2012年12月31日月曜日

平成24年12月30日(日) 雨

きのう店の掃除を終え、しばしの休み気分に浸りつつある。学校の冬休みに入る感覚に近い。特に出かける予定はないが朝から雨が降っていると気分は重い。年末の掃除などやりのこした用事がある人には直撃の雨だ。

午後になり何となくつけたテレビ(NHKBSプレミアム)で映画『沈まぬ太陽』渡辺謙:主演が放映されていた。三時間を超える長尺映画を飲みながらついつい観てしまった。原作山崎豊子であるが日本航空をモデルにして描かれているとされるこの作品は発表当時、御巣鷹山墜落事故を扱っていることもあり物議を醸したのを憶えている。

五時に映画が終わり、一時間昼寝、この時間はもう昼寝とはいわないと思うが軽く横になる。気をつけないといけないのは油断するとすっかり寝てしまう可能性があることだ。この時間から本格的に寝てしまうと本来寝る頃の時間になって眼が冴えわたるというやってはいけない大事件を引き起こすので明かりを点けたままにしておく。

六時にリブート(再起動)してビールを飲んだりニュースを観たり焼酎を飲んだり新聞を読んだり、つまりは昼からずっと飲んでいるのだ。休みはええのお。

明日は息子娘達がそれぞれのパートナーと一緒に年越しに来ることになっている。次男はベトナムの地で新年を迎えることになる。ベトナムの新年は年度が切り替わる節目であはるが正月としての祝いは旧正月(テト)であるから街自体はいつもと変わらないと思う。熱帯の正月もまた佳しだ。

警戒心ゼロ猫

2012年12月30日日曜日

平成24年12月29日(土) 晴れ

予報より早く天候が回復して店の掃除には大助かりだ。朝十時過ぎから店のファサードになるガラス戸を洗う。屋外で全て外して洗剤をつけホースで流す。雨だとこうはいかない。店の前は広く車の通行も少ないので可能なのだ。他一年の垢を落とし夕方暗くなった時点で終了する。掃除はやり始めるときりがなくなるのであらかじめどこで終わりにするかを決めておいた。
今日は「Wait until dark」 これでニヤリとした方はオールド映画ファンである。

先日の冷え込みのようなことはなく今日はそれほど寒くはない。店の前を通り駅に向かう人は大きなカートをゴロゴロと引っ張っている方も多い。それぞれの故郷や思い入れの地へ向かうのだろう。東京の住宅地はこのあと正月明けまでは、多分100年くらい前の静けさにつつまれる。

2012年12月29日土曜日

平成24年12月27日(木) 晴れ

一日遅れで更新している。空に明るい月が出ている。今日は月齢が14なのでほぼ満月に見える。明日が満月だが予報は雨と言っているので今年の満月はもう見ることはできない。

店が終わる頃、K杉君がきた。彼ももう不惑に達しているが彼が学生時代アルバイト(当時あった別の店)に来ていた関係で今も交友は続いている。仕事が忙しく大変そうだが実力のある人間なので会社からは信頼されるエースに成長しているようだ。店を閉めたあと飲みながら色々話をした。普段バイクで店に来ているので今日のように店で飲んでしまった場合はバイクを店にしまいタクシーで帰ることになる。

平成24年12月28日(金) くもりのち雨

今日は仕事の最終日だ。夜には雨と言っているので雨具を用意して出る。バイクは店に置いてきたのでバスで向かう。歩きで行く事も考えたが今日は止めておく。

みなさん仕事納めで定時帰りが多いのだろう。店を開け早い時間はバタバタと入ったが19時を回ると静かになった。雨も降り始めゆるやかに今年の仕事は終わった。明日は店の掃除をする予定だ。毎年のことだがこの時点でも歳末感はない。あと三四日で新年になるという実感が暦と密着しないのだ。

帰ってから少し飲んだが何だか酒がすすまない。理由は分からぬがこういう体調がすぐれぬときは早めに寝るに限る。

2012年12月27日木曜日

平成24年12月26日(水) 晴れ

快晴しかも寒い。夜になって放射冷却で気温が下がるのは解るが昼間陽が射していても寒いのは東京では珍しい。予報では明日はもっと寒いらしい。地球温暖化はどうなったのか。もっと二酸化炭素を出さねば(笑)。だいたい地球温暖化説の二酸化炭素犯人説は、でっちあげだと私は思っているし確信もある。本当に心配なのは地球の寒冷化ですよ。ここでその根拠を語り出すと終わらなくなるのでこの話題は終了。

仕事後帰宅して『孤独のグルメ』をリアルタイムで観る。今日は最終回でしかも何と、三鷹である。

お約束の甘味「たかね」が紹介され、そのあとバス通りの食堂「樹」(いつき)がメインだった。そうか長く三鷹に住んでいるが「樹」を知っていても入った事はない。テレビで紹介されると三鷹在住者よりも番組の追っかけファンでしばらくはお店のペースが乱れそうな気がする。がんばって下され。

今回は三鷹ということで画面に映るロケの場所が全てわかったのでいつもとは違う見方だった。平行して録画してあるのでしばらくは消えぬように保存しておこう。

2012年12月26日水曜日

平成24年12月25日(火) 晴れ

年賀状を投函する。あわてて仕上げたので、今年7月に店で映画の撮影があったことをひとこと忘れていた。封切りは年明け二月なので案内を兼ねて手書きで書き足した。このブログを見ていると思われる少数の方にはそのことを知っているはずなので書かなかった。

映画の予告編はHPで見られるようになったので、年明けには一般のメディアでも宣伝が始まるのではないかと思う。その頃には去年一度削除したロケ風景をあらためて写真で紹介します。

今日はクリスマスである。といってもイベントとしては家でも店でもなにもしない。本来の神聖な宗教儀式でこの日を迎える方もいらっしゃるが、日本におけるキリスト教の分布はおよそ1%だといわれいているので少数だ。その他多くの人はサンタとツリーとケーキに象徴される冬の風物詩として楽しんだり無視したりといったところであろう。

家ではクリスマスとして何かをすることはないが、カミさんが一階のトイレの棚に小物のツリーなどでそれらしい演出をしてはいる。

ささやかなノエル

2012年12月25日火曜日

平成24年12月24日(月) 晴れ

三連休でよかった。ようやく本調子に戻る。明日からは仕事にも影響ないだろうし、これで免疫ができたので年末年始は多分無事過ごせるだろう。

午後から年賀状にとりかかる。カミさん仕様のデザイン1点、夫婦共用1点、私仕様1点の計3点を制作する。プリントアウトし、夕方からニュースを横目に見ながら宛名書きをする。宛名もプリンターに任すことはできるが、親しい付き合いの方はすべて手書きにしている。

休日なので『プライスレス』の最終回をオンエアで観る。先々週まで話がつながっていたのに先週で、ミラクルエレクトロニクスの全社員1500人が辞めるという無理な展開になり話が壊れてしまった。いくらなんでも現実離れしすぎで一気に冷めてしまった。大人にサンタクロースの話をしてはいけません。なので最終回はおつきあいで観た。

先週までの展開で草刈正雄扮する貿易会社社長に「カインとアベルか」とまで言わせた人間の相克模様を最終回でどのように描くのか観たかったが残念ながら期待外れだった。「カインとアベル」というフレーズを使いたかっただけなのだろう。もともと生い立ちの違う兄弟の確執を初回から視聴者は知っており、その対立する二人を軸にした物語であるから厳しい結果や悲劇的な結末になったとしても違和感はないのに何だか腰砕けな優しいふわふわした結末だった。キムタクの演技にしても多くの人間が会社を辞めてまでついてくるような求心力のある人間にはどうしても見えない。

ということでこのドラマは私の中で評価を下げてしまった。今年印象に残った三本をあげるとすれば『リーガルハイ』・『最後から二番目の恋』・『ドクターX』である。

2012年12月24日月曜日

平成24年12月23日(日) 晴れ

完全に回復してはいないが、起きて何かをする気力は戻った。カミさんに頼まれ近所のスーパーに買い物に行く。一日遅れでカミさんもやられた。まあ一日寝ていれば大丈夫だろうが、ニュースで病院の集団感染でお年寄りが六人死亡などを聴くとドキリとする。ノロウイルスでの高齢者死亡原因は吐瀉物が気管に入り誤嚥性肺炎で亡くなるのがほとんどみたいなので「トイレの神様」になるくらい動ける人間は問題ないと思う。

amazonから本が着いた。息抜きのお笑い本である。


説明不要の世界各地で集めた間違い日本語表記集だ。この手の間違いはお互い様であるがそれは置いといて、日本語表記は漢字・ひらがな・カタカナという多彩な表記があるため混乱しやすいのは仕方ないことだ。外国人による間違いをあげつらって小馬鹿にしているのではなく「ネタ」として楽しめばよいかなと思う。

私の経験でも一瞬??と思うことはあったもの。

2009年3月韓国金浦空港の食堂
ヒビソパ?ん~なんだろうとこれはと思いしばらく考えてわかった。最初の「ヒ」が「ビ」二番目の「ビ」はそのまま三番目の「ソ」は「ン」最後の「パ」は「バ」に直す。そうビビンバを言いたかったのだ。下の方の緑で書かれた小文字はちゃんと書けているのに肝心の所が堂々と間違っているのが面白い。あ~外国にいるのだという実感がする。ちなみにビビンバというのは混ぜ御飯であるが、日本語にないpibim,papという子音で止まる発音なので日本語では表記できない。「ベトナム」か「ヴィエトナム」と書くのかを争うのは無意味である。


2012年12月23日日曜日

平成24年12月22日(土) 雨のち晴れ

昼前ブログの更新をしたがそれ以外はほとんど何もしていない。実はやられたらしいのだ。
ノロに。昨晩から強い吐き気があり食欲もない、それ以外の症状は割愛する(笑)。調べてみると典型的な症状である。三連休でよかった。一日ひたすら横になることにする。猫だって具合が悪いと何も食べずにじっとしている。そう彼らはいちいち教わらなくても躯がどうすればよいのか知っているのだ。

脱水状態にならないように水分の補給に気をつけるほかは眠くもないが寝床で一日中ラジオを聴いて過ごす。明日になれば回復していそうな感じがしている。

2012年12月22日土曜日

平成24年12月21日(金) くもり

今日は冬至である。昨年の冬至の日に書いたことを見てみた。

「今日は冬至だ。一日の内、昼が最も短いというのが我々の一般的な理解であるが、夜明けの時間と日暮れの時間のどちらも一番ではないそうだ。つまり一日全体を比較して昼が最短ということで日の出と日没は別物であることを今日初めて知った。

ちなみに南半球では真夏なのでどういう扱いかというと天文学的には冬至に統一されているが、便宜的、習慣的には夏至の扱いのようだ。」

とこのようなことを書いていた。夕方五時にはすっかり暗くなっている。

調布の角川大映撮影所の入口にある大魔神像が期間限定でサンタの衣装らしいので行ってみた。家からバイクで15分で到着。




映画の大魔神の緑の顔は恐かったなあ、小さな子どもが見たらまず泣きます。あれは一応正義の味方だからよいが悪者だったら最悪最強の悪人顔だと思う。

2012年12月21日金曜日

平成24年12月20日(木) 晴れ

快晴であるが寒い。以前書いたことがあるかも知れないが秋田の豪雪地帯出身の後輩が言ったことがある。

「東京はいいですよ。雨が降ってもどんなに寒くても外に出られますから」

彼にとって雪景色は観賞するものではなく恨めしい存在であったのだ。東京の寒さなどで寒い寒いとはうかつに言えないのである。死んだ父も言っていた。

「日本の冬など春風のようなもんだ」

父は終戦時、ソ連軍に捕まり4年間をシベリアの地で過ごし帰還した。

三鷹南口中央通り

南口デッキ


紅葉から落葉への移ろいは終わり、梢の陰影が鮮やかに見える季節になった。

2012年12月20日木曜日

平成24年12月19日(水) 晴れ

店用カブのオイル交換とチェーン調整を頼んでいた吉祥寺の桜井HONDAにカブを取りに行く。このバイク店では新車で延べ5台購入しているので付き合いは長い。ヘビーユーザーではないだろうがそこそこの顔馴染みである。代金を訊いたら¥1260だった。安い。整備表をみたら工賃はサービス扱いだった。交換したオイル代のみの請求で、一般点検もしてくれておまけにピカピカに磨いてくれていた。なんだか申し訳ない。よいお付き合いはしておくものである。

知り合いにいただいたポン酢を開けてみた。


身銭を切っては買わない高級ポン酢である。私は昔ながらの庶民的な「ミツカンぽん酢」が好きだ。

この落差の大きいこと

上の料亭のポン酢だが、「いすい苑」と読む。四国徳島の料亭で今年の八月に羽生善治vs藤井猛の将棋王位戦がここで行われた。私は将棋ファンではないが何となくそれは知っていた。そういう料理屋のポン酢様であるから心して味わわねばならないが、無添加と書いてあるので悪くならない内にどんどん使うほうが送り主に対する礼儀であろう。冬場には重宝する一品である。


2012年12月19日水曜日

平成24年12月18日(火) くもり

そろそろ年賀状が気になりはじめる。年賀状というのは歳があらたまって元旦なりまあ松の内に新年のご挨拶ということで心を新たにし、したためるのが本当は正しい作法だと思っていた。なので一月一日に賀状が届くのは、いわば「仕込み」があるからであって本来の作法からは逸脱したものであると思っていたら、そうでもないらしい。

wiki引用

日本にははっきりとはしないが奈良時代から新年の年始回りという年始のあいさつをする行事があり、平安時代には貴族や公家にもその風習が広まってあいさつが行えないような遠方などの人への年始回りに代わるものとして文書による年始あいさつが行われるようになった。
近世には武家社会において文書による年始あいさつが一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始あいさつに限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚や使用人を使った私的手段により年始あいさつの文書が運ばれるようになった[2]

これによると遠方で年始回りに行けぬ方への代参が目的だったことが判る。とすると元旦に年賀状が相手に届くことこそ礼節に叶う正しい作法であるようだ。知らなかった。

宛名だけでなく文面も一枚一枚手書きするのがよいのだろうが、なかなか文面まではできかねる。

今年もまた年賀状欠礼の葉書をいくつかいただいた。たった一枚のなかば事務的な連絡ではあるがそこのご家族のドラマを一瞬想像する。訃報が実感に密着するようになった。

2012年12月18日火曜日

平成24年12月17日(月) くもり一時雨

朝から小雨模様だ。たまたまなのだが今日も私は休みだ。友人の死を悼むためせめて今日までは行いを慎んで家にいよう。

NHKBS歴史館『妻よ!子よ!家族をめぐる忠臣蔵~大石内蔵助・究極の選択~』(録画)を観る。
ドラマや芝居などで知る大石内蔵助像を彼の直筆の手紙など史実に基づいた視点から探る。
忠臣蔵の真実話は諸説ありどの解釈も面白いが、この番組の彼の手紙は、最後まで家族を気遣ったひとりの男性として紹介していて、人間味あふれる魅力的な男だったことを想像させる。

また討ち入り時玄関先に立てた「浅野家家来口上書」の内容は、喧嘩両成敗の不手際の幕府を糾弾するものではなく、あくまで主君の無念を晴らすだけであると書かれている。

これによって幕府の立場や面目も保たれている。そして口上書の写しは内蔵助の手配により各所に送られていて、広く庶民が知ることとなった。これにより自らの正義を世間が認めるだけでなく幕府の体面も保たれる配慮がなされていた点で大石の器量の大きさが見えてくる。

本来ならば討ち入りは犯罪であり、打ち首が妥当であるが彼らは切腹という武士の作法通りの処遇であったのは、幕府が体面を保てたのと、かつ世間の声を無視するわけにはいかなかったということになる。番組中でこのような解釈を紹介していて、やはり忠臣蔵関係ははひきこまれて観てしまった。

明日からは気持ちを切り替えていこう。



2012年12月17日月曜日

平成24年12月16日(日) 晴れ

昼過ぎに選挙投票に行く。すごく暖かい。休日でしかもあたたかいせいか町がのんびりしているように感じる。

今日はもう一日家で友人の弔いのため一人酒をしながら録りだめてあった番組を観る。
八時になり選挙速報が始まり五分も経たぬうちに自民圧勝の報が流れた。出口調査など情報の把握が進化しておよその結果は現実の開票を待たずとも判明しているらしい。

以前は徐々に刻々と伝えられる結果がマラソンレースのようで何時間かは興味を持って見たものだが、今回は小一時間見ていて止めた。

しかし、自民党も浮かれている場合ではない。三年半前、自民党がつくった大きな財政赤字、ほとんどの原発の開発、少子高齢化への無策など国民に見放されたのはあなた方であり、民主党はその尻ぬぐいをさせられたというのが実態である。民主党の無能ぶりもあきれたが、日本の政治はまだまだ未熟な段階でこうやってふらふらしながらやっていくしかないのが現実である。

2012年12月16日日曜日

平成24年12月14日(金) 晴れ

東京発14時半の「のぞみ41号」に乗り神戸に向かう。平日のこの時間なのでそんなに混んでいないだろうと思っていたら私の乗車した箱は品川でほぼ満席になった。私は三列席の窓側Aで少し嫌な予感がしていたら、的中した。隣に座ったのは100㎏はありそうな巨漢のサラリーマンだ。すごく窮屈そうにしている。検札が回ってきたときその人の特急券の行き先がちらっと見えた。新大阪となっている。苦痛の二時間越えが決定した。その方も窮屈であろうが、こういうときの窓側の圧迫感は大変である。通路側なら脚をまだ自由に動かせるが窓側はどうにもならない。加えて箱の一番前1番シートだったので隅に押しつけられる格好となった。新大阪に着いたときの心と体の解放感は経験者だけが知る。

新神戸に着き北神急行で「岡場」まで行き、タクシーで通夜の斎場に向かう。


ご家族や親族の方にまじり通夜に加わった。亡くなった友人がよく話していた長兄のTさんと初めてお話をさせていただいた。色々な思い出を私もお話しし朝まで一睡もせず飲み語りあかし本当の通夜になった。

平成24年12月15日(土) くもり一時雨

明けて午前十時から告別式になった。徳島からT田君が間に合った。他の友人J尾やS井はよんどころない事情で参列できなかった。
出棺
 火葬斎場の神戸の鵯越(ひよどりごえ)まで移動し最後のお別れをする。
鵯越斎場

精進落としも兼ねての食事会
 すべて終わり散会となる。ご家族にお別れした後、まだ時間があるのでT田君と三宮に出て飲み直すことにした。この時期にしては暖かくコートが要らないくらいだった。


駅に隣接する商業ビルの7階レストランに入る。この時期なので4時すぎなのだがすぐに暗くなってきた。



イルミネーションが点く頃になって窓の外はいつのまにか降りだした穏やかな雨に街が濡れていた。

2012年12月13日木曜日

平成24年12月13日(木) 晴れ

昼過ぎ、携帯に着信があった。携帯に相手の名前が表示されるのだが、携帯電話に表示されるその相手の名前を見た瞬間に何が起こったかを悟った。

「1時○○分でした」

予期してはいたが、現実となると言葉が出ない。

みまかりしわが友、長い闘病だったがやっと楽になれたな。

三週間前が最後の見舞いになったが、明日また会いにいくぞ。

ということで明日から親友の弔いに神戸に行くことになりブログは小休止。

※友人は「大脳皮質基底核変性症」という10万人に一人の難病と闘っていた。

平成24年12月12日(水) 晴れ

晴天が続いている。この前天気が崩れたのがいつだったかのか思い出せない。そんなはずはないのだがずっと晴れているように思えてくる。記憶は曖昧なものだ。少し前あれこれ調味料を買ってきたときクルミオイルと一緒にシャンパンビネガーを買ってあった。で、家でドレッシングを作ろうと思い探したのだがどこにもない。封を切ってないので食器棚かもと思い探したがない。仕方がないのでカミさんに訊いたら知らないという。そしてカミさんが言うのである。「買ったと思い込んでいて買ってないんじゃないの」。そんな、たしかに買ったのだが……。

しばらくして、たまたまそのときのレシートがでてきた。内容を上からチェックしていった。これも買った、あれもある、そうそうこれも買った、一番下まできてシャンパンビネガーだけがない。
買ってなかったOrz。記憶はいいかげんである。

午前中に用事があり車をだす。昼前帰宅し時間があるので府中のTOHOシネマに行く。今年八月からシニア割りが使えるようになったので映画はもっと観てもよいのだがあれこれ雑用があり思うようには脚を運べない。家から車で15分で到着、12時35分の『007スカイフォール』に間に合った。

冒頭から派手なアクションの連続である。ただアクション映画はもう映像的にはやり尽くした感があって既視感は否めない。こういう007もありなのだと思えばまあよいか。

3時過ぎ映画が終わり急いで車を家へ、バイクに乗り換え店へ向かう。007みたいだ(笑)。

店を終え帰宅、座るともう日が変わる時間だ。『相棒』(録画)を観ながら飲む。裏で『孤独のグルメ』を録っているがこれは明日にとっておく。

2012年12月12日水曜日

平成24年12月11日(火) 晴れ

関東の冬らしい晴天が続いている。日本海側は12月の記録的な大雪だとニュースが伝えている。
三鷹駅周辺はやっと落葉の盛りになった。





見慣れた景色だが今日の景色として記録しておくことは後になって役立つ場合があるので無意味ではない。昨年からこのブログを書いている。内容はともかくブログをまめに更新することに今は専念している。

2012年12月11日火曜日

平成24年12月10日(月) 晴れ

小沢昭一さんの訃報を聞く。生き物である以上死は避けられぬが、またきら星のひとつが墜ちた。『小沢昭一的こころ』は40年も続いたそうである。TBSラジオは長寿番組が多い。アナウンサーの大沢悠里さんは70歳を越えて現役を続けている。

話が飛ぶが最近の病院は入院設備でテレビが各ベッドにつけられているが、ラジオはついていないことが多い。病状にもよるが病人は眠ってはいないが眼を閉じていることも多い、ラジオなら目を閉じてベッドで聴けるからテレビより優先的にラジオを標準装備にすべきであると思う。

今日は朝から寒い一日になった。都心で1,2℃と冷え込んだので三鷹は多分氷点下だったと思う。東京は道路の環七、環八を外に向かい越えるたび気温が下がる。そのずっと先、立川辺りでみぞれまじりの雨だったのが多摩川を渡り日野に着くと雪なんてことは珍しくない。

深夜帰宅し家に入る前に見上げると天頂近くのオリオンの一角ベテルギウスからたどる冬の大三角(ベテルギウス・シリウス・プロキオン)がよく観察できる季節になった。


2012年12月10日月曜日

平成24年12月9日(日) 晴れ

今日の夜は長男と婚約者が来て食事を一緒にすることになっている。次男夫婦達とは今までわりと食事する機会が多かったが、長男達とはつきあいの長さや休みの関係があり馴れた関係にはまだなっていない。これは性格的なものもあると思われるが、こちらはともかく彼女にまだ遠慮があるのでこれから深めていこうという長男の配慮で今日になった。

昼過ぎにイトーヨーカドーに車を駐める。イトーヨーカドーの地下食品売り場はスーパーとしては全体的に値段が高めのように感じ、デパートとしては庶民的すぎる品揃えだ。なのでここで食品を買うことは多くないが武蔵境駅のエミオ内のパン屋さん「ドンク」や「成城石井」に欲しい物があるときは車を駐めるのに便利なのである。ヨーカドーでも買い物はするのでマナーが悪いことにはならないと思う。

イトーヨーカドー7F駐車場より南方面
パンとワインとチーズと野菜類を買い帰宅。色々支度する。ここから少し横文字になるので読み飛ばしてくださってかまわない(笑)。ラタトゥイユ・バーニャカウダ・ポムドフィノワ・鶏ディアブルなどを用意した。七時すぎ彼ら到着、意図したわけではないが彼女は鶏が大好きだそうである。よかった。次男の嫁は酒豪であるが長男の彼女はたしなむ程度だ。そう比較して書くとおとなしそうに思えるが長男の彼女は大型バイクの免許を持っている。それぞれ良い娘である。


2012年12月9日日曜日

平成24年12月8日(土) 晴れ

きのうの夜になって、次男夫婦から明日新宿まで車で送ってほしいとの依頼があった。夕方から彼らの結婚パーティだそうで友人や職場関係者の集まりだそうだ。そうか友人関係のはまだやってなかったんだ。来週から次男はベトナム勤務になるのでその前にやっておきたかったみたいだ。こうやって二度に分けてするのが今風なのだろう。親や親族に気を遣わなくてよい場で彼らの別の顔、大人としての姿が目に浮かぶ。

午後三時に次男宅に行き宴会で使う荷物を積み三鷹を出発。三十分ほどで新宿西口の住友生命ビルに到着し運転手終了。楽しんでください。

かえりみち
後二週間で冬至だ、四時を回るともう昏くなってくる。

ここ二日ばかりYouTubeの音楽を貼り付けたのでおまけの一曲:メヲコラソン『始発電車』


http://www.meobossa.com/profile.html




2012年12月8日土曜日

平成24年12月7日(金) 晴れ

中村勘三郎さんの訃報を聞いたとき驚きというより脱力感があった。彼は私より三歳若かった。周りのだれよりも彼自身がさぞ口惜しいであろう。これからが円熟期というもったいない最期だ。

最近デイブ・ブルーベックの訃報も聞いた。名前は知らずともアルバム『タイムアウト』(1959)の中の『テイク・ファイブ』という曲は有名なのでそこそこの年配なら聴いたことがあるはずだ。四分の五拍子という変則リズムの一度聞いたら忘れない曲である。

CDを探してみたら、『ボサノバUSA』(1962)が出てきた。都会的なアレンジ私の好きな一枚でJAZZミュージシャンが奏でるクールなボサノバである。



ジャズも好きだが、一番好きなのはサルサやボサノバである。


サザンオールスターズ『私はピアノ』をアレンジしたものでオルケスタ・デ・ラ・ルスの演奏


2012年12月7日金曜日

平成24年12月6日(木) 晴れ

午前中、未視聴で溜まっていた『にっぽん縦断こころ旅』(録画)を観る。今週は山口県だ。岩国は蓮根の産地で他の地の蓮根とは穴の数が違いとてもおいしいそうだ。初めて知った。

『にっぽん百名山「穂高岳」』NHKBSプレミアム(録画)も観る。若い頃山歩きのまねごとをして丹沢や秩父に何度か足を運んだことはあるが3000㍍級の登山は富士を除いてしたことがない。3000㍍級の登山といえば木曽御岳の九合目まで行ったことはあるが春先で雪が残っていて装備がなく引き返したことがある。これは登ったとはいわない。穂高はあこがれの山である。この番組は山岳ガイドと共に山登りをする主観体験的な進行なので最新のデジタルハイビジョンの映像と相まって自分が登っているような気分にさせてくれる。毎回楽しみだ。そういえば店のお客様でベテランの山男がいらっしゃる。私より四つ上の方だが、お話を伺うと今週末は八ヶ岳のアイスクライミング(凍結した沢登り)に行き雪山でビバークするそうだ。すごい。この方は百名山すべて登頂されている。これもすごい。標高が低くても山が深く登るのに苦労する山があったりと、聞いていると飽きないし楽しい。高尾山レスキューの話をしたらよくご存じで、レスキューが駆けつけてみると「疲れちゃったから」という理由だけで呼ぶ人がいて隊員もあきれるそうである。いやはや。

調べ物があって図書館の本館に行く。

三鷹図書館本館

図書館前の桜並木

三鷹駅北口の銀杏
三鷹駅から北西方面


晴れた日は三鷹駅から北西に奥多摩の山々がみえる。左から小さなお椀を伏せたように見える大岳山(おおだけさん)や右からなだらかな稜線をみせる雲取山(くもとりやま)も見える。雲取山は東京都の最高峰である。

深夜『ドクターX』(録画)を観る。来週は最終回だ、もっと観たいのだが最近のドラマは1クールで終わるのでなんだか慌ただしい。

2012年12月6日木曜日

平成24年12月5日(水) 晴れ

毎日見る風景というのは、例えば通勤や勤務先などで日常的に眼にしてはいるが気にもとめない景色はわざわざ写真に残しておこうとは普段思わないものだ。私にとって三鷹駅周辺もそれに該当し私にとってあまりにありふれた平凡な景色である。しかしその平凡な景色も季節の移ろいを映し少しずつ変化している。

竹内まりあ:作詞作曲『駅』という曲がある。松坂慶子:主演映画『グッバイママ』の主題歌に使われた歌で、歌詞は切ないが最後の部分〝改札口をでる頃には雨もやみかけたこの街にありふれた夜がやってくる〟で感傷を断ち切る爽やかさが残る。

見覚えのある レインコート
黄昏の駅で 胸が震えた
はやい足どり まぎれもなく
昔愛してた あの人なのね
懐かしさの一歩手前で
こみあげる 苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ
あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを
さり気なく 告げたかったのに……

二年の時が 変えたものは
彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ

<a href="http://jpop.yinyueabc.com/%E7%AB%B9%E5%86%85%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%82%84/%E9%A7%85/">駅 歌詞<a> 
<a href="http://www.yinyueabc.com">音樂 ABC<a>

戻ってゆくのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車両に乗り
うつむく横顔 見ていたら
思わず涙 あふれてきそう
今になってあなたの気持ち
初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛してたことも

ラッシュの人波にのまれて
消えてゆく 後ろ姿が
やけに哀しく 心に残る
改札口を出る頃には
雨もやみかけた この街に
ありふれた夜がやって来る
ラララ ララララララ・・・・


三鷹駅南口玉川上水

南口舗道デッキより

北口の黄昏れ
駅はそれを利用する人の数だけの、人知れぬ人生のドラマをだまってみている。


仕事を終え深夜帰宅後、『相棒』・『孤独のグルメ』(録画)を観る。平凡な一日が終わった。

2012年12月5日水曜日

平成24年12月4日(火) 午前中雨のち曇りのち晴れ

朝方雨音で目覚めた。昼までにはあがりその後急速に回復した。こういう天候の変化は普段当たり前のことではあるが、雨雲に覆われていた空がみるみる晴れていく自然の営みの大きさは、どんなにがんばってもそれを人が制御することは不可能なことであり、古来人は自然の営みに対して畏怖を覚え、それにひれ伏し祈ってきた。それは現代でも大きな違いはないと思う。

境南町の赤十字病院の銀杏を撮ってみた。去年の同じ頃撮った写真があるのでほぼ定点観測だ。
去年2011.12.05

今年2012.12.04

去年2011.12.12
今年2012.12.04
今年は黄葉が遅れていたような気がしたがここ数日で冷え込んだので去年なみになった。


店が終わる23時頃、晴れた空に遅い下弦の月が出ていた。帰宅後録画してあった番組を観て一時半に就寝。

2012年12月4日火曜日

平成24年12月3日(月) くもりのち一時雨

実は先週から食事制限をしている。といっても病気ではない。自主的制限だ。去年やっていた糖質制限を思い出して実行している。加えて腹一杯食べないことも心がけている。糖質制限の本は娘達にあげたので手許にはないが理屈は判っているので大丈夫だ。去年はそれで運動もせずひと月で3㎏減量出来た実績もある。ここにきてまた減量を始めたのは体重が過去最高になったことが衝撃だったからだ。鏡に映る我が姿が曙(あけぼの)に見えてきてさすがに、こりゃいかんと思ったわけである。

もともとアジア人モンゴロイドの体型はコーカソイド(おおまかに白人系)・ネグロイド(黒人系)と違いセクシャル・ディファレンス(雌雄差)が小さく、中年男性の上半身は一般的にアルファベットのA型であり、自然には筋骨隆々の逆三角形にはなりにくい。なので無理をすることはないが自然に任せたままだと着物しか似合わぬようになりそうで現代的ではない。だいいちズボンのサイズがだんだん合わなくなって不経済である。

体重計には十日おきまたは二週間おきくらいで載ってみようと考えている。毎日神経質に載ってもそんなに変化はないのでつらくなるだけだ。今回心がけていることは、炭水化物を極力摂らない・腹一杯には食べないの二点である(酒は飲む)。酒は飲むがビール・日本酒は糖質が多いので飲まない。ひと月くらいで体重が落ちてくれば筋トレを始めて筋肉量を増やすことによって基礎代謝をあげることも重要だ。その後有酸素運動を取り入れ三ヶ月で健康的に10㎏の減量を目指す。

とまあこのような想いに至るほど飽食の生活を送っている。どこかで立ち止まって見直さねば、自分のことはいくらでも理屈をつけて許せるのが人というものである。

『パイの物語』上下巻を読了した。なるほどね、そうきたか、あの権威あるイギリス最高文学賞ブッカー受賞作の意味が理解できた。

物語の中にあるが、飢えと渇きでは問題にならないくらい渇きのほうが苦しいとあった。とりあえず生き物は水分があれば生き延びられる。それを思えば減量のための食事制限など鼻唄である。

2012年12月3日月曜日

平成24年12月2日(日) 晴れのち曇り

午前中に次男夫婦を彼らの住まいまで車で送って行く。彼らも三鷹に住んでいるが歩きで行き来するのは現実的ではない距離なのでそうすることが多い。

その後は夕方まで昼寝をしたり競馬を観たりとまあ宴の後のおきまりの過ごし方になった。
『パイの物語』を読み進める。三部構成になっていて第一部は主人公ピシン・モリトール・パテルの生い立ちから事故になる船出までが主人公の一人称で語られる。動物に関する興味深い挿話、宗教に関することなどが書かれていてこれが結構長い。まあ本題にたどりつく長い助走と思って読んだ。第二部はいよいよ遭難事故が語られる。第二部を少し読んだところで今日は本を閉じた。多分読み始めると一気に読んでしまうだろうから今日の時間配分を考えて止めにしたのだ。

夕食は豚の水炊きをつつきながら、録り溜めてた番組をいくつか観た。途中、ニュースが中央高速の笹子トンネル事故を報じていたが、中央道は何度も利用しているので他人事ではない。

きのうの飲み疲れがあり十時過ぎ早めに寝る。若いときはこういうことはなかった。


2012年12月2日日曜日

平成24年12月1日(土) 晴れ

静かな土曜日になるはずだった。現在息子娘達はそれぞれ自活していて同居していない。なのでとくに予定がなければ静かな一日を過ごせる。カミさんは昼から三鷹の社会教育会館の用事で出かけ夕方からは別の用事でいない。たまにこういう一人で過ごせる一日もいいか、と思っていたら次男夫婦が今夜来ることになった。それはそれで楽しいので気持ちを切り替える。

次男は再来週から仕事でベトナムのホーチミン・シティ勤務になる。嫁のSちゃんは来春遅れて合流することになっている。Sちゃんは年明け一月に所属する楽団のコンサートと二月の東京マラソンに参加が決まっているのでそれを終わらせてからになるのだ。

八時くらいになったが彼らが到着、カミさんも帰宅して賑やかになる。十一時過ぎに玄関が開く音がして娘が帰ってきた。娘は今新宿に住んでいるが三鷹で飲み会があり今夜は家に泊まることになった。次男夫婦は最初帰ると言っていたが明日の予定が消えたので彼らも泊まることになった。

こいいう経緯で静かな土曜日が一転してにぎやかな飲み会になった。

これを書いている今は翌日曜日の夕方だ。今日はもちろんグダグダの日曜日である。

2012年12月1日土曜日

平成24年11月30日(金) くもり

九時に家を出る。いつもより道が混んでいる。月末の金曜日が関係しているのかもしれない。用事をすませ十一時に帰宅する。amazonに注文を入れておいた本が着いていた。

2002年ブッカー賞受賞作『Life of Pi』(パイの物語)ヤン・マーテル:著 唐沢則幸[訳]竹書房文庫
この作品は映画化され新春1月25日に日本で封切られる。そのコピーはこうだ。

なぜ少年は生きることができたのか?……トラと漂流した227日

                  『ライフ-オブ-パイ

実話に基づいた話でインド人の動物園経営者一家がインドからカナダへ動物を載せ船出したが遭難沈没し、救命ボートに残されたのは16歳の少年とシマウマ、オランウータン、ハイエナ、そして
トラ。これだけでスリリングな展開を期待できる。本の帯に衝撃のラスト!などと書いてあるので映画が先か本が先か悩ましいところだ。衝撃のラストという予備知識が少し入っただけで、余計なことを考えるので極力他の情報を入れずに作品を味わおうと思う。


そういえば夕方、高尾山の警察レスキュー部隊を取材したニュースを観ていた。都心に近い観光地である高尾山でも色々騒ぎがある。紅葉を楽しんだのは良いが山中で酒を飲み過ぎ、動けなくなった中高年の男性や、足許の良い石畳で脚をすべらせ腕を骨折した疑いのある女性など色々のケースを紹介していた。観ていると大人としての自己責任以前のケースが多かった。何というぬるい社会だろうと思うがそのぬるさが良くも悪くも日本的であるとは思う。以前富士登山で、夏の間何万人も訪れているのにその登山道に街灯が整備されてないのはおかしいと、真顔でいう声を聞いたことがあるが、高尾山あたりでレスキューの世話になるのはその延長にいる人達であるような気がする。『ライフ・オブ・パイ』からは最も遠い人たちである。