2020年4月7日火曜日

令和2年4月6日(月) 晴れ

7時離床。7時半になってリビングで朝刊とヨーグルト。


8時から朝ドラをオンエアで観る。出勤はないから録画しておいて後で観ればよさそうなものだが7時になるのを待ってるくらいで習慣とはいえこれが定着した。

コーヒーを淹れて部屋に戻る。


J-POPのジャズアレンジアルバムを流してブログの更新。


今かかっているのは宇多田ヒカルかな。

昼は焼きそば。


コロナ禍だが政府は所得減の世帯に申告制で30万円を配るといったり、マスクを全住所に二枚ずつ配るといって、某噺家に戦時中の話を持ち出され「竹槍でB29を突いているようなもの」と揶揄されたりして迷走しているが、現実に打てる手を考えれば公共料金(電気・ガス・水道)を向こう一年間一律無料にして食料として米一俵(約60kg)を配れば最低限の暮らしなら一年間は生きてはいけるので少しは国民も安心するのではないかと思うのだが。

明日火曜日には首相が非常事態宣言を出すようで、既に非常事態であるから東京では何かが大きく変わるわけではないがこれでますます飲食店には打撃になるだろうしまた買い占めに走る人が出てきたり、いつ終わるとも分からない見えぬ相手の長期戦、恐慌をとばして経済ヒエラルキーが崩れて経済崩壊が起きて収束しても灯の消えた繁華街に響くのは痩せた野良猫の鳴き声だけというのが小説や妄想の中の話ではなくなった。

若者は体力を持て余し大きなストレスがかかり人びとは疲弊している。私事でいえば4月と5月に人と会って飲む約束があるが、今の状態が良くなるとは思えず多分中止になるだろう。

普通にあった都会の営みが風前の灯火だ。古典「方丈記」そのままである。

方丈記 鴨長明

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。文は続く

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