2015年4月30日木曜日

平成27年4月29日(水) 晴れ

4月29日というのは昭和天皇の誕生日で、私たちの世代は長い間「天皇誕生日」として育ってきたので今でも「昭和の日」というのはピンとこない。

朝起きた時点で血圧を測る。


よしよし、どこに出しても恥ずかしくない数値である。どこにも出さないが。

これなら低すぎてフワフワした感じはない。朝食をちゃんと摂る。


食後、時間もあるし脚ならしに景信山あたりに行ってみようか、と思ったが、まだ肺の奥に違和感があり、元に戻そうと焦っても苦しい思いをするだけになりそうなので自粛する。

カミさんは同窓関係の用事で出かけたので、昼はひとりである。へぎ蕎麦を茹でて食す。へぎ蕎麦は布海苔が入っているのでうすく緑がかっている。


食後のコーヒーとチョコ。


夕方になり散歩に出る。早く歩くことよりもとにかく距離を歩くことからのリハビリ散歩。積み上げてきた脚力はわずか9日入院しただけで貯金(貯筋)ゼロである。


天文台通りを南に下り野川にまわる。


八重桜の花むしろがまだ残っている。




水車小屋のケヤキの大木がモリモリと逞しくなってゆく。野川から飛橋(とびばし)を渡り崖線舗道に向かう。

蔦(つた)の飛橋
 崖線舗道を二段飛ばしで上がってみた。


休まずに上まで一気に登ると脚にきた。ガクガクするほどではないが、脚力は確実に落ちている。それよりも、やはり肺がまだ治りきっていない。息を深く吸い込むと肺の奥からむせてくるのだ。

これでは山に行くのはまだ早い。山では普段心肺機能を100%出し切るような歩き方はしないものだが、いざという時には全開にできる余裕があってこそ、気持ちにゆとりができるのだ。焦らずにやるしかない。山は逃げない。



丹沢も富士も奥多摩も見えず。


初夏のような風が舗道を吹き抜けている。崖線舗道から天文台構内にまわる。


まだハナダイコンの群生が見られる。帰宅して飲む。久しぶりに飲んだが、しみじみウマいという感慨みたいなものはなかった。飲まなきゃ飲まないでいられるものだ。習慣的に何十年も飲んできたが、酒飲みが自嘲的に冗談でよく言う言葉「アルチュウハイマー」でないことは判明した(笑)。

2015年4月29日水曜日

平成27年4月28日(火) 晴れ

ここ3週間近くアルコールを口にしていない。禁酒しているのではないが、結果的にそうなってしまった。昨晩も店から帰り、リビングでテレビをちらりと観ただけで寝室へ直行した。

眠くなくともベッドに入るとそのうちボンヤリしてきて、朝まで通して寝ることはないがいつの間にか寝ている。早寝すれば当然朝早く起きられる。

6時半起床、コーヒーを飲みながら早めにブログの更新をすませる。

きのうの診察で、今あるふらつき感は体力の低下によるものだと言われたのだが、なんだか少し違うような気がしていた。

貧血を疑ったが、血液検査のデータを見ると赤血球、ヘマトクリット他貧血に関するものは正常値で貧血はない。他肝臓、腎臓、血糖値他全て正常値に戻っているので血液検査上はもう健康体に戻ったと判断できるのに、何なのだろう?

たしかに担当医が言うように、入院による想像以上の体力の低下があるのかも知れないが、この頼りないふわふわした感じ、目の前が暗くなるような感じは、う~ん、何かいつもとは違うのだ。

そこでよ~く考えてみた。♪よ~く考えよう~、お金は大事だよ~♪というCMが浮かんだが、それはどうでもよい。

そこで思い当たったのだ。

低血圧!

元来血圧は低い方なのだが、太るに従いそれなりに上昇していて、78㎏と一番体重があったときは上が135mmHgまで上がっていたことがある。

入院前は72㎏で入院中毎日定時に計る血圧は120mmHg/76mmHgくらいで正常値を保っていたが、あまりにも健康的な生活、酒は飲まない、深夜の飲み食いはしない、を3週間も続けたおかげで、さらに体重は減り、その体重減のグラフ曲線をなぞるように血圧も低下していた。

家の血圧計で今朝測ったところ、106mmHg/66mmHgを示していた。血圧が高いのは気になるが、低いのは歓迎であるから普通誰も気にすることはないし、私も全く気に留めてなかったが、よ~く考えた結果、これしかないと思い至ったのだ。

ふらつき、ふわふわ感、目の前が暗くなるような感じは、低血圧によるものだとすればすべて説明がつく。

過ぎたるは及ばざるがごとし、だった。何十年もしたことのない生活に身体の方が驚いて過剰に反応したのだろう。貧血ではないのに、カミさんから「顔が白い」と言われたもの。

血圧が上がるようなことをするのは簡単である(笑)。今日まではおとなしくしておくが、明日からはアルコールも解禁することにしよう。

ようやく山歩きを再開しよう、という気になってきた。休日の高尾山系でも少し外せば、人のいない静かなコースはたくさんある。


2015年4月28日火曜日

平成27年4月27日(月) 晴れ

退院後一週間、武蔵野赤十字病院に10時予約の入っていた診察に行く。


診察前60分に朝一番の採血と胸部レントゲンを撮影して診察を待つ。採血もレントゲンも休み明けなのか、とても混んでいて待っているだけで病気になりそうだ(笑)。

診察結果は、良好で肺炎の白い影もなくなり、血液検査も正常値に戻っていた。

担当医からは「もう投薬の必要はないでしょう。咳が残っているのは1,2週間かかるかも分かりませんが問題はないのでご安心下さい」とのことだった。

「今日で終わりです」と言われて、最後に、ふらつきがあるのは薬の副作用なのかを尋ねたら、思わぬ答えが返ってきた。

「薬の副作用というより、入院中の体力の低下でしょう。一週間入院しただけで想像以上に体力が落ちます。徐々に無理をせず戻していってください」とのことだった。

そうか、屈強な宇宙飛行士だって、長い宇宙空間での滞在後、地上に帰還したとき筋力が落ちて歩けないというものなあ。

考えてみれば入院生活というのは、手洗いに行く以外は眠っていなくとも横になって寝ていることが多い。わずか9日間といえど、楽をした身体は正直に反応して体全体の筋力、体力を落としていったのだ。

日常生活で、今日は運動をサボった、というレベルの話ではない。

起きているより横になったほうが楽、と思うまでに体力が落ちていたのだ。ネットで調べてみると退院後、病気や怪我にもよるが元に戻ったと実感できるまで、入院日数の倍を要したというような話を散見する。

薬も今日で飲み終わる、リハビリの開始である。


2015年4月27日月曜日

平成27年4月26日(日) 晴れ

昼前に選挙の投票に行く。風が心地よい。一年を通していちばん爽やかな一日に数えられると思うが、体調がいまひとつだと、間に膜が挟まっているような感じでなにか歯がゆい。


歩いて7,8分で投票所の小学校に着く。



投票をすませて天文台の構内を抜けて帰宅する。


昼はカレー風味の炒飯。



デザートのアイスクリーム。ちょうど女子ゴルフの生中継をやっていてついつい観てしまった。私はゴルフをやらないので普段わざわざ観ることはほとんどないが、たまたま点けたら最終日終盤でスコア-6で6人が並ぶ、ミスをしたら負け、の息詰まる展開で、各局最後まで観てしまった。

最後は18H最終ホールで、藤田光里(ふじたひかり)という20歳の若手がグリーンエッジからのパットを鮮やかに決めて優勝した。美人なのでおじさんは一発でファンになりました(笑)。

昼寝をしてから夕方自転車でコンビニにアイスコーヒーを買いに行く。最近CMでフレンチの鉄人坂井宏行氏が出演している「ネスカフェゴールドブレンド・コク深め」を買おうとしたのだが、売ってなかった。残念。





夕食後がんばって起きていたが、だるいので8時過ぎにダウン。まだ本調子からは遠い。

2015年4月26日日曜日

平成27年4月25日(土) 晴れ時々曇り

ここ二週間病気になったおかげで、おかげというのも変だが、三食をきちっと食べてアルコールは飲まない、夜遅い食事はしない、というまことに健康的な食事風景になっている。

当然肺炎の影響で身体が消耗して病気としての痩せもあるだろうが、三食とも小食低カロリーだったので、体重が一気に落ちた。理想体重が遠い数字ではなく現実の視野に入ってきたぞ。

これを機会にもうちょっとがんばってみよう、という気にさせてくれる数字なのだ。

私は身長が171cmで、思い描く理想体重は65㎏を切るくらいなのだが、ここ数年体重は増加するばかりで、最高値78㎏を記録したときは、さすがにこれはイカンと思い体重を落とそうと、心はそう思うもののなかなか結果が伴わぬ日々が続いていたのだ。

72㎏くらいまでは落ちるのだが、すぐに2㎏くらいは戻ってしまう繰り返しで、70㎏は大きな壁だったのが、今回肺炎のおかげで(笑)68㎏台にまで落ちたのだ。私でなくともなんかいけそうな感じでしょ(笑)。だめかなあ。

このまま維持してあと3、4㎏がんばってみよう、と本気にさせてくれる値である。


朝食をすませて昼前に散歩にでる。まだふらつきがあり、肺の奥がヒリヒリしているので、恐る恐る身体を観察しながらの散歩である。


天文台通りから古八幡にまわる。


季節の変わり目に二週間空白ができたので、様子が一変していることは想像通りだった。



緑が濃くなった。


野川から崖線舗道にまわる。この肺がヒリヒリした状態できついかなと思ったが、無理をしないでリハビリ気分でゆっくり上がったら、それほど辛くはなかった。それよりも体重が落ちた分、脚が軽いのは驚いた。




丹沢も富士も奥多摩も霞の中である。


天文台構内をゆく。タケノコがいっぱいでているが、もちろん採集は禁止である。写真のように地表に出たもの食用にはならない。




4㎞近く歩いて帰宅後、お昼にする。許容範囲のあんみつがデザート、半分だけ食べる。

もう大丈夫かなと思ったのだがまだ散歩はちっと重かった。身体がしんどくなってダウン。

やけどにお湯をかけるようなことをしてはならない(笑)。


2015年4月25日土曜日

平成27年4月24日(金) 晴れ時々曇り

自分の健康を意識しないときが健康だとして、今の体調は64.8%くらいである。端数の4.8は消費税である(笑)。

怪我でも病気でも身体に不具合があると、どうしてもそこに気持ちがいってしまい、心は内向きになる。これをよい機会ととらえ一度立ち止まって人生を内省的に見つめ直すのが賢人なのだろうが、いまだ我執にもがく愚人の私は、早くこの不調から抜け出したいと思うばかりである。

しかし、どうして肺炎になるかなあ。いまだに信じられん。調べてみると風邪と肺炎は別物で、風邪をこじらせて肺炎になった、というのはどうも正確ではないようだ。

風邪を長引かせ、呼吸器系が弱っているところに肺炎を起こすウイルスまたは菌類に感染して、はね返す力がない場合に発症するらしい。

そして肺炎を起こす菌類はヒトの身体に常在する菌で通常の状態ではおとなしいが、風邪でノドの粘膜の免疫機能が損傷している場合に暴れ出す仕組みだそうだ。エイズの日和見感染と同じだ。

肺炎を起こすウイルス、菌類はたくさんあり、どれに感染して発症したかを特定するのはなかなか難しいそうで、現場のお医者さんも「肺炎はけっこう厄介なんですよ」と言っていた。

一発で劇的に抗生剤が効く場合もあるが、組み合わせを変えてもなかなか効果が出ない場合、最終的には気管支鏡を入れての物理検査に至る場合がある、と聞いた。

ここでは説明は省くが、50歳以降の男性に多い「器質化肺炎」という難病の可能性を否定できないことも今回初めて担当医から聞いた。どうやらそれではなかったようだ。

とにかく風邪をひいたら生体の防衛網が壊されるので、引き始めからノドをうがいで洗浄して常在菌によるそれより下部の気道への侵入を防ぐことが肺炎を予防するためにはとても大切なことである、と知る。

昔から言われていることで、何も目新しいことはないのだが、「手洗いとうがい」の励行は、ないがしろにされがち、という意味では、この「手洗いとうがい」の有用性を今回やっと身をもってしっかり学習した(笑)。

入院するような重い病気には今まで罹ったことがなく、普段表に出すことはしないが、内心では若さ自慢、健康自慢の強気の鼻だったが、今回でポッキリ折れてしまった。これからは弱気で臆病なくらいでちょうどよいのかも知れない。

薄皮を剥がすように病気がよくなる、という言葉があるが、今はちょうどそんな感じです。

2015年4月24日金曜日

平成27年4月23日(木) 晴れ

火曜日に退院して3日目、今日から店に出る。薬の副作用でふらつきがあるが、なんとかなるだろう。仕事になるかどうかは、接客で笑顔をつくれるかどうかである。

入院したことは現実にはどこにも連絡していなかったが、ブログを読まれて私が体調を崩したことをお知りになったのだろう、入院中メールでのお見舞いや直電のお見舞いが数件あった。中には親類から現ナマ見舞い(笑)もあった。みなさんどうもご心配をおかけしました。

他にも、ブログでおつきあいのある早稲田大学の大久保孝治先生のブログ「フィールドノート」でもわざわざ「お大事に」と取り上げられ、思っていたより各方面にご心配をかけていたことを知る。

あらためて、みなさんご心配いただきありがとうございました。本日より復帰いたします。

今から入院中をふり返って、ブログの欠落した日々を埋める追記はしないが思うところはある。

入院生活は世間の交流から遮断されたある種の隔離状態である。せっかくの半強制浮き世離れであるから、新聞やニュース情報をなるべく入れないようにした。

個室に入っていたのでテレビはイヤホンではなくスピーカーから音声を出して自由に視聴できたが、地上波は極力避けてBSの動物物や紀行物を拾って観ていたので体調は悪くとも心は穏やかだった。

9日間その生活をして退院後、家でしばらくぶりに地上波を観ると、ニュースやバラエティも含めていやな「毒」を感じたのだ。

不安と欲の入り混じったあのいやな感じだ。高見順『いやな感じ』を思い出すが話が逸れている場合ではない。

何か今の地上波のテレビ業界が向かっている方向には、ゆったりとした時間、安心とかやすらぎ、おちついた微笑みのようなところには決して辿り着かないように思えたのだ。

病み上がりの半病人のたわごとです。

入院中の教訓 「素朴であれ」




2015年4月23日木曜日

平成27年4月22日(水) 晴れ

夢を見ていた。夢であるから整合性も脈絡もない。ひとり山道を歩いていたら、いつの間にか石の河原を歩いていた。乳色の靄のようなものがかかっていて、水の流れる音のする方へ行くと川岸に小舟がありヒトが数人乗っていた。なぜかシンとしていて誰もひと言も話してはいない。

船の側には誰かか立っている。顔は見えぬがヒトではないのを感じる。おそらくこの者は、どこから来たのでもなく、どこに行くのでもなく、永遠に眠ることも休むこともなく、ここで生きもせず死にもせず、やって来たヒトを船に導いているのだ。

私も船に乗ろうとしたが、乗るための小銭がなく船は行ってしまった。と、ここで目が覚めたのである。あぶない、あぶない、もうちょっとで渡るところだった。

まあこんなベタな夢は見ようと思ってもそうそう見られるものだはなく、だいぶ話を膨らませてあるが、今回の入院はそんな夢を見てもおかしくないくらい重かったと、言いたかったのである。

黒澤明監督、映画『生きる』のラストで志村喬が唄う「ゴンドラの歌」の場面が自分に重なって見えたもの。

いずれにせよ、これからは明日の命はどうなるかわからない、と思い知った9日間だった。

今日まで娘やN井さんに手伝ってもらう。今年は4月がなかったような気分だ。

今回の入院で、体重がかなり落ちた。鏡を見ると頬がすっきりしているもの。痩せたというのか病気でやつれたというのかはわからぬが、入院中は普通食ですべて完食していたので食べないで痩せたのでない。もちろんアルコールを抜いたのも大きいと思う。

この体重を維持してさらにあと数キロ絞ればかなり希望の数値に近づくことになる。復帰に向けて明るい材料である。残り5日分の薬を飲み終えれば完全復調の予感はする。


2015年4月22日水曜日

平成27年4月21日(火) くもり

本日午前中に退院した。といっても完治しての退院ではなく、こちらからの「お願い退院」だった。素人判断だが、ここ3日は解熱剤を使わずに平熱を持続しているし、後は自宅療養にしたい旨を伝えて何とか退院許可が出た。

まだレントゲンには肺炎の影があるので、ぶり返す可能性があることを忘れないでください、と釘を刺されての退院である。

4月13日(月)に武蔵野赤十字病院に緊急入院して9日間、ここまで長くなるとは思わなかった。

入院してしまえば2,3日で軽快すると思っていたのだが、そう甘くはなかった。抗生剤が思うように効かなかったのだ。長くなるので経過は省くが、抗生剤の組み合わせを変え4月17日(金)になってようやく熱が下がり始めて快方に向かいだした。最初に風邪で体調を崩したのが4月3日(金)だったので、4月17日まで2週間が経過している。たかが風邪と侮って油断していたわけではないが、結果的に悪くしてしまった。

こういうのって、防ぎようがあるのだろうか。還暦を過ぎると周りを見てもきのうまで人一倍元気だった人が倒れたという話は珍しくない。もう運命のようなものだとしか思えない。

直近の例でいえば、4月26日投票の三鷹市長選で現清原慶子市長(63)を引き継いで立候補予定だった河村孝副市長(61)が告示直前に倒れて、急遽清原氏の再立候補となった、当事者にとっては大事件があった。

私は以前の仕事の関係で河村氏とは個人的に面識があるが、身体が大きくとても壮健に見える方で病とは縁のなさそうな印象だった。

ご本人も無念極まりないと察するが、病魔は何の遠慮も容赦もなく牙を剥き突然襲いかかるのだ。

今思う。富も名声もいならい。自分の脚で歩き花鳥風月を楽しむことができる、これ以上の幸せはない、と私が思うに至っても不思議ではあるまい。


9日間個室に入ってそれなりの高額入院になったが、これは相応の年齢に達している人間は覚悟しておかねばならぬコストであることを知るべきであろう。

退院はしたもののまだフラフラしていて今日は店には出られそうもない。情けないの~。

2015年4月15日水曜日

2015年4月13日月曜日

平成27年4月12日(日) 晴れ

38.5℃から最高記録39.6℃の高熱が続いている。肺炎恐るべし。さすがに救急車は呼ばないが、呼んでいる姿を想像してしまう。

ベッドに横たわっているだけである。映画『イングリッシュペイシェント』のようである。あの映画はよかった。映画の話をしている場合ではない。

もう寝過ぎているのでベッドに横になるのも苦痛なのであるが全ての姿勢の中で「横たわる」他には姿勢がないのだ。つまり起きていられなくて行き倒れのような状態なのである。

入院して病院の管理下に入るのも安心ではあるが、いずれにしても肉体の苦痛は誰も代わることはできず、自宅治療で考えられる投薬を受けているので、ひたすら耐えるべき時を耐えるしかない。

2015年4月12日日曜日

平成27年4月11日(土) 曇り午前中小雨

朝一番で医院へ行く。処置室ににて点滴を受ける。昨日は抗生剤だけだったが、脱水もあるということで血液の水分バランスをとるため500ccの点滴も追加された。こういう処置は飲み薬と違い医療機関でないとできない。あわせて解熱剤の注射を打たれる。

処置室での点滴は2時間近くかかったが、具合が悪く横になっているのが楽なので少しも長くは感じなかった。

その後、きのうも言われたが明日は日曜で休みだから、もし悪くなったとき無理して我慢をせず救急車を呼びなさい、とくどいように言われる。

近年高齢化が進んで高齢者人口が多くなった結果、死亡原因にも変化があり全体では1位が癌、2位が心疾患、3位が脳血管疾患だったのが、肺炎が2011年には脳血管疾患を抜いて3位になっているそうである。実際肺炎で亡くなる人の96%が65歳以上の高齢者という数字がある。

日ごろ元気で健康的に過ごしていて、本人もまだまだ若いと思っていても年齢とともに身体の免疫力は若いころと比べて落ちているので、ちょっとしたきっかけで急激に症状が進むことがあるようだ。

まったくその通りなのでひと言も返せません。歳を取ったら肺炎には注意しなさい!とうことである。

帰宅してベッドに直行。解熱剤が効いている間は楽になるが、切れると寒さがやってきて高熱が出るというジェットコースターのような時間が続く。まだ使ってないが経口薬が効かない場合、座薬の「ボルタレン」まで処方されているから何とか持ちこたえそうだ。

2015年4月11日土曜日

平成27年4月10日(金) 曇りのち雨

昨晩寝てから明け方にかけて咳が出るようになりゆっくり寝ていられないほどにまで悪くなった。先週から風邪をひいていて薬をのんでいたのだが、それにしてもちょっと長すぎるな、とは思っていたが、仕事に行けないほど調子が悪いわけではなくそのうち軽快するであろうと思っていた。

朝になり体温を計ると39℃を超えている。これはもうただの風邪ではないな、と判断してもう一度近くの医院へ行く。

ここのところの一週間の流れを話して、インフルエンザ検査をしても陰性で、インフルエンザではない、どうもおかしい。

レントゲン検査で胸の様子をチェックすると、何と右側の肺が真っ白だった。

医者「肺炎だね、本来なら即入院だけど一日様子を見ますか」

私「肺炎って、そんなに悪いんですか」

医者「うちは入院設備がないからだめだけど救急外来で入院するレベルだね」

私「どおりで何か調子が悪いとは思っていたんですよ」

医者「そりゃこれだけ悪いとつらかったでしょう」

私「はあ、きのうまで仕事はしてましたが」

とにかく肺炎は油断できないので、土日に入ることだし入院して病院の管理下で治療するのがベストだということで、我慢しないで状態が悪くなれば救急車を呼びなさい、ということだった。

とりあえず処置室で抗生剤の点滴を受けて明日朝一でもう一度来ることになった。さすがにこの体調では店にはいけない。

N井さんがお手伝いに入ってくれることになり店は営業する。

帰宅後ベッドへ倒れ込む。今までほとんど無病息災で過ごしてきたが、思い切り病魔に足をすくわれた。しばらくブログの更新が不規則になると思います。

2015年4月10日金曜日

平成27年4月9日(木) 晴れ

長男の子、つまり孫だが、同居していないのでいまだに実感が薄い。その子の初参りに深大寺に行くというので同行する。







他人の子の写真を見せられるほど退屈なものはないので一枚だけにしておく。

めずらしいしだれ桂
 本堂の上にある元三太子堂にあがりお清めをしていただく。深大寺は天台宗で真言宗と同じ密教であるから使用する法具はほぼ同じだ。


洒水器(しゃすいき)に入った清めの水を散杖(さんじょう)という棒で頭に注ぐ洒水加持をする。潅頂(かんじょう)という清めの儀式もあるが細かな違いは分からない。


終わってから食事をしようということで水神苑に行く。予約は入れてなかったが10分ほど待って案内された。

ランチのいちばん軽い蕎麦御前にする。全員、車でだれも飲めないので軽いのにしたのだ。






深大寺で長男達とは別れて、さて仕事である。