2014年3月22日土曜日

平成26年3月21日(金) 晴れ

横浜の高島屋で「川瀬巴水展」が開かれているのを知り家内と一緒に行くことにした。渋谷に出て東横線に乗り換える。副都心線と相互乗り入れが始まって一年が経つが、新しい東横線渋谷駅に変わってからは初めて乗ることになる。

たまに小旅行気分で向かう横浜はそう遠くないのだが、もし通うとなると、やはり遠い街である。

昼を食べずにでたので先に中華街まで行き食事にする。



休日で、まっすぐ歩くことが困難なほどの人出である。


「萬珍楼」に行ったら、1時間半待ち、といわれ「聘珍樓」に行くと、列びの行列の長さを見て、すべて理解し有名店はあきらめた。

そうなるとどこでもよいので開いている店へ入る。









九品ついたセットをいただいた。味は可もなく不可もなし(笑)。基本的に私はネガティブコメントは書かない。はっきり駄目であれば、記事も写真も載せません。

食後、中華街をぶらぶら。




元町に移動し、家内が少々の買い物をする。





横浜駅まで引き返し、お目当ての「川瀬巴水展」に行く。


wikiより引用

川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年明治16年)5月18日 - 1957年昭和32年)11月7日)は、日本大正昭和期の浮世絵師版画家。本名は川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)。
衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られる。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎歌川広重等と並び称される程の人気がある。
仮名垣魯文は伯父に当たる。
東京二十景より「芝増上寺」
今回展示がなかった「大森海岸」
家内は川瀬巴水はあまり知らなかったようだが、観はじめると私より家内の方が熱心に観て回ったように思う。

横浜高島屋「川瀬巴水展」

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