2016年1月7日木曜日

平成28年1月6日(水) 曇り

朝のコーヒーと新聞。


新聞をめくっていたら、なに~田沼意次が?なんじゃこれは?


もちろん大人であるから、『居眠り磐根 江戸双紙』佐伯泰英を新聞仕立てにした出版社の広告であることは瞬間に判ったが白抜き見出しに眼を奪われたのは事実だ。佐伯泰英という作家は読んだことがないがNHK時代ドラマ『吉原裏同心』の原作者だ、というくらいは知っている。

「先生人語」だって
見出しに出ている田沼意次といえば悪人、収賄金権政治の権化のようにいわれるが、おそらくそれは反対派が作り上げた、水戸黄門に出てくる偏ったワルのような話であろう。

田沼は土地経済(年貢)に依存している武家社会が、商人の貨幣経済の速度について行けぬのを憂い、農民から重税を取り立てるのでなく、内需拡大、景気刺激で商人民衆を豊かにし、そこに課税するという近代政治の先駆者的な業績を上げている。

事実、田沼時代の幕府の財政は上向き貨幣収入も増えている。

しかし未熟な貨幣経済の弊害で大店の市場独占などを招いてしまい、それが田沼失脚の一因にもなっている。

田沼失脚後の老中松平定信の寛政の改革は厳しすぎて評判が悪く、堅物であった白河藩主定信を揶揄して

「白河の水の清きに住みかねて元の濁りの田沼恋しき」

「世の中にか(蚊)ほどうるさきものはなし文武文武(ぶんぶぶんぶ)と夜も寝られず」

などはよく知られた落首である。

いずれにしても、成長と緊縮は両輪であり、人は耐えるべき時を耐えれば豊かな将来が確信出きるからこそ耐えられるのであって、定信の改革は成功とはいえず、片輪の光のない倹約だけの時代が長続きするわけがなかったのは当然の帰結である。

「夜も寝られず」つながりで、時代は下がるが、

「太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も寝られず」

これもよく知られた狂歌で、黒船(蒸気船)来襲をお茶の銘柄「上喜撰」にかけたもので幕府の狼狽ぶりを見事に見透かしている。

話が大きく逸れそうなのでここらで止めて散歩に出る。


野川からハケの階段にまわり



103階段を3往復だけする。再始動二日目でいきなり無理はしない。



日射しがないぶん寒いがそれでも10℃以上はあるので上り下りを繰り返すと汗ばんでくる。

暮れから正月にかけての怠惰のツケは体重となって現れている。よし、倍返しだ!庶民のおっさんが体重を減らすのを夢見てはいけないんですか(いいんです・笑)。

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