、たった一枚の葉書ではあるが相手の方の近況を知る大きな手がかりである。

私の寝室でくつろぐ
家には二匹の猫がいる。上の写真は若い方の一匹で人間でいえば、育ち盛りの悪ガキだ(コイツに罪はない)。

2011年12月19日月曜日

平成23年12月18日(日) はれ


おとといTSUTAYAで借りた「SUPER8」「パイレーツ・オブ・カリビアン命の泉」「トランスフォーマー・ダークサイドムーン」をまとめて観た。おきまりのハリウッド大作でどの作品もドタバタに終始する。年齢的に私の感受性が低下してきたのか、ハリウッドがダメになったのかは知らぬがどれも人に奨めるような出来ではなかった。だが「トランスフォーマー」シリーズの映像技術の高さは抜けている。

きのう購入した「下山の思想」五木寛之:著 幻冬舎新書

(32頁)いま、私たちは未曾有の大災害に見舞われ、呆然としてなすすべがない有様だ。福島原発が直面する現実は、数年で解決されるような問題ではない。
(中略)
どんなに深い絶望からも、人はたちあがらざるをえない。核に汚染された大地にも、雑草は生え、樹木は根づいてきた。
 しかし、と、そこで思う。私たちの再生の目標は、どこにあるのか。何をイメージして復興するのか。
 それは山頂ではない、という気がする。私たちはふたたび世界の経済大国という頂上をめざすのではなく、実り多い成熟した下山をこそ思い描くべきではないのか。
 戦後、私たちは敗戦の焼跡の中から、営々と頂上をめざして登り続けた。そして幸運の風にも恵まれ、見事に登頂をはたした。
 頂上をきわめたあとは、下山しなければならない。それが登山というものなのだ。


五木寛之氏の作品で思い出深いのは「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「内灘夫人」「デラシネの旗」「青年は荒野をめざす」など数多くあるが若い頃、五木ファンというのがミーハーな気がして素知らぬふりをしていた。

これは私の卑屈さのなせるわざで、人はなんだかんだと偉そうに言っても、どこかに自分だけが知っている卑しさや小狡さをもっている。それが人というものであるならば、人をなるたけ責めないように務めなければならぬと今更ながら思うのである。


2011年12月18日日曜日

平成23年12月17日(土) 晴れ

きのうの夕方から北風に変わり予報どおり朝はぐっと冷え込んだ。12月になり発売されたミシュランガイド関東版・関西版・東京フレンチ版の三冊と「小澤征爾さんと音楽について話をする」小澤征爾×村上春樹対談 「下山の思想」五木寛之:著 を購入する。


私が営む立ち飲み屋とは距離があるがミシュランガイドは長年フレンチの世界に身を置いていたので今でも興味深い。特に今年初めて発刊された単発ガイド東京フレンチは知り合いが幾人か掲載されていてわが事のように楽しい。

私は村上春樹の作品はあまり読んでいない。ただし食わず嫌いではない。購入して読んだ作品もそこそこある。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「羊をめぐる冒険」などであるがどれも読了せずに終わっている。彼の作品のテイスト、音楽を聴きながらパスタをつくる男がどうも肌に合わぬ点(こういう人間は私の周りにはいなかったので共感できん)、こちら側と向こう側のシームレスな繋がりの世界観などがもうひとつ入って行けぬ。

ただし「海辺のカフカ」は完読した。なぜかこの作品は一気に読めた。この作品はやはりこちら側と向こう側の世界を描いているのだが、不思議な手応えがあり白昼夢のように私を引き込んだ。

今日購入した「小澤征爾さんと音楽について話をする」は世界の小澤相手に色々聞き出す対話集でクラシックには縁遠い私にも面白く読めた。

2011年12月17日土曜日

平成23年12月16日(金) 晴れたり曇ったり

今日を含めて今週はよく歩いた。バイクに乗ったのは一日だけという健気さだ。今日は歩きの道順を変え天文台通りを武蔵境駅に向かう。途中TSUTAYAでまとめてDVDを借りる。

話題作だったが映画館までは足を運んでいない作品「SUPER8」「パイレーツ・オブ・カリビアン」の新作・「トランスフォーマー」の新作の三本。

そのまま北に歩き武蔵境駅方面に向かう。武蔵境駅の南側には一歩立ち入れば信じがたいほどの静謐な空間がある。ここは駅から歩いて二分圏内だ。






たまたま境内には誰ひとりとしていなかった。都内でも観光地になるような寺院以外は概ねこういった状態であろう。

2011年12月15日木曜日

平成23年12月14日(水) 晴れ

12月14日を特に意識することはないが、当日になり忠臣蔵関係のニュースで毎年賑わう。事件後
300年を経てもなお日本人が最も好きな物語のひとつと言ってもよいであろう。

忠臣蔵の話題を始めると四十七士の中でも挿話(エピソード)が多い人物がかなりいて、それを語り出すときりがないのでここでは触れぬが、まあ何度観ても誰が演じても飽きない物語だ。

ローカルな話題だが、JR武蔵境駅から南にのびる道で「かえで通り」がある。そのかえで通り、東野住宅交差点から300mほど南、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の向かいに、開店間近と思われる店を見つけた。


この外観からは何をコメントしてよいのか……開店が楽しみである。

2011年12月14日水曜日

平成23年12月13日(火) 晴れ

東京は晴れの日が続く。今日は風もなく空には雲一つ無い快晴だ。12月ということで季節への心構えは出来ているのでこのような穏やかな日があると心持ちが良い。

若い頃、短い期間だったが山手線の大崎に住んだことがある。東京に出てきて事情がよく判らぬ私を「ここは静かでいいですよ」と言った不動産仲介君に奨められて住んだ。不便そうだったが家賃が安いのが背中を押した。確かに土日は静かだった。

当時、普通の若者は平日は朝から仕事に出て暗くなり帰宅する。

あるとき、具合が悪くて欠勤したとき、窓から入ってくる異常な騒音に何事かと思い、住んでいた安アパートの管理人に問い合わせた所、裏は工場ですよ、と「何をいまさら」の応えで、東京という街は人を成長させてくれる。

大崎の近場で賑やかなのは五反田だった。東京全体でいえば当時も今も、華やかさや品位が少し欠ける部分がある街で、その場末感が好きな人は出身地や男女にかかわらず多いと思う。私も好きな街のひとつだ。

今はもちろん無い店で名前も忘れたが当時1972(昭和47年)頃、まだカラオケのはしり、某飲み屋で歳も近い綺麗なお姉さんが唄った「サーカスの唄」は印象に残った。

同じ世代でわれわれの知らぬ古い唄を朗々と唱いあげる様に圧倒された。それまで私はその歌を知らなかった。


YouTubeで拾った小林旭を貼らしていただくが当時聞いた彼女の歌声は私の「サーカスの唄」だ。



2011年12月13日火曜日

平成23年12月12日(月) はれ

前にも書いたが家ではケーブルTVを視聴していて地デジ以外にも多くのチャンネルを観ることが出来る。これはあくまでも、その気になれば観ることが可能というだけで仕事をしている人間には実際に観る時間が多くあるわけではない。

ただケーブルTVのサービスで便利なのはVODだ。これはビデオ・オン・デマンド(Video On Demand)と呼ばれるサービスで視聴者が観たい映像コンテンツ(番組)を好きなときに選んで観る事ができる。

映画DVDを出かけていってレンタルしてこなくとも、リモコンのボタンを操作するだけで居ながらにして
最新の映画作品を観られる。料金もTSUTAYAより新作で50円高いくらいだ。返却の手間などを考えると便利だと思う。

『プリンセス・トヨトミ』が面白いと、聞いたので今度観てみよう。本や映画の評価は自分で体験するまでは何とも言えない。世間や友人の評価とは意外と符合しない事もあるからだ。

街はすっかり初冬になった。

遊び主のいない夕方の公園
武蔵境東方面けやき並木


カメラを水平にしているつもりなのだが何故か右下がりに写る。カメラが悪いのか、私の三半規管がおかしいのか、色々考えたたがひょっとしてコンパクトカメラは軽いので右指でシャッターを押すときに勢い余って額ズレのようになっているのもしれぬ。まさかとは思うが。






2011年12月12日月曜日

平成23年12月11日(日)晴れ

きのうの月蝕は好天の土曜日で中空の高い空で起こる条件が揃い肉眼でも鮮やかに観察できた。


欠け始め

地球の影の中

高い位置にあるのでカメラを安定させるのに苦労した。この時間しらふではない事もカメラが定まらない原因ではある。三脚があればいいのは分かっているが、カメラ小僧ではないのでそもそも三脚を使うシーンがどのくらいあるのかと考えると・・・購入するにはいたっていない。

せっかくの日曜日なのに飲み過ぎて一日中家でぐだぐだしていた。まあいいか。



2011年12月9日金曜日

平成23年12月8日(木)くもり時々雨

店ブログという形で発信しているのだが、店のことは書いたことがない。何故か?

店で何を仕入れた、新しい酒が入荷した、といった情報がお客様の来店動機に必ずしも参与しているのではない事を体験的に知っている。どんなに店のことを延々と書いてもそれを書いている、人となり人物が浮かんでこないとそれはただのチラシではないかと思う。

なので、私個人の日常を書き綴っている。それは公開して人に読まれることを前提に構成しているので起こる出来事を包み隠さず書くというわけにはいかぬが、少しでも自分を晒すことにより読んでいただける方との距離が近くなれば良いと考えている。

距離が近いというのは昔から言う「遠くの親類より近くの他人」に通じる。人というのは血縁の深さより誰と深く繋がっているかが重要だ。仕事の一環のつもりで始めたが、不思議なもので毎日のように書いていると筆が滑らかになっていくように感じる。車のエンジンと同じだと妙な所で感心する。

12月8日というのは真珠湾攻撃の日でありジョン・レノンが撃たれた日でもある。毎年この日はこの二つの出来事を思い出す。思い出すと言っても真珠湾の方はもちろんまだ生まれていない。私はその頃、海のプランクトンか何かで、それを魚が食べ、その魚を親父が食べ、蛋白質になり、某所に蓄えられ、紆余曲折を経て今の私がある(笑)。

その魚を食した親父は満州の北方でソ連軍の捕虜となりタイセット収容所という極寒の地で四年近くを過ごした。

「俺は体が小さかったから生き残れた、配給される食料が足りなくて体の大きい奴から弱っていった。日本に還る頃は三分の一しか生き残っていなかった」と言葉少なに語ったことがある。

その父も鬼籍の人となり十数年が経つ。

父と同い年1915年(大正4年)生まれの石原吉郎という詩人がいる。石原氏もシベリアに8年間抑留された。作品『葬式列車』は初めて接したときは心が震えた。

葬式列車

なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを













2011年12月8日木曜日

平成23年12月7日(水) 晴れときどき薄曇り

週のうち三日くらいは片道約5kmを家から店まで歩いている。十月から始めたのでもう二ヶ月は続いている。意識して歩いているのでかなり早足で歩く。歩き始めてその日の体調に気づくことがある。

脚が重い日があったり、朝二日酔いであったのに意外と脚が軽いときがある。なぜそうなのかは分からぬが体は正直だ。最初は色々なルートを使っていたが、近頃はほとんど同じ道を選んでいる。と言うより無意識にその道を使う。空いているからだと思う。

かなり早く歩くので人通りの多い道だと前を行く人がつかえて歩きにくい。三鷹は緑の多い地域だが場所によっては人通りが多いのでやはり東京だと思う。

店で、ちょっと調べ物をするとき用にIpadを使っている。最近入れた『STAR WALK』というプラネタリウム系アプリが面白い。以下抜粋でWEB上で拾った紹介記事


iPadをかざせば、その先に見える星や星座がすぐ分かる

「あれ、あの星座なんだったっけ?」。そんなとき便利なのがスターウォークだ。知りたい星座や星にiPadを向ければ、内蔵の電子コンパスを利用して、画面にその方角にある星や星座が表示される。今いる場所だけでなく、過去や未来の天体の様子や、旅行予定の町で見られる星座や星のチェックもできる。スターウォークは、ポータブルな“マイプラネタリウム”だ。
天文好きではないが、たまにある天体ショーはどれどれという気分になる。今度の10日土曜日夜の皆既月蝕は晴れていれば全国の高い空で観察できるめったにない好条件だそうだ。
比較的短時間で劇的な天体の変化イベントを楽しめそうだ。ちなみに月蝕は英語で「moon eclipse」または「lunar  eclipse」でエクリプスというのはギリシャ語で、(力を失う)蝕を意味する。エクリプスは他に鴨などの雄が繁殖期を終え金属光沢のある雄特有の羽色から雌と同じような地味な羽色に変わる一時期をさす意味もある。何を隠そう私は元野鳥の会の会員だ。何も隠してないけど。



2011年12月7日水曜日

平成23年12月6日(火) くもり午後から雨

先日、友人のJ尾と飲みながら話した事。彼は映像関係の仕事をしていて若い頃は16ミリ自主制作映画を撮ったりしていたので映画の話題には事欠かない。今もそういう仕事の役得で映画の試写会に週2・3回行くそうだ。うらやましい限りだ。

特にフランス・イタリアなどヨーロッパ映画の質の高さを挙げていた。私も同感だ。

今、邦画は興行的には成功していて次々話題作が出てくる。だがテレビドラマの延長であったり、コミックの映画化であったりと娯楽性の高い作品が多い。これはハリウッド映画にも言えることだが、映画ビジネスになっている。

当たる事を前提として企画制作されるのであろう。映画が消耗品になっている。そういう意味では昭和20後半~30年代テレビが一般家庭に普及する前、映画館は毎週作品が変わるという黄金時代で粗製濫造の消耗品時代でもあった。しかし黒澤明・小津安二郎・溝口健二・今村昌平・木下恵介などの監督がきら星のごとく存在し映画の芸術性を世に示した。

昨今の映画で興行的に成功していて後世に残る作品がどのくらいあるのか知らぬが、なんだか心許ない気がする。

娯楽が悪いのではない。ああ面白かった、でよいのだが、邦画全体の質が傾向的に低下していると感じるのはJ尾と私だけではあるまい。

2011年12月6日火曜日

12月5日(月) 晴れ

 日記として書いているのだが、日付が曖昧になるのを避けるため当日起こった出来事を当日の日付で書くことが自然のような気がするので、これからは実際に記事を書いた日とは少しズレがあることをご理解いただきたい。

近所の芝生畑もすっかり色づいた
武蔵野赤十字病院の目立たない銀杏
晩秋の木々
三鷹駅北口銀杏
師走が実感をともなうのは残り一週間を切ってからだ。今年も残り少なくなったとしみじみ感じるような生活とは無縁で、若い頃のホテル勤務時代や青山の会社に属していた時代は盆暮れも正月も無く、世間が休みの時は常に仕事という生活を40年近くしていた。

還暦を前に暦どおりの生活を今年になってからしている。

写真を貼り付けて文章を省くのは楽でよろしい(笑)。

2011年12月5日月曜日

平成23年12月5日(月) 晴れ

きのうに続き快晴で気持ちがいい。昨日は福岡国際マラソンがあった。来年のロンドン五輪の選考レースのひとつなので各選手ここに焦点を合わせてきているとの解説をきく。

今夏の世界選手権で世間を驚かせた公務員ランナーの川内優輝が日本人トップの3位に入った。20km過ぎでペースメーカーのスピードについてゆけず一時後退したが、終盤になり驚異的な追い上げと粘りで堂々の3位だ。

特に38kmから、順大時代「山の神」とよばれた箱根駅伝のスター今井正人との息詰まる競り合いは見応えがあった。

ふたりの意地と意地の激しい争いを川内が制した。埼玉県庁の仕事をフルタイム勤務という異色の市民ランナーが実業団選手を押さえ、結果を出した。本人は今回の記録には満足しておらず、東京マラソンを目指すという。こういう選手は応援したくなるなあ。


ところで、勝ったのはケニアのダビリという一般参加選手だ。招待選手でもなく、かつ初マラソンであっさり勝つあたりアフリカ勢の層の厚さに次元の違いを感じる。勝ったダビリのコメントが「五輪代表にはなりたいが、厳しいと思う」とあきらめ顔なのが全てを物語っている。

2011年12月4日日曜日

平成23年12月4日(日) 晴れ

きのうは夕方から高円寺に出かけた。J尾の名刺を届けるついでに飲むことにする。飲むついでに名刺を届けたと言っても差しつかえない。

高円寺は若い頃、子供が生まれるまで10年あまり住んでいたのでそれなりに詳しい。

6時過ぎに「成都」という中華食堂に入る。ここは安くて良かったのだが料理人が変わったのか、砂糖を多用していてお子様向けのような料理が出てきた。これでは四川料理という看板が泣きますよ。

二人でビール二本と500mlの紹興酒一本を飲む。口直しに和食の居酒屋へ入る。刺身二品と日本酒を3杯ずつ飲み下地ができたところでガード沿いのエスニック店「バーミィ」へ向かう。

「バーミィ」はアジア系の料理を出す店で、すごいのはマスターのレコードコレクションだ。洋楽中心に一万7000枚あるそうだ。この店は時々使わせてもらっている。マスターが同い年なので親近感もある。五つの赤い風船をリクエスト、藤原秀子の歌声が懐かしい。

外国産ビール数種を何本か飲んだ。




高円寺ラーメン横丁をのぞいてきた。綺麗な店ばかりだ。〆のラーメンは敵なので見学だけに止める。






東京のラーメン店の激戦ぶりは過熱気味で、一杯1000円近いのは珍しくない。東京は諸物価が高いのは分かる。材料に思い入れが詰まっているのも理解する。でもラーメンというのはせいぜい500円くらいの食べ物と思うのだが、私がずれているのだろうか。

二日連続で痛飲した。今日は家でおとなしくしていよう。

2011年12月3日土曜日

平成23年12月3日(土) 雨のち午後から晴れ

きのうの金曜日店を閉める頃仕事帰りに寄ってくれたK杉君と飲みに行った。K杉君は三鷹の弟のようなもので私とは一回り以上歳は違うがウマが合う。帰宅は午前3時半頃だったように思う。確かではないが(笑)。

今日は夕方から深友のJ尾との約束がある。親友ではなく深友ね。J尾からの「名刺頼む」のリクエストに応えて、仕方なく、めんどうだが、わざわざ、嫌々、渋々出かけることにする。(今日はこのくらいにしといてやる)

実は私は自分でいうのもなんだが、名刺作りにかけては一家言ある。自分のはもちろん自営業友人関係の名刺をいくつかデザインしている。お見せしたいがプライバシーもあるのでここに載せることはできない。

断っておくが、名刺作りで駄賃はいただいてない。私の友人の共通項は人生を風見鶏よろしく器用に生きていない事だ。瑣末なことで得したと思うような人間は友人にはいない。

お人好しでいいんですよ。

さあJ尾君、今日はどこに飲みに行こうか。


2011年12月2日金曜日

平成23年12月2日(金) くもり時々小雨

12月に合わせるように大陸からの寒気団がやってきて昨日から一気に寒くなった。暖かい日と寒い日が入れ替わりながらも季節は晩秋から初冬に移ってきた。

今、書斎でFMラジオを聴きながらこれを書いている。エリック・サティの「ジムノペディ」がかかっている。曲名は知らなくともTV番組のBGMなどで大抵の人は一度は耳にしたことがあると思う。憂いを帯びた旋律が眠気を誘う(笑)。

家ではJCN武蔵野三鷹ケーブルの通信環境でTV、電話、ネットをまとめて契約している。おまけみたいなものだがテレビの回線にFMラジオ放送を6局乗せて送信している。テレビの同軸ケーブルを分岐させてラジオチューナーに接続するだけでノイズの無いクリアな音で聴くことができる。

中でも「むさしのFM」は面白い。吉祥寺や三鷹のきわめてローカルなお知らせがあったり、交通情報は地元の人間にしか分からぬような八幡前や人見街道などの地名が出てくる。また深夜はしゃべり一切なしでジャズを延々と流しているのでBGMにはちょうどよい。

広いエリアをカバーしている都心の局には無いおもむきで、私はこの局を聴くことが多い。

今の若い世代と違い私たちの世代はステレオやオーディオマニアが沢山いて購入資金と環境があれば素晴らしい機材を揃えたいと夢見るおじさんは多いはずだ。

私はマニアではないがよい音で音楽を聴きたいと思うおじさん世代であることは認める。物が無い時代から経済成長で飛躍した時代が自分の成長期に重なりちょうどステレオやオーディオ機器の進化時代でもあった。

おじさんと書いたがなかなか、おじさまにはなれない。