2014年6月29日日曜日

平成26年6月28日(土) 曇り時々雨

山の地図を見ていて思うことがある。地図の中の未踏の山やそれらの山々を結ぶ縦走路を指でなぞっても漠然とした感触しかないのだが、一度でも歩いてきた山は、帰ってきて地図を開いて再び見てみるとそこにぱっと光が射したように鮮やかに明るく感じる。うすぼんやりとした想像の霧がきれいに晴れて体験と地図がぴたりと密着するのだ。

これは山の地図だけの話ではないだろう。見知らぬ土地の風土を空想して、旅の想いに遊んでいるだけの土地と、実際に自分の脚で踏んだ土地とでは、地図を眺めたときの明度や輪郭があきらかに違うのだ。

高尾山系はだんだんとスポットライトが当たる場所が増えてきて私の地図はだいぶ明るくなってきている。

今日は家と店を往復しただけの一日。忘れていたのではないが写真を一枚も撮っていない。考えてみれば、普通の生活ではそれが当たり前で、常にカメラを持ち歩いていてブログ用の写真を意識しているのは一般的ではない。ただそれは朝起きて洗顔するのと同じようなもので、習慣化するものなので苦になることはない。

今日は逆に意識して写真を撮らなかっただけである。

夜9時からリアルタイムで織田裕二主演『奇跡の教室 そのとき仏が舞い降りた!』を観る。ドラマ番組は大抵録画で観ることが多いので、途中のCMを飛ばせないのがもどかしい(笑)。

この作品はコメディタッチで描かれていて、あるいきさつがあり予備校教師になった坊主、柳州二(織田裕二)がダメ教師から人気教師に変身する話なのだが、キモになる部分、教室で生徒の心をわしづかみにする場面が淡泊すぎてどうも説得力に欠けてしまった。(あれっ、もう終わりなの)という感じだった。織田裕二の新たな魅力を開拓、というには遠い気がする。

日めくりのことわざに「月は欠くるも光を改めず」とあった。

織田裕二も、いや人も月と同じで、どのように見えようと本質はその人であることに変わりはない。

よく耳にする「自分探し」という言葉に、本当の自分に出会う、という意味があるのなら、そんなものは探しても見つからないと思う。その答えはこの故事成句の中にある。

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