2012年12月19日水曜日

平成24年12月18日(火) くもり

そろそろ年賀状が気になりはじめる。年賀状というのは歳があらたまって元旦なりまあ松の内に新年のご挨拶ということで心を新たにし、したためるのが本当は正しい作法だと思っていた。なので一月一日に賀状が届くのは、いわば「仕込み」があるからであって本来の作法からは逸脱したものであると思っていたら、そうでもないらしい。

wiki引用

日本にははっきりとはしないが奈良時代から新年の年始回りという年始のあいさつをする行事があり、平安時代には貴族や公家にもその風習が広まってあいさつが行えないような遠方などの人への年始回りに代わるものとして文書による年始あいさつが行われるようになった。
近世には武家社会において文書による年始あいさつが一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始あいさつに限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚や使用人を使った私的手段により年始あいさつの文書が運ばれるようになった[2]

これによると遠方で年始回りに行けぬ方への代参が目的だったことが判る。とすると元旦に年賀状が相手に届くことこそ礼節に叶う正しい作法であるようだ。知らなかった。

宛名だけでなく文面も一枚一枚手書きするのがよいのだろうが、なかなか文面まではできかねる。

今年もまた年賀状欠礼の葉書をいくつかいただいた。たった一枚のなかば事務的な連絡ではあるがそこのご家族のドラマを一瞬想像する。訃報が実感に密着するようになった。

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