2013年1月31日木曜日

平成25年1月30日(水) 晴れ

昼前、次男夫婦を吉祥寺まで送っていく。今日の夕方彼らは成田からホーチミンシティ(旧サイゴン)へ飛ぶ。吉祥寺からは成田までのリムジンバスが出ている。乗り換えがないから大きい荷物がある時は便利である。嫁のSちゃんは東京での予定がまだ残っているので短期で今度の日曜には帰って来るが、次男は当分帰れぬだろう。

彼は昨年秋まで銀座の広告代理店に在籍していたが、少人数で独立したチームに誘われてそちらを選択した。ベトナムは人口9000万、平均年齢が27.4歳(2010調べ)と、五十年前の日本のように活気に満ちている国だ。成長著しいベトナムでのアドバタイジングの仕事は、若者の上昇志向にあっていたのだろう。数年単位の仕事になるらしい。そのうち私も遊びに行こう。十五年ほど前に一度行ったことがあるので、街の変貌を見るのも楽しみである。

昼食は家で連続フェットチーネだ。同じような味は飽きるので、和風納豆味にする。フェットチーネではなく普通のスパゲティのほうが和風味には合うと思うが、半端に残っているのがあったのでそれを使う。



胡麻油に刻みニンニク、鷹の爪を入れ弱火で香りを出す。強火だと胡麻の香りが飛びニンニクが焦げるので弱火が吉。シメジを入れ炒める。


 納豆、醤油、バター、パスタの茹で汁少々を加え、フェットチーネの茹であがりを待つ。パスタ料理で大切なのは、ソースは待てるが麺は待てないということだ。麺が茹で上がっているのに、合わせるソースが出来てないというのは、麺が伸びてしまうので、ぴかぴかつるつるの状態には仕上がらない。パスタに限らず麺料理を美味しく食べるには、作り手も食べ手も時間との戦いである。


明太子をトッピングした「納豆フェットチーネ」。ニンニク醤油バター味は鉄板のおいしさである。

2013年1月30日水曜日

平成25年1月29日(火) 晴れ

店で何となく観ていたバラエティ『世紀の限界調査SHOWリミッターズ・ハイ』(フジTV)が面白かった。バカバカしいのだが、息抜きにはちょうどよい。例えば、アフリカの3民族にどこまで見えるかという視力を競わせた。これは何と視力10を超え約2㎞先のランドルト環(C字の環の開いている向き)を正解した。連続バク転でどこまで距離を伸ばせるか、「あ~」と発声してその時間比べ、などまあ下らないと言ってしまえばそれまでだが、テレビは平和である。

帰宅し『ラストホープ』第4話(録画)を観る。主役は、嵐の相葉雅紀だが、脳神経外科医、橘歩美役の多部未華子を注目している。彼女は『大奥・誕生(有功・家光編)』で難しい女将軍役を演技した。独特の強い眼差しは他の若い女優にはない個性だ。桐谷美玲や北川景子みたいな色気のある若い美人ばかりではドラマが成り立たない。

夜食に、平麺のフェットチーネを食べる。一般的には食べてはいけない時間帯であるが、そういう仕事なのでしかたない。


国産フェットチーネだが、これは美味しいのだ。イタリアの輸入物は値段が高く丸めてあり嵩張るので家庭では扱いにくい。何度か試したが書いてあるゆで時間9分は多すぎる。途中でゆで具合を確かめる。5分がベストだろう。ゆで時間が短くて済むのもこれを買う理由である。きのことベーコンを刻んでトマトクリームの味付けをして食べる。食べ終えてから写真に撮るのを忘れたことに気付く。

2013年1月29日火曜日

平成25年1月28日(月) 小雪のち晴れ

早朝、六時前に目覚めて外を見ると雪が舞っている。うっすらと屋根が白いが、空は明るく青空に変わりつつあり,これ以上降り続くことはなさそうだ。


そのまま晴天になり今回の雪は、みるみる融けて足許に影響することはなかった。

今日店は月二回入ってもらっているN井さんが出るので私は休みである。次男の嫁のSちゃんは仕事で出勤した。そして彼女は今晩は飲み会だそうだ。次男は一時帰国中でまだ休みのようなものだが、帰国中にしておかなければいけない役所関係の手続き支払いなどが残っているようで昼過ぎに出かけた。

夜は次男と二人の食事になるので、買い物に出る。まあ二人分だけなら作る手間は大したことはない。

オースト産牛ヒレ(十分美味しい)

Pomme Dauphinoise(じゃがいものグラタン)
 これは、ドフィノワーズと呼び、じゃがいもを牛乳煮にしてナツメグ、にんにく、クリームを加え、チーズの焼き色を付けてある。作り方は人によって違うが、まあそういう付け合わせである。

ほうれん草のバター炒め

Sauce Bordelaise(マッシュルーム入り赤ワインソース)
湯気で写真が曇ってしまった。本格的に作るには家庭では無理があるが、スーパーで売っているもので何とかなる。厚顔無恥にボルドレーズと書いておこう。まず赤ワインを100ccほど鍋に入れ半分以下くらいになるまで煮詰める。それに市販のデミグラスソースを加え、肉を焼いた時のフライパンに残っている焼き汁を足し、最後にバターを少量加え旨みを出している。少しアレンジしてやるだけで市販の物がお店の味のようになる。まあ、限界はあるが(笑)。それでも肉を焼く仕上げにブランデーでフランベしたりと、小技を効かしているので、時間と手間のバランスを考えれば家庭では必要十分な美味しさである。二人で赤ワインを二本空けた。



2013年1月28日月曜日

平成25年1月27日(日) 晴れ

そんなに飲んだ覚えはないのだが、二日酔いである。空けた酒の残量を見ても驚くほど飲んではいない。二日酔いになるということは、良い意味で少し気分が弛んできたからだと思う。同じ量を飲んでも気が張っているときは決して二日酔いにはならない。

長女は午前中に帰った。次男夫婦は引っ越しの最終片付けに出かけて、カミさんは雑用でいない。なので一人で静かな午後を過ごす。慌ただしく過ぎた一月、最後の日曜日はやっと平穏な普通の休日である。

午後NHKで『さよなら横綱 大鵬』という追悼番組が放送されていた。私の世代は、大鵬が十両から入幕して一気に横綱まで駆け上がる成長の過程が、自分たちの小学生としての成長と重なる。小学校一年の時、祖父が「十両にいる大鵬というのは必ず横綱になる」と言ったのを今でも忘れない。そしてその通りになり不世出の大横綱になった。有名な『巨人、大鵬、玉子焼き』は番組で、堺屋太一さんの造語だったことを知った。それの反意として、時代も違うしまあ無理に作った感があるが、子どもの嫌いな物で『江川、ピーマン、北の湖』というのもあったなあ。

『八重の桜』を観る。物語が地味で少し退屈な展開である。大河ドラマなのでじっくりと描いてゆくのだろうが、視聴者は速度のある番組に慣らされているから、展開によっては『平清盛』のように、視聴者がついてこないドラマになりかねない。おじさんは、綾瀬はるかファンなので続けて観ますけどね。

2013年1月27日日曜日

平成25年1月26日(土) 晴れ

今、ベトナムから一時帰国している次男が、現在借りている三鷹の部屋を引き揚げるため、その手伝いをする。次男は月末にベトナムへ向かうが、嫁のSちゃんは東京マラソンに出場したり他予定があるので遅れて合流することになっている。その間、わが家で暮らすので、彼らの荷物を運び込む。大物家具は処分しているので、主に衣類や本、生活雑貨だけであるがそれなりの量はあり、すべてベトナムへ持っては行けないだろうから、こちらで預かることになると思う。ステップワゴンの後部座席をはねあげて、二往復で片づいた。

夕方になり長女が一時帰宅(笑)、今日は泊まっていくそうだ。この顔ぶれになると、酒盛りになる。

最後のほうは、記憶の保存をせずに終了している。

2013年1月26日土曜日

平成25年1月25日(金) 晴れ

録画してある番組を少しずつ観ている。『相棒』第13話「幸福な王子」を観ていたら、最後のほうで中野の警察病院が出てきたので驚いた。去年の六月から先週の一月17日まで何度足を運んだことか。この病院は中野駅北口側にあった警察学校(旧陸軍中野学校)跡地に2008年に建てられた一般にも開放している最新設備の医療機関である。亡くなったJ尾も「ここで駄目ならあきらめがつく」と言っていて、転院することはなかった。


自分のブログを読み返してみると昨年の6月28日付の記事に同じ写真をアップしている。思えばあのときから情報統制(笑)が始まったのだ。

テレ東の毎週金深夜『まほろ駅前番外地』は息抜きにちょうどよい。『まほろ駅前多田便利軒』原作:三浦しをん(直木賞受賞作品)を展開したものだ。原作は多田という私と同姓であることから、発売時即買いして読んだ。三浦しをんの作品はこれと『舟を編む』しか読んでないが、彼女の文章は文体の軽妙さとは別の何か脇腹をちょんちょんつつかれるような面白さがある。

今日は店にT屋君が顔を見せた。昨年の夏、幡ヶ谷のE本君の店で会って以来である。今は浜松町で仕事をしている。そのうち昔の仕事仲間で飲みましょう。そのうち、そのうちと言っているとすぐに一年くらいたってしまう。


2013年1月25日金曜日

平成25年1月24日(木) 晴れ

夕方店を開けてすぐ、まだお客様の入る前に東映のスタッフの方が直々に映画『草原の椅子』のポスターとチラシを届けてくださった。早速ポスターを入口に貼る。

昨年の7月『草原の椅子』のロケが店であった。当時その事をこのブログで書いたのだが、映画の企画自体が世間に未発表だったため、私が書いた記事がフライング発表のような形になり、記事を削除したいきさつがあった。今はネットで誰でも情報を発信できる時代になったので、制作側は事前に管理をしっかりする事が課題であると、削除の時点で書いた。なのでその後控えていたのだが、そろそろメディアに取りあげられるようになったので、もう書いても大丈夫だと思う。

映画撮影は昨年7月2日に行われた。映画公開前なので、どういうシーンだったかは伏せておくが、飲み屋であるから酒を飲むシーンではある(笑)。

写真掲載に関しては、問題がある場合があると聞いたが、それを利用して利益を享受する意図はない。もしスタッフの方や関係者の方がこのブログを見ていて、問題があると判断されたのであれば、ご連絡ください。削除いたします。

撮影部隊到着前
店のテーブルは使わないので一時撤去

機材がぞくぞくと到着

夜の店内仕様に模様替え

撮影の合間のエキストラさんとスタッフさん
上の写真で右側が丸く白トビしているのは提灯である。
キヤノン EOS-C300 シネマ用フルデジタルカメラ

いただいたロケ弁
撮影は昼前から約9時間に及んだ。終わったあと、最後に成島監督がお礼のご挨拶に来られたので、一枚だけ記念写真をお願いしたところ、快くひきうけてくださった。ありがとうございました。

2013年2月23日(土)全国公開

『草原の椅子』原作:宮本輝  監督:成島出 出演:佐藤浩市、西村雅彦、吉瀬美智子他


2013年1月24日木曜日

平成25年1月23日(水) 晴れのち曇りのち小雨

以前新聞のチラシに入っていた調布の鮮魚店が気になっていたので、昼前にカミさんと一緒に行ってみた。小平の「角上魚類」のような魚専門スーパーであれば、店の仕入れにも使えるかなと、思ったのだ。

で、結果だが、そこはご近所の住人相手の小さなお店だった。新聞にチラシを入れるくらいだから大手スーパーと同じように、大きな店で大量に魚を捌いていそうだったのだが、こちらが勝手に期待してしまったようだ。魚の生け簀があったので鮮度は間違いないのだろう。チラシから何を読み取るか、リテラシーが問われるという小ネタである。

昼食は久しぶりに近所の「バーミヤン」に行く。






五目中華そばの単品とセット(炒飯+餃子+半ラーメン)をふたりで分けて食べた。最近また炭水化物が多くなったなあ。J尾のせいだ。物言わぬ奴に責任を被せておこう(笑)。むこうで苦笑しているのが見える。こちらは、これから歳を重ねていく。死者の笑顔はそこにとどまり歳をとらない。

夕方のニュースで、安倍首相が産業競争力会議でスピーチをしていたのを聴いた。
「戦略の取りまとめを待つことなく、矢継ぎ早に行動に移して行きたい」と語っていた。経済再生に向けた「三本の矢」に掛かっているのかもしれないが、他人へ向けた評価ならまだしも、自分の行動に「矢継ぎ早に」などという修辞は普通しないものだと思う。「すみやかに」とか「ただちに」であれば違和感はないが、だれか周りの作文なんだろうなあ。

この安倍晋三という人は、育ちの良さもあり人柄の良さそうな印象を受けるが、そういうタイプの政治家で仕事が出来る人物は、過去にはいなかったと思う。会社で言えば、課長クラスだ。アベノミクスなどとマスコミに持ち上げられているが、先行きが明るいとは思えない、のは私だけではあるまい。いかん、いかん、熱く語りそうになった(笑)。




2013年1月23日水曜日

平成25年1月22日(火) 雨のち晴れ

朝の雨で家々の北側の屋根に薄く貼り付いていた残雪がほぼ消えた。先週の月曜日に降った雪だが、裏道の日陰には除雪時の固まりがまだ残っている場所が方々にある。北国の「根雪」という言葉の実感が少しは理解できたような気がする。



NHK総合で地上波初放送となった『シャーロック』第一話(録画)を観る。21世紀に舞台を変えたシャーロック・ホームズとワトソンの説明不要のイギリスBBC制作のドラマだ。本国で英アカデミー賞最優秀テレビドラマ賞、エミー賞・ミニシリーズ脚本賞などを受賞している。

一話が90分とボリュームがありとても見応えのある内容だった。これは次も観たくなった。シリーズ化されており、1シリーズ三話構成で日本ではこの正月にシリーズ2も放映したみたいだ。

一月は色々あったので冬ドラマをチェックしていないが、色々あっただけではなく、タイトルやプレビュー的な人物設定を見てみると、どうも観る気がおきない作品が多い。心の振り子の振れ幅が徐々に小さくなってくれば、気持ちが変わるかもわからない。


2013年1月22日火曜日

平成25年1月21日(月) 晴れ

先週は急に店を休んだので、仕入れが乱れてしまった。午前中に車を出し、二店ほど回る。昼食は久しぶりに武蔵境の「丸亀製麺」に行く。J尾の体調がまだ良かった頃、外食に行く気力体力があった頃は、彼がうどんが好きで何度か一緒に来た。

かけ大¥380+温玉¥50+とろろ¥50+海老天2本¥130×2の豪華版
この組み合わせは、価格的には¥740と高くなるが、食の幸福感を味わえるのであれば安いものである。

急上昇や急降下は続かなくてよい。平坦な馴れた穏やかな日々は無意識の幸福に満ちている。

テレビでは冬のドラマの新シリーズが始まっているが、ここのところバタバタしていたので『八重の桜』以外は全く観ていないし、録画もしていない。まだのんびりドラマを観る気持ちにはなれないのだが、意識的に切り替えていこうと思う。芥川龍之介は『侏儒の言葉』で「我々を恋愛(の苦痛)から救うものは、理性よりも多忙である」と喝破している。断るまでもないが、私の憂いは恋愛の苦痛ではない。

『ビブリア古書堂の事件手帖』(録画)を観る。初回は観ていないがまあ流れは解る。最近よく見るようになった、剛力彩芽が事件を解決する古書店主人という設定のドラマだ。今回のキーワードは新潮社の文庫だけにはスピン(栞紐)が付けられている事だった。気にしたことはなかったが、いわれてみると確かにそうだ。ハードカバーの本には付いていることが多いが、文庫で付いているのは新潮社だけである。今、本棚で確かめてきた。

2013年1月21日月曜日

平成25年1月20日(日) 晴れ

一夜明け、午前中にM子さんとT田君を三鷹駅まで送る。また会いましょうと、挨拶をして改札口まで見送った。気をつけてお帰りください。

心が激しく揺れた一月だった。こんなことはそうそうあるものではない。先月の13日からわずかひと月たらずの間に親友の葬儀二件と叔父の葬儀、そして長男の結婚式を間に挟み奔走した期間であった。非日常の連鎖もこれで落ち着くであろう。気持ちを切り替えて明日からは仕事に戻る。激しい運動をした後の筋肉痛のような心の痛みと昂ぶりはすぐに消えはしないが、時間が解決してくれる事は経験的に解っている。

午後になり明日の仕入れのため酒屋さんを回る。明日は酒屋さんが休みなので配達がないのだ。あれこれしている内に陽が傾いていた。静かな夕暮れである。


帰宅し、妻とふたりであれこれ話す。普段であればテレビをつけたままが多いが、テレビをつける気にならない。気分がまだ今日はそういう日常ではないのだ。今晩は遺影に向かい酒を酌んだ。もうJ尾はどこにもいない。絶対揺るぐ事のない厳然たる事実。しかしこの空間と時間に、彼の気配の名残り、それは昨年九月からこの家で生活を共にした日々の名残り、静謐な気配を感じるのは夫婦共通の想いである。

2013年1月20日日曜日

平成25年1月19日(土) 晴れ

杉並の堀ノ内斎場で15:00からJ尾君のお別れ会がある。時間前には親族の方三名を含めて二十数人の方にお集まりいただいた。神戸から先月亡くなったO君の奥様M子さん、徳島からT田君、清瀬からS井君が来てくれた。このメンバーが四十年来の友人達だ。J尾よ、みんな来たぞ。私たちは夫婦、長女、次男夫婦の五人だ。長男夫婦は残念ながら今週海外に出ているので参列できなかった。

告別式をしないので、葬儀社の霊安室から棺が到着するのを待つという形になった。

時間になり棺が到着する。納棺までのほんの短い時間だが皆さんにお花をいれていただき最後のお別れをする。

お骨上げまで待合室にておいでくださった方々とお話をさせていただいた。私は立場的には「友人のひとり」に過ぎないが、彼との付き合いの長さ、濃密さにおいては家族同然であり私の家族とも深く親交があった。なのでご親族をさしおいて申し訳なかったが最初のご挨拶をさせていただいた。

 その後、残られた方でお骨上げをする。最後に喪主である彼のお姉さんからご挨拶があり散会となった。



この堀ノ内斎場は私の母の葬儀をした所でもあり感慨深い。

M子さんとT田君と私の家族で三鷹の自宅に向かう。M子さん、T田君は今日私の家で泊まることになっているのでゆっくり話ができる。

今回の事で思うことがある。J尾君が「火葬だけにしてくれ」と言い残したので、それに親族の方は従った。それは彼が残された親族に負担を掛けたくないという気遣いであったが、私たちは少し淋しい思いをした。火葬だけというのはまさに事務的に進行して故人を悼む時間がないのだ。

彼のように立派に生き抜いた人間は、お集まりいただいた方々が追悼する気持ちも深い。彼が闘病していた事を知らせてなかったので突然の訃報に衝撃を受けた方もいらっしゃる。なので彼の言葉に逆らうようだが、最後にみなさんで食事会をすべきだった。それは会費制でもかまわない。ご親族をおいて差し出がましいが、私がもう少し気を配るべきだったと今になって思う。

帰ってから友人だけで追悼会をする。悪いなJ尾、私たちだけ飲んで、酒を満たしたグラスをここに置くからな……献杯。


2013年1月19日土曜日

平成25年1月18日(金) 晴れ

きのう亡くなったJ尾は去年ほとんどの持ち物を生前遺品整理という形で処分してたので、その後私の家で暮らした四ヶ月余りは、まさに仮寝の宿だった。預かっている物はわずかな衣類と、もう使うことはないがこれだけは最後まで残しておきたいと言ったビデオカメラだ。今はデジタル化が進みそのアナログカメラもすでに陳腐化してはいるが、彼を彼たらしめた身体の一部といってもよいであろう。

カメラは肩に載せるとずしりと重い。ファインダーから見える世界はプロカメラマンと同じ視野を体験できる。

リビングの一角に私なりの祭壇を設けた。本人は儀式ばった事は好んではいなかったが、それはたいていの人の本音である。緊張の伴う嘘くさい儀礼は万人の好むところではない。しかし人の世は避けて通れぬ事がたしかにあり、私が彼を追悼し彼の尊厳に対し敬意を表する事を形にするのは彼も許してくれると思う。

親族の方もすでに到着しているが、開かれた形での通夜や告別式は執り行わないので今日はホテルで待機されている。なので今日の夜は、私たち夫婦で個人的な通夜をする。

何だか用意していたみたいだが、そうではない。思いついて家の仏壇の道具を一時的に流用したものだ。ほんの十日前まで家のリビングで談笑していたので、彼の写真を飾るとき、たちの悪いいたずらをしている気分になったが、それは冗談ではなく現実であることが限りなく哀しい。


2013年1月18日金曜日

平成25年1月17日(木) 晴れ

昨年の初夏以降このブログであいまいな表現でしか書けぬ事を抱えていた。それは先日の記事に「通奏低音」という言葉を借りて表現した。それはいつか終わることではあったが、それが今日現実のものとなった。

高円寺の友人J尾が亡くなった。

実は昨年六月、中野の警察病院で直腸癌+転移肝臓癌に罹っていることが判明し、八月に人口肛門(ストーマ)手術を受け、状態が安定した九月になり退院した。

彼は生涯独身だったので、その時点では先行きが見えぬため、高円寺のマンションを全て引き払い、生前に自ら遺品整理をした。そして九月の退院から三鷹の私の家で療養することになった。

抗がん剤治療が始まり、二週間に一度二泊三日の入院治療のため三鷹と中野を車で送り迎えをした。このあたりの経緯がすべて書けなかったのだ。

血縁者としての親族、ご兄弟はいらっしゃるが、独身であった彼の世帯に家族はいない。なので10月の彼の還暦をわが家で祝った事、今年の正月をみんなで楽しんだ事、良い思い出になってくれた事と思う。

今月四日になり体調を崩し再入院した。そのとき初めて別室で主治医から病気の経緯を詳細に伺うことができた。それまで私の立場は「友人」であり親族以外には病院側から教えてくれることはなかった。その先生から昨年六月時点で、すでに転移のある肝臓全体が癌に侵されていて、切除不能であり全治の見込みは望めない極めて厳しい状態だったことを明かされた。

そして「残念ですが今月を越せることは叶わぬ事をご承知ください」と明言された。

覚悟はしたが、その日眼前にいる彼はまだ気力があり試練に立ち向かう姿勢が見えていた。

さきおととい大雪の月曜日、神戸から見舞いに来てくれたM子さん、Aさんに、また飲もうと口元で人差し指をひっかける仕草をした。まだ大丈夫だろう、いや奇跡的に回復するかも分からないとさえ思わせた。

1月17日雪の残る警察病院周辺
今日は軽い気持ちでいつものように昼前病室を訪ねると、あっ、と思った。様子が一変している。心電図モニターがフラットになっており、瞳も開いたままだ。医師と看護師が待っていて私が臨終確認の立会人になった。親族の方もこちらに向かっていると聴くが、私も間に合わなかった。

彼とは同い年で高校時代より四十数年の付き合いがある。彼は大学時代から自主映画制作に取り組み、卒業後は映像関係の世界に入った。その後自ら会社を興し、彼自身もプロのビデオ報道カメラマン、ドキュメントカメラマンとして世界を駆けてきた。

そして今日、彼はその長い旅を終えた。


あるじ無き世界を駆けた伴侶
J尾よ、死んだのか?本当に死んだのか、先月逝ってひと月も経たぬOとその辺で再会したか?ふたりで手招きするんじゃないよ!頑張り屋だったからなあ、辛くても絶対弱音を吐かぬ愚かしいまでの誠実さで人に向き合ってきた。もうゆっくり休め。こちらでは今仲間に声をかけた。土曜日はちゃんと骨は拾ってやる。その後君の写真を前に一杯やろう。







2013年1月17日木曜日

平成25年1月16日(水) 晴れ

四日前の長男の婚礼が四日前の出来事とは思えぬような時の流れである。先日のある日のブログで「忘備録」(ぼうびろく)と書いたのだが、時々私のブログを見ているカミさんから、それは「備忘録」(びぼうろく)なのではないか?との問い合わせ(笑)があり、どちらでも良さそうな気もしたが、調べてみると、元々はカミさんのいう「備忘録びぼうろく」が正しく、忘備録でも今は間違いとはされないという扱いらしい。

思い込みや勘違いからくる間違いで、それは他人が知っていても立場や関係性において指摘できぬ場合を鑑みると、人は自分の知らないところで多くの恥をかいているのだろうとあらためて思う。

先日の結婚式の写真のiphone「漫画カメラ」データを横浜の甥が送ってくれたので公開する。





何かずっと前のような気がしてくるが、四日前の出来事である。

2013年1月16日水曜日

平成25年1月15日(火) 晴れ

大雪から一夜明けてみると家の前は凍結した雪が道を占めている。幹線道路は車の通行量が多いので大丈夫だろうが、家がある住宅地の日当たりが悪い場所は三四日、悪くすると一週間近くは路肩に雪が残るのである。スタッドレスタイヤを履いている車(長男所有)があったのは助かった。店の仕入れでここぞという活躍をしてくれた。

店の周りも陽当たりが良いにもかかわらずまだ雪がしっかり残っている。

三鷹駅側

西方面

北向き、横河電機方面

記録的な積雪ではなかったが、雨から雪に変わりみるみる積もり始めた意外性と成人の日に重なった雪と言うことで記憶に残るであろう一日となった。

2013年1月15日火曜日

平成25年1月14日(月) 雨のち雪

朝は雨だったが、気がつくと雪になっていた。足元が悪くなっても、今日は昼前に中野で約束があるので家で雪見とはいかない。それでも大したことはあるまいと思っていたら、みるみる積もりだした。これはいかん、早めに出なければと、カミさんの運転で長男の車をだす。長男の車はスタッドレスを履いているので雪道でも一応大丈夫である。

武蔵境駅まで送ってもらったが、ぎりぎりの時間になりそうだ。電車も遅れ始め結局五分ほど遅刻してしまった。

この雪であるから休日にしては電車も空いているし、街も人が少なく静かである。着物姿の新成人を見かける。何だか気の毒な天気になってしまったが、こういう荒れた雪の日は後日強く印象に残っていると思う。

今日の約束は、昨年末亡くなった友人の細君M子さんと娘のAさんにお会いする事である。彼女たちは別の用件で神戸から来ていたのだが帰る前に昼食をご一緒しようということになった。

M子さんのリクエストもあり中野北口の『更科』に入る。南口店は高円寺のJ尾君とたまに利用しているが彼と一緒だと酒ばかり飲んで蕎麦を食べずじまいになることが多い、というより蕎麦を食べたことがない。

それにしても店内は静かだ。ちょうど昼時でいつもなら満席なのに閑散としている。もともと年配客が多い店なのでこういう大雪の日はみなさん出渋っているのであろう。静かな店内で雪見酒となった。

穴子の白焼き

天ぷら盛り合わせ
焼き蛤

白いさらしな蕎麦(一番粉)


他にも鴨焼きを食べたのだが、話に夢中で気がついたら撮影不可の状態になっていたので諦める。三時間近く長居をしたが、今日のように雪で店が閑な日は許されるであろう。酒もしっかり飲んで売り上げに貢献しているしね。落ち着いて話をすることができた。

雪はまだ降り続いている。お二人は夕方の新幹線で神戸に帰ることになっている。西に向かう新幹線は大丈夫だろう。


中野駅で再会のご挨拶をしてお別れする。数時間後に無事帰宅したとのメールをいただく。お疲れ様でした。

2013年1月14日月曜日

平成25年1月13日(日) 晴れ

昨日の婚礼から明けて今日は、次男の嫁のコンサートだ。昼前に親類を羽田空港行きのバスが出ている吉祥寺まで送る。ご足労様でした。

コンサートは午後二時から新宿文化センター大ホール『プリモアンサンブル東京』第25回定期公演である。私たち夫婦、長女次男の四人で行く。長男夫婦はお疲れモードで休息日だ。次男はきのうの朝ベトナムから帰国した足で結婚式に出席し、今日はコンサートと忙しいがまあ若いから大丈夫である。



昨年の定期公演も聴いたが弦楽器を入れない社会人吹奏楽団で、幅広い年齢層の団員で構成されている。今回は最前列に近い二列目で聴いた。演奏者の息づかいや楽器ひとつひとつの音が際立って聞こえてくる。曲により演奏者の位置が少しずつ入れ替わる。最後のほうで次男の嫁のSちゃんが見える場所になった。ホルンなので前列にくることはないが私たちを確認できたようだ。

演奏会が終わりロビーで彼女を待っていると、彼女の実家のお母さんと兄さん弟さんが来ていて、やあ久しぶりということになった。

彼女は演奏会終了後、打ち上げがあるので向こうのご家族にお別れの挨拶をし我々は会場を後にする。きのうの婚礼がきのうだったことが何か夢のなかの出来事のようである。
平成25年1月12日(土) 晴れ

更新が遅れた。12日から13日にかけては一人でPCの前に座れる状況ではなかった。これを書いているのは14日の早朝というか午前四時である。さすがに昨晩は早め、それも『八重の桜』を観ないで八時前に寝てしまった。なのでこの時間に起きているのである。

12日、今日は長男の結婚式だ。場所はお台場である。荷物もそれなりにあるし帰りのこともあるので車をだす。飲まない人がいるから帰りの運転手は確保できている。午前中は首都高速が案外空いていて40分たらずで到着し、時間をもてあます結果となった。

時間になりみなさんお揃いになり式から披露宴と進行する。






約三時間、和やかに宴はすすみ無事終了した。


お台場を出る頃、黄昏れ時ほんの短い時間だが空が幻想的な色に変わる。

その後、三鷹の自宅に集合する。長男たちは少し遅れて合流した。彼らは16日から約一週間ワイハーもとい、ハワイだそうである。


兄弟それぞれのパートナー他全員で10人の賑やかな家での二次会になった。感覚的には短い一日だが考えてみると長い一日である。