2011年12月19日月曜日

平成23年12月18日(日) はれ


おとといTSUTAYAで借りた「SUPER8」「パイレーツ・オブ・カリビアン命の泉」「トランスフォーマー・ダークサイドムーン」をまとめて観た。おきまりのハリウッド大作でどの作品もドタバタに終始する。年齢的に私の感受性が低下してきたのか、ハリウッドがダメになったのかは知らぬがどれも人に奨めるような出来ではなかった。だが「トランスフォーマー」シリーズの映像技術の高さは抜けている。

きのう購入した「下山の思想」五木寛之:著 幻冬舎新書

(32頁)いま、私たちは未曾有の大災害に見舞われ、呆然としてなすすべがない有様だ。福島原発が直面する現実は、数年で解決されるような問題ではない。
(中略)
どんなに深い絶望からも、人はたちあがらざるをえない。核に汚染された大地にも、雑草は生え、樹木は根づいてきた。
 しかし、と、そこで思う。私たちの再生の目標は、どこにあるのか。何をイメージして復興するのか。
 それは山頂ではない、という気がする。私たちはふたたび世界の経済大国という頂上をめざすのではなく、実り多い成熟した下山をこそ思い描くべきではないのか。
 戦後、私たちは敗戦の焼跡の中から、営々と頂上をめざして登り続けた。そして幸運の風にも恵まれ、見事に登頂をはたした。
 頂上をきわめたあとは、下山しなければならない。それが登山というものなのだ。


五木寛之氏の作品で思い出深いのは「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「内灘夫人」「デラシネの旗」「青年は荒野をめざす」など数多くあるが若い頃、五木ファンというのがミーハーな気がして素知らぬふりをしていた。

これは私の卑屈さのなせるわざで、人はなんだかんだと偉そうに言っても、どこかに自分だけが知っている卑しさや小狡さをもっている。それが人というものであるならば、人をなるたけ責めないように務めなければならぬと今更ながら思うのである。


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