2012年8月19日日曜日

平成24年8月18日(土) 晴れ一時雨

家内は朝から陶芸に行っている。私は昼過ぎから用事で車を出す。夕方帰る時、中野でパラパラしていたのが、高円寺の南、青梅街道から五日市街道に入り善福寺公園近くですごい雨になった。最近ゲリラ豪雨などと呼ばれる雨だ。略してゲリ豪、略さないほうがよいと思う。

雷鳴が轟き車のワイパーが効かないような降り方だ。突然降り出したので自転車やバイクの人は気の毒だ。たとえカッパなどの雨具を持っていてもそれを着用している間に濡れ鼠になってしまうような激しい降り方の大粒の雨である。車の屋根を敲く雨音でカーラジオが聴き取れない。
信号待ちで道行く人を見たとき、多くの人は前のめりになって先を急ぐように自転車にかぶさったり歩いたりしているが、自転車の若者の一人はもうすっかりあきらめて濡れるにまかせ、むしろ雨ざらしを楽しんでいる様子で鼻唄でも聞こえそうな漕ぎ方で悠々と雨の煙の中に消えていった。

環八を越え人見街道に入ると小降りになり久我山辺りでは陽が射してきた。三鷹に入ると雨はすっかり上がり強い西日が濡れた路面に反射して西向きの進行は車のサンバイザーを下ろしサングラスを着けていてもすごく眩しかった。

今日は夕方から三鷹駅南口で、三鷹阿波踊りがある。一度観に行ったことがあるがなかなか賑やかである。むろん本場徳島と踊りのうまさを比較してはかわいそうだが、それはそれとして皆さん楽しんでおられる様子だ。ただそのとき何か違和感を感じたので、後になってあの違和感は何だろうと考えた。本場であろうと踊りが下手な人も大勢参加している。踊りのうまい下手ではないのだ。何かが足りない感じがするのだ。それは何なのだろうと、考えた。

それは太鼓と鉦(かね)の拍つ力強い二拍子が前面に出すぎるため、単調になってしまうことからくる物足りなさだ。私は四国にいた頃、数年を徳島で過ごしたことがある。なので本場の阿波踊りを何度も体験している。何が決定的に違うかといえば本場では笛がよく聴こえ、東京では笛が聴こえないのである。

阿波踊りのあの浮き立つような興奮を生むものは、笛である。主旋律を笛がリードしてそれに三味線が合わせ、太鼓と鉦が華を添えるという構成であり、お囃子の主役は笛であって決して太鼓や三味線ではない。

この横笛、篠笛はむずかしいと聞いた。分かっていても東京では笛の吹き手が揃わないのであろう。なのでお囃子全体の音色が豊かさや厚みに欠け何か物足りなさを感じるのだと思う。この辺りはそれを支える系譜、伝統の総量が踊りの印象に深く関わる。本家と分家の違いである。

理屈はともかく楽しければいいんだけどね。

徳島の本物の阿波踊りを一度でも体験すれば、何故この踊りが全国に拡がり世界水準でも高く評価されているのかが感動と共に理解できると思う。ちなみに高円寺の住人J尾君は毎年高円寺阿波踊りが開催される二日間は高円寺から避難するのである。「あんなん、阿波踊りじゃない」と彼は言う。彼は徳島出身である(笑)。


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