7時半離床。朝ドラダイジェストは観ずにスープを入れて部屋でブログ。
思うのだが、書いているときはひとりのプライベートな空間だが読者は一人ではない。誰にも見せない見せるつもりも予定もない、読者が自分ひとりだけの日記とは似ていても自ずと内容は違う。
見せること、見られることが分かっているブログを書くのは編集作業で読みやすいか、間違って受け取られぬよう表現に気をつけたりそれなりに神経を使うのである。
リビングで朝刊とラッシー。
洋風の生活様式が標準になってコタツは活動的ではないため遠ざけられる傾向にあると思うが、コタツを囲み友人四人で徹夜麻雀をして、そのままコタツで寝てしまい喉がカラカラに渇いて目が覚めるといった乱暴な生活が今、思うと昭和までの学生には珍しいことではなかった。その友も虚空へ消え彼岸で手招きしている(笑)。思い残すことはない、と言いつつ私は優柔不断にももう少しこの世に未練がある。
難病ALSの嘱託殺人の依頼者の人も本音は健康なら生きたいのだ。それに勝る症状ゆえ死を選んだ。救いはないが気持は分かる。
拝んですがる宗教的なものではなく、医療が無力な場合、言葉、言語で理解できる救いはないものか。
昼は茹で玉子2個。19時をまわって飲み喰い。
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