2012年7月31日火曜日

平成24年7月30日(月) 晴れ

最近ブログの更新をするのは深夜であることが多かったが、オリンピックを観ながら飲んだりしているので、だんだん生活が乱れてくる。昨日はさすがにリズムが崩れブログ更新の気力がなかった。

まあ気力を振り絞ってやらねばならない、というほどの事柄ではないので明けての昼飯をすませてからの更新になった。

マスメディアは速報性が求められ、少しでも出遅れると報道の鮮度的には見劣りしてしまう。私のブログに鮮度はあまり関係ないが、それでも昨日の出来事を翌日の昼過ぎになって書いているのはなにか心苦しいのだ。この心苦しさは何なのかと考えてみた。私自身の個人的な生活日記のようなものでいつ書こうが自由なわけで、何も心のどこかが痛むようなことではないと思う。しかし現実はそうではなくて、気にかかる。

そうだ、この感覚は遅刻の感覚である。遅刻は学校、会社、待ち合わせ、など他者との関係性において成立する。

だれにも公開しない日記であれば読者は自分だけであるが、ブログのように公開していると、自分以外の読者が存在する。ブログの更新が遅くなると心苦しいのは、その読者に対する遅刻感である。

私のブログをわざわざ訪ねているのに、(何だ、きのうのままじゃねえか)と思われると、何か申し訳ないような気になるのだ。

今回のオリンピックは7月の終わりに始まった。前回の北京オリンピックは八月に入ってからだったと思う。それが印象に残っているのは、時期がちょうど高校野球と重なってしまいオリンピックの開催場所が北京ということで時差は一時間、日中の生中継が多かったので、日本の夏の一大イベントが霞んでしまった記憶がある。今年は被っても少しだけである。

0 件のコメント:

コメントを投稿