2012年4月29日日曜日

平成24年4月29日(日) 晴れ

さわやかに晴れた。昨日の土曜日、昼前にバイクで図書館に借りていた資料を返却に行く。三鷹の図書館は2009年から蔵書にICタグ(電子荷札)を付け、貸し出し、返却が自動機で処理されている。今では当たり前のシステムになりつつあるが当時公立図書館では全国に先駆けたシステムですごく便利になったことを実感した。登録カードはリライトタイプのもので貸し出し記録は残るが、人手を介さないので貸し出しカウンターでどういう本を借りるのかを図書館の職員に見られることはない。

人を介するシステムだと、例えば病気関係の本や家族問題の本など個人情報に深く関わるような関連書籍は貸し出し時、職員の職業的無関心の装いの下にある個人的好奇心がゼロとはいえぬはずで、それを気にする人は少なからずいると思われる。貸し出しから返却までの流れを一貫して自動化したことにより対面によるささやかな葛藤から解放された意味は大きい。

今日は京都競馬場で春の天皇賞が開催された。大本命、オルフェーブルがまさかの不発で、普通ならレースが終わった瞬間の大歓声やどよめきが聞こえるのだが、このレースに限ってはなんとも言えない奇妙な静けさがテレビからでも伝わってきた。終わってから後付けで解説はいくらでもできるが、まさか惨敗とはね。私も少しだけ人参代をもっていかれた。

2012年4月26日木曜日

平成24年4月25日(水) くもり時々晴れ

店はもちろん営業しているが、月に2回入ってもらっているお姉さんがお手伝いしてくれる日で、私は休みだ。昨年11月にオープンして以来気になっていた「ホキ美術館」に行くことにした。ここは写実絵画専門の今までになかったコレクションの美術館である。

千葉にあるので三鷹からだと小旅行になる。千葉方面へは出かけることがほとんどないため、電車を乗り継ぐのも不慣れ感がでる。よく調べて行けば良いのだが首都圏の電車を乗り継ぐのに苦労することはあるまいと、タカをくくって出かけて痛い目にあったことが前にある。それも千葉方面だった。千葉をなめてはいけない(笑)。というのは三鷹から千葉方面に向かうという感覚は三鷹始発の総武線しか頭にないので東京駅経由の総武線快速や京葉線に乗るとなると、とたんに難易度が上がる。実は京葉線というのが在ること自体頭になかった。

目的地は千葉駅より先の外房線、土気(とけ)駅だ。千葉駅から二駅先の蘇我駅で総武線と京葉線が交わり内房線と外房線に分岐する。よく調べず初めてだと時間の無駄なくたどり着くことは余程の幸運であろう。

三鷹発の総武線各駅では時間がかかりすぎるので東京駅まで快速で行く。東京駅地下の総武線快速ホームで待っていると突然白人の男性に英語で訊かれた。路線図を指し亀戸に行きたいのだがこのホームの案内ではkameidoが無い、なぜか?というのだ。急に訊かれて驚いたが、相手は私が英語を理解すると思ったのだろうか(笑)。ええそのくらいでしたら大丈夫です。

私「This line is an express、local line is up floor」と階段を指さした。文法は無視。

外「Oh,thanks」

たったこれだけであるが意味は通じた。しかしすぐ正しくないことに気がついた。総武線各駅は山手線でいったん秋葉原まで行き乗り換えなければならないのだ。ゴメンね。

話がそれたが三鷹を出て二時間あまり、12時半すぎに美術館に到着。回廊形式の建物で建物自体が芸術的な建築で素晴らしい。限りなく写真に近いというより写真にしか見えない写実画のコレクションで常時160点ほどの展示だそうだ。なかなかのボリュームで有名な作品(既視感のある作品)がたくさんあった。女性の裸体画も美しく眼をみはるが生々しくもあり、大勢が観ているギャラリー(ギャラリーというのは本来イタリア語でガレリア、回廊を意味するのでここはそれにふさわしい)では風景画や他の画と比べてそこに長時間とどまる男性は少ないような気がする。それは作品が生々しいゆえ起こることで、女性の芸術的な裸体図を、男性の視線では観てはいませんよ、という各々の自己印象管理のなせるわざであろう。

三鷹からは往復一日仕事である

土気駅から3番バス停で約5分


まわりは森と住宅街

森の中からうぐいすの囀りがきこえる

原雅幸 「木造船の港」

大畑稔浩「瀬戸内風景ー川尻港」


上の二点は絵葉書を撮影したもので画質が粗いが実物群は息を呑む精密さである。ちなみに下の「瀬戸内風景」は今回展示になかった。

帰りがてら、どこかで飲もうと高円寺の友人J尾君を誘ったら、花粉症由来の下痢でとても飲める状態にあらずとの事だった。医者にはかかってないと言う。早めに行った方が良いと思うが、私は花粉症ではないので何ともいえない。お大事に。

2012年4月24日火曜日

平成24年4月23日(月) くもり時々小雨

きのうほど寒くはないがときおり小雨が路を濡らす。
ドラマ『リーガル・ハイ』の続きになる。初回の明暗を分けたのは検察側の用意した隠し球的な証人である。この証人は女子大生で毎日の生活を一日も欠かさずブログに几帳面に書いている。殺人容疑の青年のアリバイ供述がこのブログによって崩されるのだが、弁護側が彼女のブログの全てを検証してその時間的信憑性の穴をみつけた。そのブログには出来事をストックしておき、ネタのない日に振り分け編集していた事実があったのだ。それにより弁護側の勝利となる。

私もこうやってブログを書くのでこの女子大生の気持ちはわかる。いくら若者の刺激に満ちた青春時代とはいえそうそう毎日が特別の話題になることはなく平凡な一日だって多いはずだ。そこで一日で三つくらい面白いネタがあった日はストックしておき後日、何もない日に当てるため編集することにしていたのだ。

私の場合毎日欠かさず書いてはいないのでそこまでの切迫感はなく、出来事の日付を改ざんすることはない。当日の出来事でない場合はその曜日なり日付を明記することにしている。

ただし腹案で持っているネタを小出しに使うことはある。
例えば下の写真、これは日曜日に帰ってきたカミさんが福島の三春町滝桜を観に行ったついでのお土産でその日に撮影したものであるが、当日アップするのを忘れたので出来事が色褪せないうちに出さねばと思っていた。

福島土産
一番左は福島二本松「奥の松」の純米吟醸なかなかお洒落なデザインの瓶だ。ここの蔵の東京ライセンス店渋谷「奥の松酒舗」とは青山時代から何十年もの長い付き合いがあったがご主人の年齢体力的な問題もあり二年近く前に閉められた。T代さんお元気ですか、上北沢の店のほうはいかがですか。(楽屋話で申し訳ない)

2012年4月23日月曜日

平成24年4月22日(日) くもりのち小雨

四月下旬だというのに気温が11度しかない、寒いわけだ。きのう少し触れたがブログを書き続けるというのはそれなりにエネルギーがいる。ネタ切れになるからだ。私たちの多くは毎日変化に富み話題に満ちた生活をしているわけではない。だから日常というのだが、更新間隔をあけずに書くには日常のありふれた毎日の中からネタを拾わなくては続かない。ブログを始めて変わったことがある。それまでよりは、意識的に日常を見るようになった。それはお気に入りの本に付箋紙(ポストイット等)でマーキングする作業に似ている。

この春のドラマもそこそこ出そろってきた。今のところ『リーガル・ハイ』(堺雅人)主演が面白い。法廷物だがコミカルな演出、堺雅人の振り切った演技が冴えるので重さはない。初回は殺人容疑の青年の無罪勝ち取りだったが、無敗の弁護士であるがゆえ、真犯人は青年であることを暗示する画面は落としどころとしては後味が悪い。しかし深読みすれば世の中にはこういった不条理がいくらでもあるのだと呈示しているのかもわからない。
その辺りを割り引きしても面白い。冒頭のシーン、電車の中で老人に席を譲ろうと新米弁護士(新垣結衣)が立ち上がると、(堺雅人)が割り込んで座ってしまい、それを非難した新垣が逆に理屈でやりこめられてしまう。その時点ではお互い面識がない。その伏線がありラストシーンで新垣が、考えてきた理屈を並べ、「やはりあの時、あなたは席を譲るべきであった。反論はありますか?」と迫る。
それに応えた堺は「ない。合格だ」
一息おいて「あ~の~と~き~だったらな~」
これは受けた。
後になりあのときこう言えば良かったと思うのはだれしも経験があるだろう。

2012年4月22日日曜日

平成24年4月21日(土) くもり

これを書いているのは日曜の午後なのだが当日の日記とするにはまだ今日の出来事が確定していないので、土曜分とする。

ブログを続けていると書くのが面倒なときもある。そういう時は面倒でもネタが無くてもとりあえず投稿画面を開いて日付を入れる。そうすると不思議に何か書くことを考えつく。頭で考えるよりとにかく画面に向かい書き始めるという作業が先にあり、その後から頭が回り始めるという順だ。この現象は学問の世界で「作業興奮」という言葉で表現されている。『脳はなにかと言い訳する』池谷裕二:著 を読みこの言葉を知った。

(以下抜粋)
体を実際に動かしてみることです。やる気がなくてもまず始めてみる。年賀状を書く気になれなくても、まずは机に座って書き始めてみる。そうすることで、脳がしだいに活性化し、やる気が出て、のめり込んでいくことがあります。これを「作業興奮」といいいます。興奮とは、「脳の神経細胞が活性化する」という意味です。私は、本当は、朝が弱いのです。布団から出ないでもっと寝ていたい、とくに冬は、温かい布団の中が気持ちよくて、起き上がりたくないと、強く葛藤します。でも「作業興奮」という言葉を知ってからは、すぐに動き出すようにしています。脳が目覚める目覚めないではなく、まず体を起こして、歯を磨いたり、カーテンをあけたり、顔を洗ったりして、体を動かすことによって、それに引きずられる形で脳が目覚めるのです。布団の中にいたらいつまでも脳は目覚めません。
 芥川龍之介が『侏儒の言葉』の中で、「我々を恋愛(の苦痛)から救うものは、理性よりも多忙である」と言っています。これなどは、考えていてもだめで、体を動かして忘れよう」という“体主導型”の重要性を謳っているわけです。


二年ほど前に新潮社から文庫化されている。物が増えるのを避けなるべく簡素な生活をしたいので読了した本は最近手許に長く置かず処分することが多いがこの本は本棚に残っている一冊である。

カミさんが友人と福島三春町の滝桜を観に行っている。土曜の19:30からNHKスペシャル現地生中継でこの滝桜を紹介している。あいにく今年は気温の低い日が続き開花が遅れている。ようやくちらほら咲き始めたようではあるが、せっかくのライトアップに映える妖しく狂おしいまでの満開の樹齢千年国宝の紅枝垂れ桜とはいかなかったようだ。

参考までに満開のイメージ写真を貼っておきます。
福島三春町「滝桜」




2012年4月19日木曜日

平成24年4月18日(水) くもり

家を出てしばらく歩いているとき曇り空の切れ間から筋状の光の帯が射していた。


英語ではAngel's ladder , Jacob's ladder など表現はいくつかある。日本語の一般的な表現は何というのだろうか。薄明光線というのは知っているがピタリとこない。

旧約聖書のヤコブの階段 Jacob's ladder(ジェイコブズ・ラダー)という映画を20年くらい前に観た。このタイトルは物語の本質と深く関わっているので内容は書けぬが忘れず憶えている。この雲の切れ間からの光を作家開高健はレンブラント光線と言っていた。画家レンブラントが好んで描いた事を指しているのかも知れぬが定かではない。開高健が亡くなってすでに20年以上経つ。その死の一年前に最後のカナダ釣行の様子をBSNHKで以前放送したのを録画してある。その中で自然と文明についての語り口が鋭い。

「私があっちゃこちゃ渡り歩いて魚釣りをした経験でいくと魚釣りというのはプリミティブの度合いを探求する一番いい方法のようなもんなんですがね。
あの~アマゾンとかああいうのは後退する一途で、アラスカとかこのカナダとか住民が発達していて民度が、魚を保護する、大事にする、自然を守る精神のある、自然の豊かな先進国ほどプリミティブな自然が残されている。それはプリミティブとは言えない、人間が採らないとか放してやるとか保護するとか孵化場設けるとか、いろいろ努力したあげく、それですから、いわゆる第一次プリミティブというよりは第二次プリミティブみたいなもんだけども、インドネシアとかタイランドとかアマゾン、これらの第一次プリミティブは滅びたらとたんにダメになってしまう。第二次植林してる間も無く、日光に灼けて樹がただれてしまう。
だからこの人が嘆くみたいにアマゾンはもうアカンという事になってくる。一種の倒錯現象ですね。文明国であるほど自然があるということは…」

開高健が亡くなった頃のことはよく覚えている。死の床で最後まで誰にも面会を許さなかったそうだ。病んだ姿を晒すことを嫌ったのであろうか。そうだとすれば人としての尊厳をもっとも大切にしていたのだろう。



武蔵境赤十字病院の裏通り、春を告げる山吹が咲いている。

2012年4月17日火曜日

平成24年4月16日(月) 晴れ

先週はちょっと調べ物があり店までの歩きで時間を使うのがもったいなくすべてバイクで行った。徒歩だと約一時間、バイクだと10分、時間が欲しいときこの差は大きい。

今日は歩きだ。道ばたの雑草の間から春の花が見られる。

ひなげし(虞美人草)

普段持ち歩いているコンデジを忘れたので携帯に付属するカメラで撮影した。私はどうもこの携帯のカメラが好きになれない。個人の好き嫌いの話であるから携帯のカメラを悪く言うつもりはないが手を突き出して、野球の審判がアウトを告げる格好でカメラを向ける仕草に抵抗がある。カメラを向ける対象、被写体が人の場合はなおさらである。

はなにら
「ひなげし」は日本ではポピーとも言うががもちろん英語で言う阿片が採取できるポピー(芥子)とは違い麻薬成分はない。栽培禁止の芥子は葉がギザギザである。ケシの仲間はどれも花が紙のように薄く美しい。下の写真の「はなにら」は春先に六弁の花をつける帰化植物だ。この清楚な風情が好きで春になりこの花を路傍に見かけるのが楽しみである。

2012年4月15日日曜日

平成24年4月14日(土) 雨

肌寒く、春らしい暖かさとは違う雨の一日。気になっていた本をamazonで購入。


右から『読めますか?小学校で習った漢字』ペーパーバック仕様の本で500円也。漢字は奥が深い。
『歪笑小説』東野圭吾のユーモア小説集でいきなり文庫出版された。内容は裏表紙に出版社と作家をめぐる業界の内幕をブラックな笑いで描くとある。350頁ほどであるから時速100頁で3時間半で読了の予定。
『舟を編む』三浦しをん この小説は辞書編纂に関わる出版関係者の奔走を描いた作品だ。三浦しをんは『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞した若手女性作家でこういった職業物の名手である。『舟を編む』は2012本屋大賞という事できっとドラマか映画で映像化されるだろう。

今日は中山競馬場で障害競走のG1『中山グランドジャンプ』が行われた。このレースは昨年痛ましい落馬事故があり記憶に残っている。今年は雨の不良馬場で元々過酷なレースがさらに厳しいタフなレースとなったが全馬最後まで無事完走してくれたので良かった。障害を飛越するたびハラハラさせられる。結果は一番人気で堅く収まった。

夜は娘の希望で豚しゃぶの鍋だ。今日は寒かったので季節外れ感は無い。食事しながら録画してあった映画、堺雅人主演『南極料理人』を観たが飲みながらだったので途中で寝てしまい、気がつくとエンドロールが流れていた。今の映画はこのエンドロールを延々と流すが昔の映画は(終)の一文字だけという潔さがあった。このエンドロールという言葉はどうも和製英語みたいだ。
英語ではending credits または closing credits のようだ。英語版wikiを見ると credit roll という言葉を見つけるが end roll は出てこない。

しかし若い頃と違い、家で飲んでいるといつの間にか寝ていることが時々ある。知り合いで椅子からズリ落ち肋骨にひびが入った話をする奴がいた。落ちたときの衝撃音を想像するだけで笑いがこみあげてくる。

2012年4月13日金曜日

平成24年4月12日(木) 晴れ

散り始めた樹も多いが風が吹くたび花吹雪となって散りゆく桜は日本人の美意識に適当する。

新渡戸稲造が著した『BUSHIDO』The soul of Japanという本がある。1899(明治32年)アメリカのフィラデルフィアで英文で出版され世界各国で版を重ね、セオドア・ルーズベルト大統領は一読して深く感動し、知人に広く送呈した話は有名である。この『武士道』で桜について書かれた文がある。

サクラの花の美しさには気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。 
私たちはヨーロッパ人とバラの花を愛でる心情をわかち合うことはできない。 
バラには桜花のもつ純真さが欠けている。 
それのみならず、バラは、その甘美さの陰にとげを隠している。 
バラの花はいつとはなく散り果てるよりも、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである。 
その生への執着は死を厭い、恐れているようでもある。 
しかもこの花はあでやかな色合いや、濃厚な香りがある。 
これらはすべて日本の桜にはない特性である。 
私たちの日本の花、すなわちサクラは、その美しい粧いの下にとげや毒を隠し持ってはいない。 
自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる用意がある。 
その色合いはけっして華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。 
草花の色彩や形状は外から見ることしかできない。 
それらはその種類の固定した性質である。 

しかし草花の芳香には揮発性があり、あたかも生命の呼吸に似てかぐわしい。



暖かくなるとこのありさま
家にいる二匹のうちの、玉抜きしてある(笑)雄のカリン、なぜか尻尾が太い。

2012年4月11日水曜日

平成24年4月11日(水) くもり時々雨

好天はきのうまでで今日はぐずついている。花散らしの雨となるかもわからない。
先週土曜日寒い中歩き回った翌日の日曜日、妻のテニス仲間の方たちの花見に参加する。井の頭公園の西園、陸上トラックがある方だ。ちょうど『ジブリ美術館』の真裏あたりである。午前11時集合で私たちが着いたときはすでに大分混雑していたが、お仲間のS谷さんが良い場所を朝八時半に来て確保してくださった。

私はテニスをしないのでこういう時だけのお付き合いである。歳も近く皆さん気のいい方ばかりなので一緒に飲むのに抵抗はない。私用で飲む席への誘いは基本的に断らない。今までは時間的に参加出来ぬ事が多かった。

三鷹駅から玉川上水を通る

途中にある山本有三記念館

各自持ち寄る

日曜の花見の賑わい

昔はこういう景色はなかったと思う。正座している、この人。
 時代は変わったのだ。日本文化が世界に認知される事で気分が悪かろうはずがない。
三鷹通り市役所付近から北方面
花の開花が遅れたのが、好天と週末が重なり今年の東京の桜は多くの人に歓びと楽しみを与えた。

2012年4月8日日曜日

平成24年4月7日(土) 晴れ時々曇り

気温が低くポカポカ陽気とはいかぬ。花冷えではあるが満開の桜と好天と週末が見事に調和した。加えて今日は満月である。そして明日八日はお釈迦様の誕生日、花祭りであるし桜花賞でもある(笑)。昼前から近所の桜を巡回することに決め出かけた。

国立天文台が近くにありここは年中一般開放しているので散歩がてら散策する。ここは実は花見の穴場中の穴場だ。まず人が少ないうえ敷地の広大な森の中には見事な桜がたくさんある。定められた建物以外の屋外での飲食は基本的に禁じられているみたいだが、しかしそのルールの運用はおおらかで訪れている人達は静かに楽しんでいる。もちろん利用者も判っていて火を使ったり、カラオケをしたりする馬鹿者はいない。花見になると決まって起きる井の頭公園の若者の喧嘩や深夜までの騒ぎとは無縁の静謐な本来の花見だ。





太陽フレア望遠鏡と満開の桜
国立天文台は自由に出入り出来る、しかし桜がたくさんあることはあまり知られていない。それが一番だと思うが足の便が悪いのといかめしい門構えがあることで訪れる人は多くない。深山や各地方のとっておきの穴場は別だが首都圏でここまで優雅に花見ができる場所を私は他に知らない。

天文台から足を伸ばし野川へ向かう。野川は植生の豊かな川で野鳥も多い。

この辺りはさすがに人が多い

ハクセキレイ

カルガモ(カルガモは雌雄同色)

コザギ(嘴が黒く脚の指が黄色)

コガモの雄
画面の中心にカワセミ、警戒心が強いので近づけない
今日歩いただけでこれだけの野鳥を観察できた。by元野鳥の会会員(笑)


野川から深大寺へまわる。

深大寺山門

一日早い花祭りのお練り行事


薄日射す武蔵野の雑木林

馬酔木(あしび)

辛夷(こぶし)

江戸緋寒桜
 近所の庭ある見事な桜、ソメイヨシノとは違い密で華やかだ。

一輪一輪が小さくて美しい

桃の花も咲いている

ミモザも咲いている
当たり前になっている近所を歩き回ったがこのように変化に富む散歩コースが身近にあるという環境はそう多くないのでないか。ありがたいことである。

自然の営みを観察することは我の営みを見直すことでもある。

2012年4月6日金曜日

平成24年4月5日(木) 晴れ

今日は20度まで気温が上がり南向きの閉めきった部屋は暑いくらいだった。ようやく春本番だ。私の住む三鷹近辺でも一気に桜の開花が進んだ。武蔵境のイトーヨーカドーの南側の桜並木は既に八分咲きだった。




桜並木の東側に続くケヤキ並木、若葉萌える新緑の頃は命の息吹を感じる

苔むすケヤキ並木これが武蔵野である
それでも桜の開花はばらつきがあり三鷹駅北口の三鷹通りアンダーパスから西へ向かう桜並木はまだ三分咲きだ。一年に一度の桜前線を仕事の都合で長い間楽しむことなく過ごしてきた。今年は少しは楽しめる。桜前線の北上に合わせてバイクで各地を訪れる旅を一度してみたい。



2012年4月5日木曜日

平成24年4月4日(水) 晴れ

大暴れした低気圧が去り穏やかな春の陽気だ。嵐が過ぎるのを待っていたかのように、桜が咲き始めた。品種や桜の樹の個体差もあるが武蔵野地域では今日現在三分咲きの樹が多い。

今週末は絶好の花見日和になりそうだ。

剪定された幹の途中からでも花をつける逞しさ
航空研交差点の桜は三分咲き

建設中三鷹スカイツリー(笑)ゴミ焼却塔
最近始まったNHK朝ドラ『梅ちゃん先生』の堀北真希は映画『三丁目の夕日』の六ちゃんにしか見えないのは私だけではあるまい。