まだ午前中の昼前、野川にゆく。歩いている途中で、従姉妹のEちゃん(私よりお姉さん)から電話が入る。最初気がつかなかったが、肩掛けの小さいポーチの中で鳴っていたような気がして念のために見たら着信記録があったのだ。
私の年代になると、しばらくぶりの親類の電話は(何か悪い報せか)と身構えてしまう。すぐにコールバックしたら・・・・・・「お兄さん元気なの?電話しても出ないし」という、高松で独り暮らしの高齢の兄を心配した心遣いの電話だった。
兄は昨年体調を崩して入院していたが、今は回復して元気になっている旨を伝えて、やれやれということになった。
Eちゃんは今月の半ばから、夫婦でタイのチェンマイに半年ほどロングステイに行くそうだ。昨年も行っていたので、日本とチェンマイを住み分ける渡り鳥型の生活で、楽しそうだ。
私の次男夫婦がベトナムのホーチミンシティに仕事で住んでいることを伝えると、隣のようなものだから向こうで機会を作って会う、という話になった。年配者でも世界を軽く往き来できる時代になったことを実感する。
秋になって初めてアオサギを観る。アオサギはサギの仲間では最も大きく野川のような小さな川では特に大きく見える。
翼長は1.5m以上はあるだろう。こんな大きな鳥が身近にいることの不思議を想う。
先日水没していたテニスコートの水は抜かれ復活していた。人為的に水の出し入れをしているようだが、こんなに綺麗に元に戻るのね。
ハケの舗道に上がり折り返して帰る。
帰りがけにコンビニで昼を買って帰宅。つけ麺とおにぎり。炭水化物同士なり。寝る前でなけりゃいいのだ。いや、たとえ寝る前でも食べたいときは食べるのだ、という断固たる信念に基づいて生きなければならない、と言い訳じみた強がりをいってみる。
多分、今と明日くらいは生きているだろう、という無意識の感覚は健康な人なら誰にでもあるが、現実には、若い方でも朝、靴を履いて出て行った人が再び玄関に戻ってくることがなかった、という、生の保証がない事例には事欠かない。
食べたいときに食べたいものを食べる、でいいではないか。飲食の刹那的快楽は人を笑顔にさせる。
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