江戸時代には大掃除の習慣はなかったらしい。
以下引用(半七捕物帳「吉良の脇指」岡本綺堂)の冒頭
一引用終わり
極月 の十三日――極月などという言葉はこのごろ流行らないが、この話は極月十三日と大時代 に云った方が何だか釣り合いがいいようである。その十三日の午後四時頃に、赤坂の半七老人宅を訪問すると、わたしよりもひと足先に立って、蕎麦 屋の出前持ちがもりそばの膳をかついで行く。それが老人宅の裏口へはいったので、悪いところへ来たと私はすこし躊躇した。
今の私ならば、そこらをひと廻りして、いい加減の時刻を見測らって行くのであるが、年の若い者はやはり無遠慮である。一旦は躊躇したものの、思い切って格子をあけると、おなじみの老婢 が出て来て、すぐに奥へ通された。
「やあ、いいところへお出でなすった」と、老人は笑いながら云った。「まあ、蕎麦をたべて下さい。なに、婆やの分は追い足 しをさせます。まあ、御祝儀に一杯」
「なんの御祝儀ですか」
「煤掃 きですよ」
大掃除などの無い時代であるから、歳の暮れの煤掃きは何処でも思い思いであったが、半七老人は極月十三日と決めていると云った。
「わたくしなぞは昔者 ですから、新暦になっても煤掃きは十三日、それが江戸以来の習わしでしてね」
「江戸時代の煤掃きは十三日と決まっていたんですか」
「まあ、そうでしたね。たまには例外もありましたが、大抵の家 では十三日に煤掃きをする事になっていました。それと云うのが、江戸城の煤掃きは十二月十三日、それに習って江戸の者は其の日に煤掃きをする。したがって、十二日、十三日には、煤掃き用の笹竹を売りに来る。赤穂義士の芝居や講談でおなじみの大高源吾の笹売りが即ちそれです。そのほかに荒神 さまの絵馬を売りに来ました。それは台所の煤を払って、旧い絵馬を新らしい絵馬にかえるのです。笹売りと絵馬売り、どっちも節季らしい気分を誘い出すものでしたが、明治以来すっかり絶えてしまいました。どうも文明開化にはかないませんよ。はははははは。そんなわけですから、わたくしのような旧弊人 はやはり昔の例を追って、十三日には煤掃きをして家内じゅう、と云ったところで婆やと二人ぎりですが、めでたく蕎麦を祝うことにしています。いや、年寄りの話はとかく長くなっていけません。さあ、伸びないうちに喰べてください」
ここに出てくる荒神さまというのは、品川千躰荒神「海雲寺」だと思われる。京急「青物横丁駅」が最寄りである。
ちなみに岡本綺堂は青空文庫で自由に読み放題である。半七捕物帳は69話もあり読み応えがある。
青空文庫
ということで昼から陽が落ちて暗くなるまで出来るところを掃除する。
ファサードと呼べるような入り口ではないが(笑)、一年の締めくくりに洗剤をつけ洗い流す。終わってから店内から外を透かして見るとガラスが入ってないように見えるほど綺麗になった。ああさっぱりした。顔を洗ったような気分だ。
これで明日から休みモードになる。人の流れも普段と違い故郷に帰省するのだろうと思われる人達の姿が多く目につく。
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