2011年10月25日火曜日

平成23年10月24日(月)くもり

筋肉痛というのは使った筋肉がその負荷に耐えられるよう回復する過程の痛みと理解する。先日のいきなり往復10キロ徒歩の向こうずねの痛みがまだとれない。体を痛めつけるために始めたのではないので今日はバイクで店へ行く。当たり前だがワープしたように速い。

店を終わり帰宅してから録画していた「瀬戸内寂聴の東北青空説法」を観る。瀬戸内寂聴さんは徳島県の出身だ。個人的には徳島には色々と縁がある。

私の生まれは四国の高松だ。関東圏の方は四国の位置関係があいまいだと思うが、高松は香川県だ。徳島はとなりの県だが気候風土や人間の気質も地元感覚では明らかに違う。だいたいどこでも近隣比較が始まると独善的な身贔屓意見に収斂することが多いのでここでは多くは語らない。

生まれは香川県の高松だが、徳島は親の仕事の関係で小学校3年の半ばから中学卒業まで暮らした決して忘れることはない土地だ。

瀬戸内寂聴さんは、徳島市にある現在は男女共学の県立城東高校(旧女学校)をでておられ、私の友人も幾人かは出身者だ。

被災地で打ちひしがれた方々に対する寂聴さんの説法で心を打たれた言葉がある。

無常とは・・・、いつも物事は動いています。どんな辛いことでも同じ状態ではなく常にはなりません。どん底の生活も必ず変化があります。どん底という下の底は無いのだから上がるだけです。それを信じて笑顔をだしましょう。

そしてみなさんが生き残ったのは、「代受苦」(だいじゅく)といって死んだ方がみなさんの代わりになったということ、それが定め、「定命」というもので大きな摂理のなかで決められていたことであるから、家族を失った中、生き残った人間がなぜ自分だけが助かったのか?と悩む事はない。失ったものは決して帰らない、しかし死んでいった方を決して忘れないようにしましょうと、諄々と説かれていた。

今年89歳になられる、お元気でご活躍ください。

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