2013年3月2日土曜日

平成25年3月1日(金) 曇りのち夜一時雨

朝から風が強い。きのうに続き暖かいので「春の試着」+「強風」=「春一番」ということだろう。

となり街の吉祥寺で物騒な事件が起こった。管轄の武蔵野警察は三鷹駅の北口側に位置し店から歩きで三、四分だ。昼は報道関係が押し寄せたのではないかと想像する。至近距離だが逆方面なのでわざわざ見に行くほど暇ではない。

それにしても、荒っぽい事件だ。怨恨にしろ金銭目当てにしろ殺人行為は、本来ハイリスク・ローリターンの最たるもので背景には強い動機がある。大人が犯す金目当ての計画犯なら法を犯す以上、最大の利益(ハイリターン)を狙うのが普通だと思うが、今回のは少年で思いつきの稚拙な犯行である。

小遣い銭欲しさの行き当たり「誰でもよかった」のゲーム感覚での襲撃みたいだ。犯人の少年達が事件を起こして得るもの(利益)と捕まった場合に失うもの(損失)の釣り合いが悪すぎる。それを思案したことはないのだろう。女性を背後から凶器で襲った卑劣な手口も、ゲーム感覚だったのだろうか。金が欲しいだけなら相手は一人の女性であるから刃物を見せ脅せばすむことである。人を傷つける事に躊躇のないゲーム感覚でなければこんな割の合わない事件は起こさないはずだ。

この事件の怖さは、犯人の少年達が特殊な人間ではなく、彼らの予備群が社会に潜在していることを我々が想像できるということである。そうであるとすれば、社会のどこにも安全を担保できる場所はないことになる。病気や交通事故や地震などの天災にしろ、災いは、もともといつ我が身に降りかかってくるかは誰も判らない。

朝玄関を出るとき、ふたたびその玄関に立てぬことを人は想像できない。人が自らの死に対する想像力は、「今日一日くらい安全であろう」と疑わぬ幻想に支配された脆弱なものである。

被害者の娘さんは本当にお気の毒としかいえない。合掌。


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