2017年12月24日日曜日

平成29年12月23日(土) 晴れ 大腸内視鏡検査に思う

今年11月あたまに会社の健康診断を受け便潜血検査(2回法)で片方に陽性反応があり、それからどうするかは個人の判断に委ねられ、何もしないのでは検査を受けた意味がないので、予約して一昨日、自費の内視鏡検査を受けたのだ。

大腸内視鏡検査を受けて1個3mm大の小さなポリープが見つかり、その場で切除してもらい、他には何も異常はない、と言われたのでこれで二三年は大腸癌に限っては不安になることはなくなった。肛門から管を入れられるという嫌な検査も安心のための代償である。

今は機材の進化で小さなポリープなら検査している内視鏡を使ってその場で切除できるが、調べてみると内視鏡技術が確立されたのは1970年くらいからで、それまでは患者の身体への負担はたいへんだったようだ 。もっともその頃は今より大腸癌はずっと少なくそれ故医療の進歩が遅れていたという現実もあったみたいだ。

私に、病院に行かなければ苦痛が治まらない状態まで行かぬ覚悟であれば、精密な内視鏡検査はしないで放っておくだろう。遅かれ早かれ命あるものの死亡率は100%、たった一人の例外もなく死から逃れるすべはないのだから、病は天寿!と腹をくくれる人はどうぞそうしてください。

5年前、肝臓転移の大腸癌ステージⅣで亡くなった友人の城尾(じょうお)は医者嫌いで健康自慢だった。それがあだになり医師の診察を受けた時点で手遅れだった。

彼は最期まで復帰の望みを捨ててなかったが、進行する病状から不本意な死を意識していなかったとは思えない。

そうなのだ。手遅れが悔しいのならそうなる前に、たとえ遅かれ早かれ人は死ぬにしても、早めに尽くす手やできることがあるのならそれをして、それでも駄目なら納得のしようもあるではないか。

もう亡くなったが肺癌を患ってもなおタバコを吸いながら「俺の身体がどうなろうとも俺の勝手だ!」などと傲慢にも聞こえることを言う有名人がいて、考えようによっては、もう先が見えたのだから今更節制しても意味がない、というメッセージかも知れないが、そんなうそぶきや強がりはまだ体力があるから言えるのであって人は苦痛に対してそう強くできていない。

世の中には健康を願っても叶わず、病にさいなまれている人が無数にいるのだ。今、無病息災な人がこれからもそうであるということではない。友人のように風邪ひとつ引かない猛者が、病を知ってからわずか半年あまりでこの世から永遠にいなくなるのだ。

何ごとも同じ状態でとどまることはない。必ず変化していくのだ。歳を重ねるとともにこの無常ということが皮膚のように密着して理解できるようになってくる。

いずれにしても、ただ一度きり、この世で借りている己が宿る身体を粗末に扱っていいわけはなく、可能な手入れはしておかねば、と思うのである。やり直しも次も絶対にないからね。

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