2017年6月20日火曜日

平成29年6月19日(月) 晴れ

5時半起床。アルコールを控えて二晩を過ごした。飲まなきゃ飲まないでどうということはない。コーヒーを淹れてくる。


プライムミュージックを流してきのうの山のブログを更新。


ゆで玉子を作りながら新聞とシェイク。


支度して出勤。(・・・・・仕事中・・・・・)午前中は曇りがちで涼しい風が吹いていたが、午後晴れてから暑くなる。鬱陶しい梅雨空を期待しているわけではないがカンカン照りが嬉しかったのは、ふた昔も前の夏、子供たちとロングステイのキャンプに出かけていた頃までだ。17時勤務終了。帰宅。

朝昼シェイクで、間食はなし。今晩もアルコールは控えて、かつ粗食にする。仕事がよい運動にもなっている。しかしこんなのは長続きしないから水曜の夜までだな。

飲まないと時間があるのでブログの下書きをしながら考えてみた。考え事をしながらプライムラジオのバロックを流す。


古来、人は不老不死を夢見てきた。しかし若さはどんなに希求しても努力や権力や金銭で購えるものではない。いつしか近くが見えづらくなってきたり、髪が薄くなってきたり、気がつけば髪に白い物が一筋二筋現れ始めるのだ。見かけや相対的な若さは工夫次第で作ることもできようが生きている限り、人は歳を取る。

個人差があることなので一概には言えないが、体が老いてゆく変化を感じ始めて、「若い」ということの価値を知るのだ。

母親の胎内で最初の鼓動が始まった瞬間から人は死に向かって老いてゆく(クレジオか・笑)。

人生の充実度は別にして、生物学的に細胞が若いのはせいぜい20代半ばまでであろう。その頃はそれが当たり前で、成長した立派な大人の若いオスであり、メスであるのだ。私個人は己が歳を取り衰えゆく姿を想像したことは一度もなかった。

顔にしわがなく、体は水を弾くツヤがあり、筋肉が張っているのはなぜなのか、若い時には当たり前すぎてそれを知覚することはまずない。人は歳を重ねてから、悲しいかな初めて若さの本質を知るのだ。

風を切って自転車で走り去る高校生。もうその存在だけで素晴らしいと今、私は本当に思う。しかしその輝いている時間は永遠には続かない。素晴らしい、といって落とすようで申し訳ないが羨ましいとは思わない。流されているといつの間にか無為に時間だけが飛び去っている。

大切なのはいかに生きるかだ。牢に繋がれて無為に100歳まで生きるのと、30歳で死ぬがそれまで思う存分生きるのとどちらがよいかだ。どちらが本当に長生きしたかだ。そういう意味では実年齢はあまり人生に関係はない。

何といっても、これからの人生、今が一番若い。

現在ダイエットをしているのは何も美容でしているのではない。体調を整えて維持するには何をすればよいかを考えたのだ。まだ人生これからやることはある。とりとめもなく考えてみた。

「たとえ明日世界が滅びようと、わたしは今日林檎の木を植える」マルティン=ルター

あまりにも有名で出すのが恥ずかしいわ(笑)。

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