2012年1月13日金曜日

平成24年1月12日(木) 晴れ

この冬一番の寒波で関東以北は最低気温が氷点下の所が多かった。

二月になると青森の八戸一円を中心に東北各地で広く行われる門付け「えんぶり」という行事があることをテレビで見て知った。





wikipediaからの引用
2月17日の早朝に30組を越える「えんぶり組」が八戸市長者山の長者山新羅神社に詣でた後に同市の商店街で一斉摺りを行い、その後更に近郊農村部を門付けして巡り、20日までの4日間に亘って同市内の各所で演じられる。現在では観光的要素の大きい行事となっているが、元々は儀礼性の濃い田楽田植踊)の一種であるとされる。先端に鳴子板や金輪をつけた「ジャンギ」と呼ばれる棒を持って踊られるが、このジャンギが田植前に田を均すのに用いる柄振・朳(えぶり)という農具に起源も持つものであるために「えんぶり」と呼ばれるようになったと伝えられる。


テレビで紹介していたのは子供達が「えんぶり」の装束をまとい商店や飲食店を門付けして廻る様子で地域色が色濃く反映されていた。子供の可愛いこと。人と人のつながりの濃密さや人と接したときの相互の感情の表現が都市とは明らかに違う事がテレビを通してもわかる。


東京のような都会では良くも悪くも分かっていても無関心を装う事が習慣になる。これは異端者を好奇の目で視ぬための儀礼的無関心であったり、眼前の理不尽に立ち向かえぬ逃避的無責任であったりする。この見て見ぬふりは都会で生活する者ならば程度の差はあろうがほとんどの人が思い当たるだろう。


その同じ人間が地方へ行く人が変わったように活き活きとしたりする。人はそれぞれの場所や時間で社会的役割を、例えば職場では仕事人としての顔、家庭では夫や妻、父親や母親の顔を使い分けながら生きている。どれが本当の自分の顔かということは重要ではない。人は社会的な生き物であるのだから、人との関係において表現される自分というものが重要である。


閉鎖的村社会文化が残る地方から息苦しい人間関係をのがれて都市に出てきた人間は、都会特有の匿名性の高さや自由を手に入れるが、同時に誰にも寄りかかれぬ孤独を胸中に抱える。


帰れる故郷があることの、ありがたさをこのごろ改めて思う。




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