で、5時起きしたのでよっぽど山に行こうかと思ったが、日帰りとはいえザックを背負えないのでぎりぎりの軽装備で行けるとすれば歩き馴れている高尾山系だが、この時間に出れば往きはよいだろうが、午後にかけては連休の好天で車で出ようが電車で行こうが交通関係が混むのは必至なのでやめておく。本音は手ぶらでもいざという時、鎖骨が少々不安なのだ。山は逃げない。
ブログの更新をして7時半過ぎに朝の散歩に出る。1時間で帰ってくるルーティン散歩。
天文台通りを下る。
桑の実。
鯉が何匹も集まってバッシャンバッシャン水音を立てている。おそらくこいの季節であろう。
こもれび |
朝なのにアカバナユウゲショウ |
野川からハケを上って帰宅。
朝のコーヒーと新聞。
シャワーを浴びてから9時半に家をでて久しぶりに三鷹と武蔵野市の図書館巡りをする。今は家で在庫検索が出来るのでどこを廻るかの計画が立てやすい。こういう場合バイクの機動力に勝るのものはない。まず三鷹の南部館。
次に武蔵野市の中央図書館。
引き返して三鷹の本館に寄る。本館の写真を撮り忘れた。
11時過ぎ帰宅。
借りてきたのはしばらく前に新聞の書評にあった『漂流怪人きだみのる』嵐山光三郎著(小学館)と、きだみのるご本人の著書『気違い部落周遊紀行』(冨山房百科文庫)、開高健と文人や学者の対談集『人とこの世界』(河出書房新社)、他合わせて7冊である。
きだみのる(1895-1975) wikiから引用
引用終わり若年期のきだは転居、家出、旅を多くした。アテネ・フランセ創設者のジョセフ・コットに身近く薫陶を受け、後には仏語教師として自らもアテネ・フランセの教壇に立つなどした。開成中学 - 慶應義塾大学中退後にパリ留学。ソルボンヌ(パリ大学)で文化人類学者マルセル・モースに師事し社会学・人類学を学ぶ。帰国後は戦中戦後の長期に亘り、東京恩方村[2]の廃寺に20年間くらい、こもるようにして暮らした。1948年(昭和23年)『気違い部落周游紀行』で第2回毎日出版文化賞を受賞。1950年代に入ってからは日本のみならず世界各地を渡り多くの文章を著した。「気違い」「部落」が共に差別語とされるため、NHKの訃報では代表作の名を伝えることができず、「東京都下に住みその体験をもとにした作品は有名です」とだけ報じられた[4]。
ファーブル『昆虫記』を本名の山田吉彦で翻訳(共訳・林達夫)した人、と聞けば、ああすごい人なんだと思う。
開高健の12人との対談集『人とこの世界』にも登場しているので借りてきたのだ。この対談集は他の方もきら星のごとく、広津和郎、大岡昇平、武田泰淳,金子光晴、今西錦司などなどビッグネームばかりでそちらの方に興味が移りそうになる。
若い頃この「きだみのる」という名前はどこかでかすったような覚えがあるが、今まで著作を読んだことはなかったので上梓されたばかりの『漂流怪人』が気になっていたのだ。
連休中は楽しませていただくことにする。
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