2013年12月31日火曜日

平成25年12月30日(月) 晴れ

今日は銀行の営業最終日で午前中に買掛金の精算などを全て済まし、事務仕事だけだったが今年の仕事は全て終わった。個人的な金銭の出し入れもあり一度店に出た。

三鷹駅周辺は休みの雰囲気なのだがいつもと違いずっと人が少ない。



店を出てからお世話になっている「宮田酒店」に行き年末のご挨拶を兼ねて自宅用の酒を購入する。「宮田酒店」は有名な日本酒専門店なので三鷹周辺にお住まいの方でこの店をご存じの方は多いと思う。お正月用の酒を買うお客様が次々と来店してくる。こういう光景が年の瀬を感じさせ、ようやく今年も終わり だという実感がわいてくる。


帰宅してから三時を回っていたが日暮れにはまだ時間があるので着替えて野川に走りに行く。

今日のカワセミ・嘴の下が赤っぽく見えるので雌かな?
この時期は寒さで耳が痛くなるのと手が冷たくなるのでその防寒対策さえしていけば、走っているので冷気がかえって心地良い。



相曽浦橋の近くにある子供の像だ。季節外れの格好をしていて笑えるが、なにせ固まっているので何か着せてやるわけにもいかない。下手に上着を羽織らせると、こましゃくれた寅さんの子供みたいになりそうなので止めといたほうがよさそうだ。


古八幡を通りかかる。松飾りと幟をかけて初詣の準備が整っていた。簡単でいいなあ、シンプルイズベストだ。初詣の赤い幟がよれていたのでちゃんと見えるように直してやる。写真に収めるための小細工でもある。


2013年12月30日月曜日

平成25年12月29日(日) 晴れ

きのう荒神さまの事を引用したが、百聞は一見にしかず、ということでこの寒い中行ってみた。荒神信仰は諸説あるようだが、現在は台所の火と水の神様という事になっている。


初めて降りた青物横丁駅。千躰荒神まではここから歩いて数分の距離である。



荒神様というと神社が多いような気がするが、ここは海雲寺という寺である。








境内の事務所の方に声をかけ、「絵馬はありますか」と訊いたら「知る限り少なくとも50年前に遡っても絵馬の風習はありません。ずっと古い時代なのでは」ということだった。そうか湯島天神のような絵馬はないのか。荒神さまの絵馬は湯島などのように境内の一角に結ぶ絵馬とは違い、家に持ち帰り台所に祀っておくのだ。残念だが無いものはしかたない。(明治以来すっかり絶えてしまいました)という小説の下りを実証する形となった。厨房に貼るお札を購入する。300円也。


海雲寺を後にして品川に戻る。今日はもう一カ所まわる所がある。六本木のサントリー美術館だ。


品川から相互乗り入れの都営地下鉄で大門まで行き、大江戸線に乗り換え六本木に到着。ミッドタウンは地下鉄駅に直結しているのでアクセスがいい。




館内はすでにお正月仕様で華やいでいる。サントリー美術館の催しは、現在改修中の京都平等院の国宝「阿弥陀如来座像光背飛天」や「雲中供養菩薩像」など改修中でなければ間近では見ることができない仏様の群像展だ。

仏様達には失礼だが、これが観たかったのではなく招待券を頂いたのでせっかくだから観ておこうという程度の消極的動機だった事を白状する。夏に来たときの「谷文晁」展はよかった。


家を出たのがちょうど昼時だった。のんびりしていたら三鷹に帰ってきたときはすでに昏くなっていて、昼間も寒かったがさらに気温がぐんと下がっているのがよくわかった。

2013年12月29日日曜日

平成25年12月28日(土) 晴れ

店の営業は昨日までで今日は店の掃除をする。大掃除と書くとタスキ鉢巻きでやる気満々のような印象になるのでそうは書かない。

江戸時代には大掃除の習慣はなかったらしい。

以下引用(半七捕物帳「吉良の脇指」岡本綺堂)の冒頭

   一

 極月ごくげつの十三日――極月などという言葉はこのごろ流行らないが、この話は極月十三日と大時代おおじだいに云った方が何だか釣り合いがいいようである。その十三日の午後四時頃に、赤坂の半七老人宅を訪問すると、わたしよりもひと足先に立って、蕎麦そば屋の出前持ちがもりそばの膳をかついで行く。それが老人宅の裏口へはいったので、悪いところへ来たと私はすこし躊躇した。
 今の私ならば、そこらをひと廻りして、いい加減の時刻を見測らって行くのであるが、年の若い者はやはり無遠慮である。一旦は躊躇したものの、思い切って格子をあけると、おなじみの老婢ばあやが出て来て、すぐに奥へ通された。
「やあ、いいところへお出でなすった」と、老人は笑いながら云った。「まあ、蕎麦をたべて下さい。なに、婆やの分は追いしをさせます。まあ、御祝儀に一杯」
「なんの御祝儀ですか」
煤掃すすはきですよ」
 大掃除などの無い時代であるから、歳の暮れの煤掃きは何処でも思い思いであったが、半七老人は極月十三日と決めていると云った。
「わたくしなぞは昔者むかしものですから、新暦になっても煤掃きは十三日、それが江戸以来の習わしでしてね」
「江戸時代の煤掃きは十三日と決まっていたんですか」
「まあ、そうでしたね。たまには例外もありましたが、大抵のうちでは十三日に煤掃きをする事になっていました。それと云うのが、江戸城の煤掃きは十二月十三日、それに習って江戸の者は其の日に煤掃きをする。したがって、十二日、十三日には、煤掃き用の笹竹を売りに来る。赤穂義士の芝居や講談でおなじみの大高源吾の笹売りが即ちそれです。そのほかに荒神こうじんさまの絵馬を売りに来ました。それは台所の煤を払って、旧い絵馬を新らしい絵馬にかえるのです。笹売りと絵馬売り、どっちも節季らしい気分を誘い出すものでしたが、明治以来すっかり絶えてしまいました。どうも文明開化にはかないませんよ。はははははは。そんなわけですから、わたくしのような旧弊人きゅうへいじんはやはり昔の例を追って、十三日には煤掃きをして家内じゅう、と云ったところで婆やと二人ぎりですが、めでたく蕎麦を祝うことにしています。いや、年寄りの話はとかく長くなっていけません。さあ、伸びないうちに喰べてください」
引用終わり

ここに出てくる荒神さまというのは、品川千躰荒神「海雲寺」だと思われる。京急「青物横丁駅」が最寄りである。

ちなみに岡本綺堂は青空文庫で自由に読み放題である。半七捕物帳は69話もあり読み応えがある。

青空文庫

ということで昼から陽が落ちて暗くなるまで出来るところを掃除する。


ファサードと呼べるような入り口ではないが(笑)、一年の締めくくりに洗剤をつけ洗い流す。終わってから店内から外を透かして見るとガラスが入ってないように見えるほど綺麗になった。ああさっぱりした。顔を洗ったような気分だ。

これで明日から休みモードになる。人の流れも普段と違い故郷に帰省するのだろうと思われる人達の姿が多く目につく。

2013年12月28日土曜日

平成25年12月27日(金) くもり一時小雨のち晴れ

ポツリポツリしていたが濡れてしまうほどではないので野川に走りに行く。この曇天と寒さで野川を歩いている人はほとんどいない。



寒さと雨に打たれてひときわ赤いピラカンサ。


野川から国分寺崖線をのぼり天文台裏の住宅街で一匹の猫が近づいてきた。うちのカリンより一回り小ぶりかな。



よく見ると首輪をしておりどこか近所のおうちの飼い猫だろう(遊んでくれ~)と態度で示している。




30秒だけ遊んでやった(笑)。私の後を追ってきたが彼の排他的経済地域(縄張り境界線)に達するとそこで彼はピタリと止まった。また会おうね。


天文台構内を抜け帰宅、店に向かう。


NHK紅白歌合戦の企画で『あまちゃんコーナー』が設けられるというのを朝のテレビで観た。

能年玲奈は『あまちゃん』の次、どういう作品に登場するのか興味が湧くところだ。彼女の透明感のある素朴さは大きな武器なのだが、それゆえ女優としては幅広い役を演ずることは今の時点では難しく役を選んでしまいそうだ。

だったらなんでもありで、開き直って能年玲奈ではなく「天野アキ」に改名して「リアルあまちゃん」になりきって女優をやったらファンは大喜びするであろう。または二つの芸名を使いこなすのもアリなのでは、と思う。そのくらい「天野アキ」はドラマの世界にとどまらず彼女の存在に密着している。


2013年12月27日金曜日

平成25年12月26日(木) くもり日暮れてから雨

今日は予報で崩れるといっているが昼過ぎの空はまだ明るく野川に走りに行く。



天文台の木立に薄陽が射している。ここは街の中ではなく郊外だが、五輪真弓の『冬ざれた街』が頭に浮かぶ。この歌はこういう陽射しが似合う歌だ。



野川にばかり行っていて飛行場の方には最近行ってなかった。たまには変化をつけて飛行場の方に回ってみよう。健康的なことをしているのに「あら、お久しぶり、ずいぶんご無沙汰じゃない、どこで浮気してんのよ」という昔どこかで耳にした夜の会話の遠い記憶が頭をよぎる(笑)。

飛行場の丘にあがる。




正面が味の素スタジアムだ。



飛行場を後にして竜源寺を過ぎ野川に出る。




野川を走ったり歩いたりで帰宅する。

支度して店に行く。陽が落ちて店を開けてしばらくして気がついた。いつの間にか道路が濡れていた。

2013年12月26日木曜日

平成25年12月25日(水) 晴れ

テレビの報道番組で今日25日はクリスマスであるが「スケートの日」でもある、と言っている。へえそうなんだ。話によると幕末期に英国人トーマス=ブラキストンが函館で初めてスケートをした記録を記念にしたらしい。

「スケートの日」はともかく、ブラキストンと聞いてピンと来た人は多いはずだ。「ブラキストン線」の提唱者その人だ。ご存じの方が多いとは思うが、一応補足しておくと、幕末から明治初期にかけて主に北海道で過ごしたブラキストンは「動植物分布の境界線が津軽海峡にある」と提唱し、これが後に認められ「ブラキストン線」と命名された。

wiki ブラキストン線

昼食は家で蕎麦を茹でた。冷蔵庫を見ると鶏などの合わせる具材がないので、ねぎを卵綴じにしたシンプル自作ひとり蕎麦である。


近所を歩くと冬枯れの景色の中でピラカンサの真っ赤な実が目につく。ピラカンサスという場合もあるが これに関してはこのサイトの説明が詳しい。

「ピラカンサ」の名前について

野川の「Pyracantha」
この実には青酸系の毒があるそうで鳥たちも少しずつ食べる。結果、広範囲に種子が運ばれ繁殖に有利になる植物の知恵だそうだ。[Pyro(炎)+Acantha(棘)]が語源とある。

年賀状の宛名書きをすませてようやく投函する。

ぎりぎりになってからだと言い訳がましいが、やっつけというか、まあこれでいいかと安直になってしまいデザイン的には納得の出来にはならない。作家池波正太郎は年が明けると次の年賀状を毎日一枚一枚手書きで書いていた、というエピソードを読んだことがある。ぎりぎりだと絶対に出来ないわ。

昔、木曽路を旅行したとき旧中山道の馬籠(まごめ)にある島崎藤村記念館に行ったことがある。話が逸れるが、旧中山道(きゅう・なかせんどう)を(いちにちじゅう・やまみち)と読んだ女子アナがいたという実話の笑い話を思い出した。

話を戻して、その藤村記念館で藤村直筆の年賀状が展示されていて文面は中央に一行だけ書かれてあった。

新年乃御慶目出度申納候

この簡潔で格調のある一行を借用させてもらい出す十数枚がある。手抜きである(笑)。

2013年12月25日水曜日

平成25年12月24日(火) 晴れ

年賀状を作る。親類やお世話になった方に出す夫婦連名のものとそれぞれ個人名のものと違うデザインのものを三種類作る。家内個人名のものは「素材集」のデータの中から、家内が指定したデザインのものをピックアップしてまとめて作った。

宛名は手書きすることにしている。プリンター任せでもよいのだが、私の今の年賀状のお付き合いはせいぜい100枚くらいだ。このくらいなら年一度のことであるから、ささやかな心を込めて宛名は手で書こうと思うのである。まだ書いてないけど。

そういえば今日はクリスマスイブだ。今の私にとってクリスマスはその程度で静かなものである。昔フランス料理店でシャカリキに働いていた頃であれば考えられない平穏さで、その世界から離れなければ味わえないクリスマスイブの静けさである。


日暮れ前の跨線橋から東方面を撮す。陽が落ちてから気温がぐんと下がった。こういう日は燗酒がよく出る。立ち飲み屋は今日もおじさま客が出たり入ったりしている。

2013年12月24日火曜日

平成25年12月23日(月) 曇り

高尾山近辺に歩きに行こうかと思ったが、昼近くまでグズグズしていて出そびれてしまった。そろそろ年賀状を作らねば、と思い「素材集」を買いにTSUTAYAに歩きで行く。

昼は家で掻き揚げ蕎麦
TSUTAYAの往復約5㎞で、山歩きの運動量には及ばないが全く動かないよりはましだ。


下の写真はTSUTAYAの帰りリサイクルショップ「HARD OFF」のテラスから東八道路をカメラのジオラマモードで撮す。たしかに俯瞰的な構図だとそんな風に見えてなかなか面白い。



上の写真はWB(ホワイトバランス)を電球にして空を撮影している。WBというのは色々な種類の光源に対して、白を白として映し出す補正機能で、電球色は赤っぽい(色温度が低い)ので、WBでの電球は青を強調する方向に補正しようとする。なのでWBを電球にして普通の空を撮るとこのように青みの強い写真になる。上手い人はプロも含めてWBをわざと変えて作品にすることもあるみたいだ。

天文台裏門
「素材集」を買ってきたのでもう出来た気になってのんびり飲んでいたらヤル気がなくなった。まあいいか。平和な一日が過ぎていく。