火曜日に退院して3日目、今日から店に出る。薬の副作用でふらつきがあるが、なんとかなるだろう。仕事になるかどうかは、接客で笑顔をつくれるかどうかである。
入院したことは現実にはどこにも連絡していなかったが、ブログを読まれて私が体調を崩したことをお知りになったのだろう、入院中メールでのお見舞いや直電のお見舞いが数件あった。中には親類から現ナマ見舞い(笑)もあった。みなさんどうもご心配をおかけしました。
他にも、ブログでおつきあいのある早稲田大学の大久保孝治先生のブログ「フィールドノート」でもわざわざ「お大事に」と取り上げられ、思っていたより各方面にご心配をかけていたことを知る。
あらためて、みなさんご心配いただきありがとうございました。本日より復帰いたします。
今から入院中をふり返って、ブログの欠落した日々を埋める追記はしないが思うところはある。
入院生活は世間の交流から遮断されたある種の隔離状態である。せっかくの半強制浮き世離れであるから、新聞やニュース情報をなるべく入れないようにした。
個室に入っていたのでテレビはイヤホンではなくスピーカーから音声を出して自由に視聴できたが、地上波は極力避けてBSの動物物や紀行物を拾って観ていたので体調は悪くとも心は穏やかだった。
9日間その生活をして退院後、家でしばらくぶりに地上波を観ると、ニュースやバラエティも含めていやな「毒」を感じたのだ。
不安と欲の入り混じったあのいやな感じだ。高見順『いやな感じ』を思い出すが話が逸れている場合ではない。
何か今の地上波のテレビ業界が向かっている方向には、ゆったりとした時間、安心とかやすらぎ、おちついた微笑みのようなところには決して辿り着かないように思えたのだ。
病み上がりの半病人のたわごとです。
入院中の教訓 「素朴であれ」
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