2014年6月1日日曜日

平成26年5月31日(土) 晴れ

梅雨を追い抜いて先に夏が来てしまった。陽射しの中は半袖の腕がじりじりと熱い。物事には順番があるから、まだ夏の出番ではない、ちゃんと並びなさい。

山に行こうかと思ったが、ここのところのペースは、我ながら何をガツガツしているのか、と思うような頻度なので一度落ち着こう、山は逃げない。

アウトドアはいいもんだが、嵌まりすぎて、そのことばかり考えるように偏るのはどこかバランスを崩しているような気がするので一度リセットする。

陰と陽、静と動が上手く噛み合ってこそ事は進む。「動」ばかりに熱を上げていたので、今日は図書館に行き、頭を冷ますことにする。

山関係やアウトドア関係の本に興味が向くことは自然なので、それは構わない。要は今日は、体を動かさずおとなしくインプットに励むことが目的である。

三鷹図書館本館

『知的経験のすすめ』開高健・『オーパ』直筆原稿版:開高健・『鳥と語る夢』串田孫一の三冊を借りる。

一度店に行き、昼食にする。近所の蕎麦店「布袋家」が休みだったので、少し先の「そば兵衛」でせいろをいただく。



店に戻り、カミさんがやっと見つけた、新発売の「フルーツパルム」マンゴー味を食べる。これは美味い!でもCMを流しているのになかなか売ってないんだよなあ。



コーヒーブレイクで「テラスベール」に行き読書タイム。




『知的経験のすすめ』冒頭の写真
上の手書きの文章は、あとがきの一部である。その前に、書かれている文を抜粋する。

 「心で心をきたえることは必要だし、避けられないことだし、誰しもそうせずには生きていけますまい。しかし、そのとき、自分の手と足で何事かを教え込んだ心をどこかに参加させておかなければ、無限の鏡の行列を覗きこんだのとおなじ結果になるのではありますまいか。心を覗く心がある。その心を覗く心がある。そのまた心をべつの心がどこからか覗いている、といった事になる」

この文の後に上写真の文が続く。1987年1月某日夜とあるから亡くなる二年前、開高が56歳の文章になる。この文は読者や誰か他者に向けて書かれているように見えるが、自分にも言い聞かせているようにもとれる。世界中を駆け回っているように見えた人の別の一面、仕事柄書斎に閉じこもりがちな孤独な作家としての一面が垣間見える。


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