2017年8月3日木曜日

平成29年8月2日(水) 曇り 「ブログの時間」

5時45分起床。昨晩は飲まずに寝たので、当たり前だが酒が残ることもなく、ボンヤリとシャキッとの中間くらいである。それを一般的には寝起きという。アイスコーヒーを入れてくる。


プライムミュージックをつけてブログにかかる。


思うに、テーマが決まっているブログや有名人の商業ブログは別にして、毎日日記ブログを書き続けている生活と、ブログを一切関書くことのない生活が、パラレルに存在すると仮定して、ふたつを俯瞰的に見比べると、私はブログを書く行為以外はまったく同じことをして同じように時間を過ごしているだろうか。う~む、それはない。違うと思う。

もしあるとすれば、自分の生活を他者がブログに記録している場合ならあり得るかも知れないが、でもそれは自分のことが書いてあっても自分のブログではない。

ブログを始めて6年になる。ほぼ毎日更新するようになって5年が経ち、習慣化しているから、更新することができない理由がない限り、うっかり更新を忘れたりすることはない。

毎朝、デジカメの電池の残量を確認しているが、確認しなくともどのくらい電池が残っているかはおそよ把握していて、もちろんカメラは常に携帯している。

もしブログを書かぬ生活であればデジカメを毎日触ることもないだろうし、いちいち朝のコーヒーの写真を撮すこともないであろう。

そして使う使わないは別にして何かあれば写真に残すような習慣は職業カメラマンでもない限り身につかないであろう。この点だけでもすでに生活が違うのである。

では写真を使わぬ文字だけのブログならどうだろうか。これにしても習慣的に書くとなると、意識下ではどこかでブログ記事になりそうなネタを、消極的には探すことになると思う。過ぎてゆく忘れ去りそうな出来事に対して、印象づけて覚えておくという作業を無意識にするようになり、同じような日々の生活でも記憶のメリハリができるのではないだろうか。
ブログは一日を分割してその日の出来事を機械的に書き出しているのではなく、主観的な選択、編集が行われているのであり、日によっては散歩のことだけであったり、酒の蘊蓄だけであったりするわけだ。

なのでブログは一日の出来事の抜粋ではなく、ブログを書く時間それだけを切り離しても、ブログを書かぬ生活、意識しない生活とは、生活が同じわけがない。

もしかしてブログの小ネタになるかもわからないと思い、以前なら決して行かないような催し物に行くこともあるくらいだ。

そういう意味では私にとって割合は小さくても、ブログは、不精者の背中を押してくれる道具、生活に密着したツールであり、単なるメモや備忘録ではないのだ。それに書いている自分以外の読者がひとりでもいる限り、人は人の中で生活している安心感があるのだ。それは「孤独」とは違う「孤立」を畏怖する人間のプリミティブな感情であると思う。

アクセスはあるがブログ記事に対するコメントのない(笑)「孤独」には平気でいられるが、もし毎日アクセス0、だとすれば、世間から忘れられてしまった感覚、ストロークのない「孤立」に、人は穏やかではいられないものである。

長くなったので朝のルーティン記事は割愛(笑)。

出勤。(仕事中)17時勤務終了。16文字で8時間を端折る。

帰宅してシャワー。今日は気温が低くて楽だった。アルコールは今日も抜き。

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