2012年8月31日金曜日

平成24年8月30日(木) 晴れ

今更ではあるが大腸ポリープ切除後の一週間諸制限が終わった。アルコールは術後四日目でフライング自主解除をしていたので多少気にはなっていたが時効成立である(笑)。

きっかけはともかく、一時的に禁欲生活を体験したわけである。イスラム教のラマダーン(断食月)の真似事だ。今の日本では考えもしない食べ物のありがたさを少しは感じたし、空腹気味のほうが頭は冴えることも思い出した。普段頭がぼーっとするほど食い過ぎとは思わぬが、まあこれには言い分があり、空腹を覚え食事をするときの空腹状態では頭は冴えない。空腹を覚え食欲があるのを更に我慢し、そこから水分だけで一日過ごすくらい経つと頭が妙に冴えてくるのだ。

断食道場などしかるべき場所へ行くか、今回のような健康管理の一環の中でないと、こういうことは自発的にはなかなか行わないが、ほんのひとときだが立ち止まって食生活を見直す機会ではあった。

さあ今日から飲みまくるぞ~。全然見直してないじゃん、と自分でつっこんでおく。

2012年8月30日木曜日

平成24年8月29日(水) 晴れ

八月後半になってから太平洋高気圧の張り出しが強く関東圏はずっと晴れが続いている。それでも後二日で九月になる。あのロンドンオリンピックが今月だったことが嘘のようだ。高校野球もしかり。何かずっと前の出来事のような気がする。自分のブログを読み返してみると、いろいろ書いてある。しかし日本にいながらにして時差ボケになっていたことがなぜか同じ月の内の出来事とは思えないのだ。毎日ブログを書いていると、形のある物として記録した、新しい出来事を上書きした、という意識ががどこかではたらいて、大脳新皮質に保存することを脳がおろそかにしているのかも知れない。これは旅をしたとき、想い出のためと、写真を沢山撮れば撮るほど意外と旅の印象が薄かったりするのと近いかも知れない。旅の印象を深めるのは、スケッチである。下手でもつたなくても対象物をしっかり視るという行為がその場所をいつまでも新鮮に思い出せるのだと思う。

深酒をして前夜のある時間から記憶が飛んでいて最後はどうなったのか憶えていないことがある。若い頃ならそうでもないだろうが、酒呑みのおっさんでそんな経験はないという人は少数であると思う。アルコールの作用で新しい出来事を記憶している大脳新皮質が麻痺してしまい、つまり新しい作業によるデータを保存せずに終了しているのである。

「文書@@’は変更されています。保存しますか?」

よくある話である(笑)。

2012年8月29日水曜日

平成24年8月28日(火) 晴れ

きのうの夜から自主アルコール解禁にした。異常なしである。ああ良かったとは思わない。一か八かの賭けをしているのではない。出した結論の筋が悪いかどうかは自分で判っているつもりだ。と、大きなことをいってみたが、そういう強弁を声高に主張してしまう心理の背景には、医師の指示を勝手に都合良く解釈し結果的に守らなかったこと、またそんなに酒が飲みたいのか?という自己嫌悪的背徳感を感じているからなので、つまりは小心者の為せるわざである。

ラジオで今月は満月が二回あることを知った。八月二日と八月三十一日が満月になる。三年に一度くらいの頻度らしい。そりゃ二十八日周期なのだからそういうこともあるわな、だから何?と言ってしまえば話は終わりだが、まあ、ふ~んそうなんだ、という小ネタである。

先日、映画の高倉健主演『あなたへ』を観に行くつもりであることを書いた。映画といえば、私は今月から何と千円のシニア料金で観られるのである。シニアという言葉に複雑な気持ちがなくはないが、何時行っても一人で行っても千円で観られるのは大きい。夫婦の片方が五十歳以上であれば夫婦割二人で二千円というのはあるが、これは二人ともその作品を観たいと思わなければ付き合う方に負担がかかる。余談だが以前娘と二人で府中のTOHOシネマに行ったとき、夫婦割を向こうから適用してくれたことがある。娘はふつうの二十代で老けて見えるわけではない。係の人には歳の離れた夫婦に見えたのだろうか、今も謎である。

映画は子供の頃から大好きなのでこれからは見に行く機会が増えそうだ。封切り¥1800でつまらぬ作品だと失望感が強い。なので話題作が公開されると観るかどうかの判断にどうしても躊躇がある。躊躇している内に終わっていることがままある。そのうちDVDで観ようと思っていて、DVD化されても結局めんどうで観ずじまいになることも多々ある。千円ならまあそんな悩ましいことあるまい。

というよりも、配給元や劇場経営の事情はあるだろうが、日本の映画の¥1800は高すぎると前から思っている。

2012年8月28日火曜日

平成24年8月27日(月) 晴れ

食事制限が昨日で終わった。アルコール制限期間一週間はまだ三日残っているが今日から自主解禁する予定だ。医者の指導に従わなくて大丈夫か?という想いはあるが、もう大丈夫という感触はある。その根拠は、傷口出血の可能性はほとんど最初の三日である、しかもその出血の割合は全体の0.1%である、仮に出血があったとしても再手術になることはほとんどなく薬で対処できる、このような自分に都合の良い情報(笑)を集めてみると、術後四日を経過した今、どう考えても自己責任解禁である。

人の体というのは全員同じではない。人種、年齢、性別、体力、身長、体重、血液値、既往歴など、その個体差は幅広い。ひとつの医療行為を、普く当てはめるには最も安全と思われる線を医者が選択するのは当然である。例えば一人一人に合わせてどの時点で飲酒可の判断を下すには変数が多すぎていちいち詳細に診断する時間はない。たかが嗜好物であるから安全ラインを上げとけば良いのである。私が医者ならそうするであろう。だから自分の体は自分で責任を持てばよい。

早寝早起きが推奨される。寝る前に食事はするなという。しかし長年、仕事や習慣でそれは出来ない人も多く存在する。その生活が最も体調が良いこともあるだろう。小沢昭一さんは深夜天丼を食べてから寝るそうだ。人はそれぞれ違うのだ。これは強がりで体をいたわることを無視しろと言っているのではない。ひとりひとりに合った自分なりの養生の仕方を自分で探ればよいのである。家の猫などは誰に教えられなくても調子が悪ければ餌を食べず治るまでじっとしているもの。一部有名人などによる健康法などを押しつけるのは健康原理主義だと思う。

三鷹の大沢はのどかである

2012年8月27日月曜日

平成24年8月26日(日) 晴れ

娘がブランド枝豆を買ってきた。値段を聞いたが忘れた。しかし安かったそうだ。


山形・庄内鶴岡の「だだちゃ豆」である。他関東圏で有名なのは新潟の「黒崎茶豆」があるが鶴岡から移したものらしい。関西では丹波の「黒枝豆」といったところだ。いずれも文句なしにうまい。

ケーブルTVの「日本映画専門チャンネル」というのがある。最近、高倉健の特集をやっている。私の世代で高倉健を知らぬ人はほとんどいないと思う。最新作『あなたへ』が封切られた。日本映画専門チャンネルもそれに合わせての特集であろう。テレビCMを見ると健さんもだいぶ歳をとってもう八十歳だそうだ。私は高倉健の映画は多く観ているが彼が歳を取ってからの映画数本はあえて観ていない。衰えた建さんを見たくない単純なファン心理だ。

今日は日本映画専門チャンネルの夜九時から三時間枠で『夜叉』を放映していた。驚いたのは映画が終わった後、最近撮った高倉健のロングインタビューを約一時間流したことだ。

最初、ああ健さんもジジイになっちまったなと、しみじみ観ていたが、聞き手の軽部真一氏との会話がはずみ饒舌と思われるほど色々語ってくれた。そうすると不思議にだんだんと健さんがジジイに見えなくなってきたのだ。ちょっと下を向く仕草、唇を噛む仕草、あの笑わぬ建さんが見せる一瞬のニヤリとした仕草どれもまぎれもない健さんであり、この人は衰えるどころかますます輝きを増して私たちに語りかけてきて、私の中の健さんがそこに、まさに『健さん』がいた。

「メールとかFAXで仕事やCMの依頼がくるんですよ。すべてお断りしています。メールやFAXは情報を伝えるのに便利な道具です。しかし心は伝わらない。今年一本だけCMの仕事を受けたんです。それはその会社の社長自ら直筆の手紙で、自分がなぜこの会社をやっているのかを自分の人生感とともに切々と書いてこられた。こちらも居ずまいを正して読みました。そしてその仕事を受けました」

この長いインタビューを観る機会があったことをありがたく思う。映画『あなたへ』は近々観に行くことになると思う。

明日も暑そうだ

2012年8月25日土曜日

平成24年8月25日(土) 晴れ

ひきつづき真夏日である。週間天気予報も安定した晴れマークが並んでいる。禁酒かつ食事制限中の身は休日の楽しみが半減する。暑いがカミさんを誘い気分転換に武蔵境にでる。北口の自動車教習所でサマーフェスティバルが催されていたので覘いてみた。

地元小学校によるオープニング演奏会

騎馬警官

模擬店多数

子供向けアトラクション
子供向けで危険はなさそうだが係のお姉さんの操作する手つきがめちゃくちゃ不馴れで、おいおいだいじょうぶですか?という感じだった。

白バイ子供試乗会(大人も大丈夫とのこと)

消防も参加
 全体の内容は子供向けになっていて夜は打ち上げ花火もあるそうだ。

場内をひとまわりして会場を後にする。途中休憩で「カフェ・ジータ」に立ち寄る。ここは北口から少し歩いた住宅街にある。店内に書架があり自由に読書できる。入ったのは初めてだったが以前から気になっていた店だ。思った通り落ち着いた店で近所にあれば通うのになあ、と思う。



ご主人の人柄が伝わる本棚

カフェ・シェケラート(CAFFE'SHAKERATO)
フランスやイタリアなどヨーロッパでは日本のようにグラスの中に氷が浮かぶアイスコーヒーは無い。同時にアメリカンコーヒーというような薄いコーヒーも無い。基本はエスプレッソだ。上のシェケラートはエスプレッソをカクテル用のシェーカーで急冷したものだ。きれいに泡だったエスプレッソがシャンパングラスに良く合う。今日のように暑い日に冷房が適度に効いた場所での小休止はベホイミである(笑)。

2012年8月24日金曜日

平成24年8月24日(金) 晴れ

きのうの手術後の静養ということで休みをもらっている。特に異常はなく経過は良好だ。当日も翌日の今日も痛みは全くなく食事制限をうっかり忘れそうになる。手術後の痛みがあればそちらに意識が向き、かつ食欲もなくなるであろうから、空腹を我慢するようなことにはならないと思うが、酒も飲んでいないので快調そのものでここで食事制限は逆につらい。一昨日の夕方に食事を摂ってから、昨日は水分だけ、今日は豆腐と粥を少しすすっただけだ。一応病院の指示に従っているが、徹底して神経質に守らなければならぬというほどではないと思う。繊維質の多い消化の悪い物を大量に食べなければ問題ないはずだ。と、泣き言を書いてみた。こういうときのために腹部周辺に栄養を蓄えておいて良かった(笑)。人は、ひもじさや痛みには何と弱い生き物なのだろうと我が身を持って再確認する。

車で夕方買い物に行く。

三鷹東八道路から覧るゴミ処理場の煙突
今日も真夏日で東京でも35℃近くになったそうだ。厳しい残暑だが、それでも陽が西に傾くのがずいぶんと早くなった。

平成24年8月23日(木) 晴れ

今日は大腸ポリープの切除手術をする。町のクリニックで内視鏡検査を受けたとき、二個のポリープが認められる、放置しておくと大きいので癌化の可能性を否定できない、今ここで処置してもよいがサイズが少し大きいので万一の出血に対処できるよう大きい病院でやりましょう、といった経緯で今日がその日である。

武蔵野赤十字病院

午後二時の予約に合わせて三十分前に到着。内視鏡センターに向かう。手術着に着替えるよう指示され処置室前で待つ。処置室待合ではお一人がすでに待っておられる。先客、もとい先約の方が入られるとすぐ私の後と思われる方が現れた。三十分刻みで手術の予定を組んでいるのだろう。例えは悪いが、散髪で列んでいるようなものだ。実際ここは診察をするのではなく、カルテに従い外科的処置、手術を粛々とこなす場所である。

手術は三十分ほどで終わった。大腸粘膜は痛覚がないので内視鏡手術は麻酔も不要で患者もモニターを見ながら進行する。切除したポリープを見せてもらったら思っていたより、はるかに小さく細いボールペンの芯ほどの直径で高さは10ミリくらいだった。それを担当医に伺うとモニターに映る画像は手術のため拡大してある、とのことだった。そうなんだ、私は小指大シメジのようなものだと思っていた。以前の検査で良性のものと分かっているので床屋気分でいられたのだろう。

大腸内視鏡手術は一般的には二日ほどの入院で経過観察することが多いようだが、武蔵野赤十字は日帰り手術である。担当が外科か内科かによっても扱いが違うようだ。私の場合外科の担当だったので日帰りになったのだと思う。ただ手術の結果によっては緊急入院の措置があることを前もって言われてはいた。

今日は水分摂取のみで、もちろんアルコールは一週間禁止、常食に戻せるのは術後三日目からと指示される。手術よりそのほうがよっぽどキツイわ(笑)。しかし手術であることに変わりはなく出血や腸穿孔などの危険を回避するための措置である。なので今日明日私は休ませてもらう。店はカミさんとN井さんにがんばってもらおう。


2012年8月23日木曜日

平成24年8月22日(水) 晴れ

残暑というより夏本番である。陽の当たるところを歩くと露出した部分の腕などがじりじりと熱い。

日陰寄る 鳩も猛暑に たえかねて か、どうかは分からない(笑)
けやき橋西三叉路から三鷹駅方面の街路樹トンネル
TBSラジオで朝10時半から放送している「ミュージックプレゼント」という番組がある。司会の毒蝮三太夫が関東近郊の商店などを訪ね、地元の人と交流する生番組で今年で43年を迎える長寿番組だ。あのマムシの毒舌、悪態は健在である。ひどいことを言われた方がげらげら笑っているのだから、すごい。話術の巧みさ、マムシさんの人柄の良さがなければ成り立たない会話だ。人と接するマムシさんの人情の深さが伝わってくる。

あるとき別の番組で毒蝮三太夫氏が彼の父親の思い出を語っていた。

「近所の一人暮らしのお婆さんが、寝込んでしまったときのことですよ。しばらくしてうちの親父は見舞いに行ったんだが、手土産にその時分は高価なバナナを持っていった。そして『その辺を通りかかったもんで、おめえが固まってねえか様子を見に来たんだ。まあ、でえじょうぶそうだな。おめえが今固まっちまったら、こちとらだって物入りだ。あ、それからこりゃあ、仏壇に供えてあったものを持ってきたんだ、いらなきゃ、そのへんにうっちゃっといてくんな。』と言い残してさっさと引き揚げる。実はそのバナナは仏壇にあったのではなく、わざわざ果物屋に行き買ってきたものだったんですよ。そのころはそういう人情が下町にはまだあったんですよ」

この話は心に残っている。病に伏している相手を大げさではなく、さらりと見舞う気遣い、そしてそれを相手が負担にならぬようにする大人の心配りを教えられた。

2012年8月22日水曜日

平成24年8月21日(火) 晴れ

今日も気持ちよく晴れた。太平洋高気圧が強く富士山周辺の雲を上から押し下げているので、夏場の東京から富士を望める日が例年より多いそうだ。

私の部屋のベランダには暑さ対策で葦簀(よしず)を立てかけてある。昔から日本にある便利な陽避けの道具である。


晴れた夏の昼間は明るいので部屋の中からカメラのオートモードで撮すと外の景色が白飛びするか、部屋の中が黒くつぶれるかのどちらかになる。なので露出優先モードに変え少しだけ露出補正をしている。

ISO-200 f/4  1/80sec  +1step CanonPowerShot-A720IS 8.0M-PIXELS

私が普段持ち歩いているサブカメラは五年前の古いコンデジである。最新機種と比べると性能は見劣りするが単三電池を使用するので電池切れときは調達しやすい。予備のエネループも常時携帯している。電源切れの心配をしなくてもすむのでストレスがない。ブログに載せる写真を撮る目的で使用する限り私には十分の性能である。

2012年8月21日火曜日

平成24年8月20日(月) 晴れ

安定した夏空。おとといのような何時いきなり降り出すか分からぬ怪しい雲行きではない。太平洋高気圧が広く日本列島を覆っているそうだ。

お盆休みが終わり今日から始動の人は多いと思うが街の雰囲気はまだ夏休みの余韻がある。それは平日の昼間は見かけぬ就学中の子供たちを、この時期はまだ多く目にするからだろう。

高校野球の準々決勝が始まった。以前は準々決勝は一日四試合を組み、強豪が揃う一番お得感のある一日だったが、選手の疲労を考慮し今は一日二試合、二日に分けて行われている。順番に一日ずつ休めるしくみだ。

今大会は神奈川代表、桐光学園の二年生エース松井裕樹がにわかに注目された。一試合三振奪取新記録22を刻みその後の試合でも二桁三振で勝ち進んだ。今日は青森、光星学園と対戦し15三振を奪ったが、試合は3対0で敗れた。八回のワンチャンスをものにした光星学園はまとまった良いチームだ。松井君は二年生なのでまだ来年がある。来年は地方予選から注目されるだろうなあ。俳優の森山未來に空気を入れちょい膨らませたような顔つきである。新たなスターの誕生でもある。

高校野球の面白さは各都道府県から出場するので県別対抗という郷土愛をくすぐる点もあるが、いつエラーするか分からぬつたなさ、あのはらはら感が面白いのである。

2012年8月20日月曜日

平成24年8月19日(日) 晴れ

朝から雲のない夏空がひろがる。気温はどんどん上がってゆくが湿った暑さではない。ニュースで京王線の調布・国領・布田の三駅が今日から地下駅となり利用開始したと、言っていた。この辺りの「開かずの踏切」渋滞が一気に解消されることになる。なんと18カ所の踏切がなくなったそうだ。京王線は幹線の甲州街道に平行して走っているので、この工事で渋滞が緩和される意味は大きい。今日は電車に乗る予定はないが興味半分で調布駅にバイクででかけた。
調布駅西側

大勢が記念写真
8.19はバイクの日でもある

仮設舗道
調布駅

駅舎は残っているが三年ほどで線路部と共に撤去され公園などに再整備されるようだ。街が新しく便利になってゆくことは得る物と失う物がそれぞれあると思うが、空間が広く緑が多くなることに反対する声は聞かない。



2012年8月19日日曜日

平成24年8月18日(土) 晴れ一時雨

家内は朝から陶芸に行っている。私は昼過ぎから用事で車を出す。夕方帰る時、中野でパラパラしていたのが、高円寺の南、青梅街道から五日市街道に入り善福寺公園近くですごい雨になった。最近ゲリラ豪雨などと呼ばれる雨だ。略してゲリ豪、略さないほうがよいと思う。

雷鳴が轟き車のワイパーが効かないような降り方だ。突然降り出したので自転車やバイクの人は気の毒だ。たとえカッパなどの雨具を持っていてもそれを着用している間に濡れ鼠になってしまうような激しい降り方の大粒の雨である。車の屋根を敲く雨音でカーラジオが聴き取れない。
信号待ちで道行く人を見たとき、多くの人は前のめりになって先を急ぐように自転車にかぶさったり歩いたりしているが、自転車の若者の一人はもうすっかりあきらめて濡れるにまかせ、むしろ雨ざらしを楽しんでいる様子で鼻唄でも聞こえそうな漕ぎ方で悠々と雨の煙の中に消えていった。

環八を越え人見街道に入ると小降りになり久我山辺りでは陽が射してきた。三鷹に入ると雨はすっかり上がり強い西日が濡れた路面に反射して西向きの進行は車のサンバイザーを下ろしサングラスを着けていてもすごく眩しかった。

今日は夕方から三鷹駅南口で、三鷹阿波踊りがある。一度観に行ったことがあるがなかなか賑やかである。むろん本場徳島と踊りのうまさを比較してはかわいそうだが、それはそれとして皆さん楽しんでおられる様子だ。ただそのとき何か違和感を感じたので、後になってあの違和感は何だろうと考えた。本場であろうと踊りが下手な人も大勢参加している。踊りのうまい下手ではないのだ。何かが足りない感じがするのだ。それは何なのだろうと、考えた。

それは太鼓と鉦(かね)の拍つ力強い二拍子が前面に出すぎるため、単調になってしまうことからくる物足りなさだ。私は四国にいた頃、数年を徳島で過ごしたことがある。なので本場の阿波踊りを何度も体験している。何が決定的に違うかといえば本場では笛がよく聴こえ、東京では笛が聴こえないのである。

阿波踊りのあの浮き立つような興奮を生むものは、笛である。主旋律を笛がリードしてそれに三味線が合わせ、太鼓と鉦が華を添えるという構成であり、お囃子の主役は笛であって決して太鼓や三味線ではない。

この横笛、篠笛はむずかしいと聞いた。分かっていても東京では笛の吹き手が揃わないのであろう。なのでお囃子全体の音色が豊かさや厚みに欠け何か物足りなさを感じるのだと思う。この辺りはそれを支える系譜、伝統の総量が踊りの印象に深く関わる。本家と分家の違いである。

理屈はともかく楽しければいいんだけどね。

徳島の本物の阿波踊りを一度でも体験すれば、何故この踊りが全国に拡がり世界水準でも高く評価されているのかが感動と共に理解できると思う。ちなみに高円寺の住人J尾君は毎年高円寺阿波踊りが開催される二日間は高円寺から避難するのである。「あんなん、阿波踊りじゃない」と彼は言う。彼は徳島出身である(笑)。


2012年8月18日土曜日

平成24年8月17日(金) 晴れたり曇ったり夕方以降一時雨

たまたま見つけたのだが、日清の「カップヌードルLight」を冷やして食べる、夏はICEで!というキャンペーンを知った。作り方は少なめにお湯を入れ混ぜた後、氷を投入して冷えたのを食べる、というものだ。さっそく試してみた。

油脂の固まりの関係でLightであるのが重要らしい

少なめのお湯

氷を投入
面白いアイデアだと思う。うまく作れば冷えたのもアリかなと思わせるが、そこまでしなくても冷たい麺類でこれより美味しいのは普通にあるので、これがクセになることはない。

まだ夏休みの人が多いのであろう、何となく人が少なくて町が静かである。

2012年8月17日金曜日

平成24年8月16日(木) 晴れ

暑さが戻ってきた。盛夏である。

今から五十年あまり前、当時父の仕事や家族の関係で高松(香川県)の中心街から郊外の屋島に移り住んでいた。私は小学校低学年で、大人の世界の事情は知ることもなかった。

その当時の大人の多くは鬼籍の人となり私の両親もすでに遠逝している。今、色々なことを知っている人はわずかである。二年ばかりを屋島で暮らした。夏のおわりのころ、少し歩いた所に農業試験場だったと思うが確かではない、その関連施設だったかもわからないがそこへ母に連れられて行った記憶がある。そこは盛りを過ぎた野菜を分けてくれる所だったと思う。炎天の中埃立つ道を日傘を差した母と一緒に歩いたことをよく憶えている。その試験場に入り自分でうらなりのひねた胡瓜を好きなだけもいで貰って帰った。母が漬けたその曲がった胡瓜の糠漬けの味を懐かしく思い出す。

今の私の暮らしでは見ることもないが、私が四国の屋島で過ごした子供の頃のこういう炎天の日は乾いた道に陽炎が揺れ夕方の田の畦道には蚊柱が立っていた。


屋島山頂北嶺、獅子の霊巌(ししのれいがん)より瀬戸内海、女木(めぎ)島を臨む。

2012年8月16日木曜日

平成24年8月15日(水) 晴れ

昼前に次男夫婦を送って行った。カミさんは友人とランチにでかけた。家で何か作るのも面倒だったので長男と二人で近所の回転寿司「スシロー」に行く。一時半を廻っていたがさすがにお盆でけっこう混んでいた。回転寿司が好きなわけではないが住んでいるのが郊外の住宅地なので近所に廻らぬ寿司屋がないのである。

ファミリー層をターゲットにしているので、廻ってくる商品はどきりとさせるものがある。お子様目当てのプリンなどのデザートやジュース類が廻っている。デザート類などは驚かないが、焦げ茶色のピンポン球より二回りくらい小さな丸い物体が軍艦巻きの上に載っている。よく見たらミートボールだった。何かいけない物を見てしまったような気分になる。ミートボールの軍艦巻きが、当たり前だが、無言で廻ってくる様はかなりシュールである。ほかにも穴子の天ぷらの軍艦巻きや牛肉カルビの握りがあったり、寿司の概念を見事なまでに打ち破っているというか、もうこれを寿司と呼んでいいのか?レベルの、ある意味開き直った商品構成に感心した。既成の感覚に留まっていては生き残れない回転寿司店経営の競合が背景にあるのだろう。


夕方の空の色や雲の形の印象は、それを見る人のその時の心象によって感じ方が変わるのである。さあ明日から仕事だ。

2012年8月15日水曜日

平成24年8月14日(火) 雨のち晴れ

朝目覚めると雨であった。きのう次男夫婦と深夜まで飲んでいて、今日はとくに彼らの予定がないので私たちと一緒に過ごすことになった。

高速道路のリアルタイム情報を見ると、昨日と違い空いている。それならば昼食と小ドライブということで八王子の「うかい鳥山」に行くことにした。混み具合が懸念されたので念のため電話で問い合わせると当日予約でも大丈夫だった。

長男は明日まで休みで今日は空いていた。娘はあいにく仕事である。フレックス休暇で九月になってから取るそうだ。結局私たち夫婦、長男、次男夫婦の五人で出かけることになった。長男の運転でGO!

調布から八王子まで快適な15分
うかい鳥山の正面入り口
ここは八王子の山を開いてつくられた広大な敷地にある個室料理屋だ。それぞれが離れになっていて素晴らしい。写真だけを見せ、ここは京都だ!と言い張れば通りそうだ。
個室からの眺め
やまいもとジュンサイとミョウガの前菜

茄子と揚げ出しのあんかけ

竹酒の冷酒
 長男には悪いがウーロン茶で我慢してもらう。

地鶏の吸い物

焼き物セット


麦入りとろろご飯と香物

やまぶどうの氷菓
 係の方が「やまぶどうのシャーベット」と説明してくださったが、このようにシャリシャリした氷菓はシャーベットとはいわない。シャーベットというのはもっと糖度が高くねっとりしていて口に運ぶとたちまち融けて口中に素材が香る。今日出されたものは正確にはグラニテ(Granité)といい、シャーベットと混同されて認知されているが一応別物である。それは置いといて、ぜんぶ美味しくいただいた。ごちそうさまでした。

食後庭園を散策する。




復り道で高尾山口にある「トリックアート美術館」に立ち寄る。ここは錯視をテーマにした美術館である。夏休みで子供連れが多い。子供たちは楽しいであろう。われわれも楽しんだ。


階段は絵である


床全体が絵である

手前の少年も絵である

説明不要(笑)
おなじみ「エイムズの部屋」
「エイムズの部屋」は一番人気で写真を撮ってくれる係のお姉さんがいる。

日帰りの楽しい骨休みになった。この後次男夫婦はもう一泊してゆくことになりまた酒盛りになった。なのでブログの更新が遅れたのである(笑)。


2012年8月14日火曜日

平成24年8月13日(月) 晴れ

今日は妻の実家の掃苔をするため沼津に向かう。帰省ラッシュは終わっているものと思ったが、東名が混んでいて普段の倍の時間を費やした。


帰りの東名も混んでいてやはりこの時期の移動は混んでいることが前提の段取りをせねばならぬ。

7時半に帰宅、次男夫婦が来るというので三鷹駅まで迎えに行く。その後酒盛りになる。以上、またあした。


2012年8月13日月曜日

平成24年8月12日(日) 晴れ

オリンピックの喧噪がほぼ終わろうとしている。カミさん情報で近所にフランス料理店が出来ているというのを聞き出かけることにした。どこまでを近所というのかは個人的な感覚もあろうが、地名表示は同じ三鷹の大沢なので遠方ではないが、自転車がいる距離である。それにしても繁華街から遠く離れた住宅地での冒険的な出店は勇気がいったであろう。


場所は野川公園の近くで店名を『アン・プティ・ポン』(小さな橋)という。ちょうど昼の12時に予約を入れた。若いご夫婦でやっておられるようだ。20席の店で私たち夫婦が席に着いたときは先客の方がお二人いらっしゃった。その後、二組の来店があり、そのうち一組は7人の家族連れで途端に賑やかになった。

田舎風お肉のテリーヌ

鴨腿肉のコンフィ

説明不要(笑)

ごま風味のブランマンジェとマカロン

エスプレッソ
ランチで¥1300+デザート・コーヒーで¥1800也。頑張って下さい。