2012年7月13日金曜日

平成24年7月12日(木) くもりのち雨

ニュースで、新しい指紋採取の技術を紹介していた。今までは不可能とされてきた、布に付着した指紋を検出する方法だ。静岡、掛川署の若手女性鑑識官とベテラン鑑識官の二人が仕事の合間を縫って開発したとのこと。

専門的なことはわからないが「シアノアクリレート法」という、瞬間接着剤の成分を利用する元々あった技術を応用して完成させらしい。科学研究所のような所からではなく、地方の一所轄署の署員が仕事以外の時間を費やした地味な努力により実ったというのが素晴らしい。小さな扱いだったが、この技術が世界に広がることを思えば大発明であろう。

ニュースと言えば、大津の中学生自殺いじめ事件を、各マスコミが繰り返し報道している。学校や教育委員会の対応の誠意のなさは今に始まったことではあるまい。自己保身に汲々としている彼らの見苦しい姿は、日常彼らが、教育に熱心ではなかったことを証明している。

この教育問題は根深い。今学校の教師は点数で評価され、それにより人事、給与が決まる。指導のため生徒に手を挙げようものなら、暴力教師としてたちどころに弾劾されてしまう。しかし、当たり前の躾も出来ていない子供が増え、そのような子供が学校で我が物顔に振る舞う。

義務教育の理念をはき違えている人が多い。義務教育とは、勉学を希望する子供は親の義務として学校に行かせなさい、というものだ。国の義務で保証している制度ではない。

学校に化粧道具を持ち込む者、危険な物を持つ者、教室で騒ぎを起こす者、つまり、勉強する意志の感じられぬ者は、来なくてもよい、または来させないが原則である。しかし今の学校にはそういう力はない。

いまの学校制度では、人を育てるということは難しい。大工から金槌、のこぎりなど道具を取りあげておいて、さあ家を建ててみろ、と言っているようなもので、権限をほとんど持たされない教師に何ができると思うのか、現場で歯噛みしている、もの言わぬ教師も多いはずだ。

学校に力を持たせて教育を立て直す、そしてそこから一定の割合でこぼれる生徒の受け皿を別に用意する。それが国の仕事だと思う。

マスコミは、民意の代弁者のごとくふるまうが、今回のいじめ問題でも何も具体的な、これからどうすればよりよいのかを提案したり呈示したりはしない。他の原発問題、外交問題などでは政府批判をするばかりではなく、ではどうすればよいのか、という具体的代替え案をださねばならない。

相手を非難、批判するだけなら子供でもできる。マスコミは批判だけしておいて自らは解決策を提案しない。しかし、大人であるなら代替え案を用意してから物を言えといいたい、それが批判する者の責任である。いかん、いかん、また話が大きくなってしまった。

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