2011年10月20日木曜日

禅林寺

平成23年10月20日(木)くもり

三鷹駅の南口から南に一キロほど下がると禅林寺という黄檗宗の寺がある。この寺は太宰治と森鴎外の墓があるので有名だ。

永井荷風の日記「断腸亭日乗」にも荷風が鴎外の墓参りをする下りが荷風本人筆のイラスト入りで書かれている。

境内の奧の一角に墓所があり、二つの墓は少しハスであるが向かい合うように建っている。太宰のほうは傾向的に昔から女性に人気があり、今でも墓前に花が絶えた事がないそうだ。確認はしてないが。

森鴎外の墓は、森林太郎墓と刻まれただけの簡素なものだ。これには説明がある。山門わきに遺言碑があり、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス(中略)墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可カラス」と刻まれている。軍医としても作家としても優れた業績を世に残した偉人であるがゆえの謙虚な潔さに明治期の骨太の人格を見る。


太宰は確かに人気作家だっただろうし、今でも多くの人に読み継がれている。
しかし、その人生の破滅に向かうぐだぐだぶりは痛ましい。酒と薬に溺れ、女性遍歴を繰り返し(うらやましいが)、最後は玉川上水に女と入水自殺して後始末をした地元や警察にやっかいをかけた、ダメ人間の典型だ。


ただ彼が人生の敗者かと問えば・・・私はそうは思わぬが。


ある年の桜桃忌


昭和2(1927)年に向島の弘福寺から三鷹の禅林寺に移された






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