6時起床。コーヒーを淹れてくる。
パット=メセニーのアルバムを流して
ブログの更新。パット=メセニーはよく言うとどんなジャンルの音楽ともコラボする器用なミュージシャンで、悪く言えばそれだけ個性がない八方美人的なギターである。でも自分の演奏したい音楽だけ演奏するのと違い、求められれば嫌な顔せず(見てないけどね・笑)何でもこなすプレイスタイルこそプロである証左である。
リビングで朝刊と牛乳。
『スカーレット』を観て出勤。水たまりに雨滴の輪は見えぬが、気がついたらいつの間にか濡れているような、あがりかけた弱い雨が降っている。午前中にはあがった。17時勤務終了。帰宅。
山歩きから遠ざかって久しいが、すっかり忘れているわけではない。本当は行きたいのだが、ふらつきがあるので下りで怪我をせぬよう自粛しているのだ。ふらつくといっても筋肉の強張りや不随意の震え(振戦)はないからパーキンソン病ではない。
今は眼鏡が合わなくなってきたりする小さな複数の不具合を抱えているが命に別状はないし個人差こそあれ、どこかガタがきているのが普通だと思う。それに行きたい近郊の山はほぼ踏んだので、やめても未練はない。
最近、ときどきサルコペニアだとかフレイルという単語を耳にしたり目にしたりする。若い時は聞いていても興味がないから覚えていないだろうが我が身に関係があるとなれば自然と目につく。要するに、加齢による筋肉の衰えで健常者と要介護の境目の状態をいうのだ。
要介護になりたい人はいないと思うが、自分が入っている身体は自分が支配しているのではない。意思の力でどうにかなるのではない。つまり自分の身体は自分のものではない借用したものなのだ。当たり外れがあっても死ぬまで付き合うしかない。
本人は実年齢より若く見えるつもり、また若々しくしていて、よしんば回りからそう見られていても、いつまでも変わらず健康だという保証はどこにもなく、重い後遺症が残る病に罹らないと誰が言えよう。若くても病気や事故など明日は分からないのだ。ましてや今、私も高齢者のひとりに数えられる超高齢化社会(2025年で人口の3分の1が65歳以上)。
山に行かなくなって足腰の筋力は落ちたと思うが動けるうちはエレベーターなどは意識的に使わぬようしておこう。出来なくなったことを数えるのではなく出来ることを前面におき維持することがこれからは求められる。
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