正午開演に間に合った。
緞帳が上がり、出だしは出演者全員の『雛鶴三番叟』があり
二番はプロの方の『景清』と続き
三番手にN村さんの『鳥羽の恋塚』になる。
この『鳥羽の恋塚』は、調べてみると明治後期に作曲されており、歌舞伎や舞踊から切り離され音楽そのものを鑑賞するように物語性をもって浄瑠璃的に作られた作品である。
源平盛衰記に題材を取っており、芥川龍之介短編『盛遠と袈裟』や映画『地獄門』(長谷川一夫・京マチ子)も同じ題材である。
聴き終わってロビーでN村さんにご挨拶をし人形町から広尾の山種美術館に向かう。こちらもたまたま招待券があったので都心に出たついでに、ちと遠回りだが寄ることにしたのだ。
天現寺交差点陸橋から六本木方面 |
近道を探す。
フムフム |
スマホの案内に従い細い路地を抜ける |
ペルー大使館の脇を通って |
とうちゃこ~ |
ロビー常設 加山又造『千羽鶴』 |
「こころなき 身にも哀れは 知られけり 鴫立つ澤の 秋の夕暮れ」西行法師
本阿弥光悦が宗達の下絵に自分の書を上書きするという作品は他にも多くある。これらは宗達とのコラボというより、宗達に下絵を描かせていた、という力関係で光悦は当時の芸術の世界を仕切っていたみたいである。短編小説集松本清張『小説日本芸譚』中「光悦」にヒントがある。
いずれにしても光悦は書の他、絵、茶道、陶芸、漆芸など多芸の人で、以前「お宝鑑定団」で出た光悦の茶碗に5000万円の値が付いたのには驚いた。茶碗一個に5000万って、家が買えるわ(笑)。
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