2012年1月30日月曜日

平成24年1月29日(日) 晴れ

今日は次男の婚約者が所属する「プリモアンサンブル東京」という吹奏楽団の定期演奏会があった。場所は文京区のシビックセンターで2時からのマチネだ。ここは地上26階建ての高層ビルで文京区役所や市議会議場、大ホール、小ホールなどが入る複合施設だ。東京ドームの北側に位置しているので水道橋で降りて徒歩で向かった。妻と娘、次男の四人編成だ。長男は残念ながら仕事で行けない。




1800席の大ホール
 一般社会人の楽団でこれだけの入場者を集めるのは力がある証拠だろう。実際の演奏も聴き応えのあるもので演奏者が50人以上のビッグバンドだ。管弦楽団とは違う魅力があった。

プログラム

第一部

歌劇「運命の力」序曲  歌劇「サムソンとデリラ」よりバッカナール  歌劇「アンドレ・シェニエ」よりフィナーレ

第二部

「ライフ・ヴァリエーションズ」~生命と愛の歌  シンフォニエッタ2番「祈りの鐘」


指揮者登場前の少しざわついた状態


本演奏終了後のアンコール3曲目で最後のオマケ的なものだったが団員の女性が「365歩のマーチ」を熱唱してくれた。震災に配慮したものである。会場の手拍子も加わり和やかなコンサートだった。ちなみに唱っている向かって左側のマイクを持っている女性が次男の婚約者である。驚いた。本人曰く一週間前に突然差し込まれた企画で歌詞を覚えるのに大変だったそうだ。


コンサート終了後、せっかく来たのだから25階の展望台に上る。公共施設なので無料だ。完成して公開を待つスカイツリーが近い。周りのビルと比較するとその高さがよく分かる。

2012年1月27日金曜日

平成24年1月26日(木) 晴れ

今日も歩きで店に向かう。月曜日の雪以来バイクを店に置いたままなので歩かざるをえない。もちろんバスはあるが、歩くことが今は楽しいのでそれは考えに入らない。

自転車で通うというのもあるが、新たに買わなくてはならぬので保留だ。30代の頃、今のような自転車ブームの無い時代にロードレーサーで都心に通っていた時期がある。

子供のころからサイクリングの好きな自転車小僧だったが子供に高い自転車は買えるはずもなく雑誌をみてあこがれていただけだった。大人になってたまたま雑誌を見ていたら高円寺に「フレンド商会」という専門店があるのを知った。引き寄せられるように店を訪ね衝動的に「30万円」を購入していた。妻の機嫌が直るまで大分時間がかかったような気がする(笑)。

「買った以上ちゃんと乗ってね、どうせ三日坊主」と言われて意地になり通勤に使い出したのだ。
往復35キロ前後、雨の日以外は乗った。おかげで体力は向上し勢いでアマチュアの自転車レースに一度参加した事もある。結果は120人中40位くらいだったと思う。まあ平凡な記録だ。

今は店までの距離が5キロ、通勤に使う目的だけで高い自転車を購入することは財務大臣の決裁が下りる可能性はゼロ。そこそこのでもよいがどうも心が動かぬのでやはり保留。

まだ雪が残っている
 おととい、中央線の南側を歩いたので気がつかなかったが、こちらの北側側道は日射しが遮られていて三日たった木曜日でも雪が残っている。

鳩’s
快晴の空と鳩たち、全部同じ方を向いているのは何か理由があるのだろうか。

新品ウオークマン
ネットで購入したウオークマンが来た。説明書を読まなくても操作できるほど使い勝手はよさそうだ。

2012年1月26日木曜日

平成24年1月25日(水) 晴れ

雪の影響がまだ残っている。南北に通る道路は裏道の狭い所でもほとんど残雪は無いが東西に走る道では住宅街の裏道で凍結したままの所がまだ多い。

火曜日の芝生畑
 いつもとは少しだけ違う道で店に出た。いつもは武蔵境の東側から中央線の北側側道を歩くことが多いが今日は南側の側道を利用した。南側は車の通行量が多く狭いので歩きには向いていない。
三鷹JR車庫
三鷹はJRの車庫がある、ここを通りかかって昔の『三鷹事件』 を思い出した。といっても事件は昭和24年の事であるから生まれる前の話でそういう事件があった事の知識として思い出したのだ。

今はこういう豆腐店は希少だ
 一枚80円のがんもどきを5枚購入、おまけで一枚サービスしてくれた。このがんもは私の個人的な財布からなので店用ではなく自家消費おでん用にする。
三鷹通りアンダーパス南向き


帰宅してから録画してあった『ダーティ・ママ』を観る。設定に無理があるがそれを楽しめば永作博美の演技は安定感がある。

2012年1月23日月曜日

平成24年1月23日(月) くもり時々雨

先週の金曜に天気がくずれてこの四日間降ったり止んだりの空模様だ。先週は歩きで店に出ることが多かったが、今日のような雨模様だとバイクを使うことになる。

若い頃のように音楽を聴く事はないが、店までの歩き一時間は最近慣れてきて少し退屈なので、音楽を聴こうと思い何年か前に買い少し使っただけで仕舞ったままになっていたMP3プレーヤーを出した。

フリスクくらいの大きさなので携帯性は良い。しかし動作不良で使い物にならない一歩手前だ。経年劣化なのか原因は解らぬが使えないのではただのゴミなので買い換えを検討する。これの付属のイヤホンではなく別に用意してあるカナル型イヤホンの片方が断線しかかっていて音が途切れる。他の機器に接続しても同じ症状であるからイヤホンも壊れている事になる。消耗品と呼ぶには高い買い物だがこれも買い換えになるだろう。

それでもこういった機器は加速度的に進化して性能と価格のバランスは30年前と比べると夢のような話だ。カセットテープやCDを入れていたウオークマンは既に博物館の世界である。

昔、友人が出たばかりのウオークマンを購入してみんなで、どれどれと廻し聴きした事がある。そのときの驚愕は今も忘れない。全員が「すっげ~なコレ」と言った。Mrマリックの手品を初めて見た原始人のようなものだった。そのインパクトが世界中を駆け巡り、音楽が高音質で携帯できるパラダイムシフトの瞬間だったと思う。

2012年1月20日金曜日

平成24年1月20日(金) 雪

予報通り朝から降ったり止んだりの雪だ。屋根がうっすら白くなっているが道に積もるほどではない。ずっと乾燥した日が続いていたので部屋の空気が柔らかく感じる。昔仕事の後輩で秋田の豪雪地帯出身の男が言っていた。
「俺、雪は嫌いなんですよ。東京はいいですよ。どんなに雨が降っても外に出られるじゃないですか」
東京で暮らす人にとって雪は一冬のアクセントだが、そうはいかぬ厳しい季節を耐え忍ぶ地域もある事を頭ではなく心で理解した覚えがある。

毎日、録画しておいたドラマを深夜に観る。CMを飛ばせるので観るには効率的だ。この冬のドラマもそろそろ出揃った。今のところ『最後から二番目の恋』が一番だ。二回目の小泉今日子の一人芝居(失恋を語る場面)は実力のある役者の技量を感じた。

月9の『ラッキーセブン』は松嶋菜々子の役がミスキャストのような気もするので様子見。

火曜日『ハングリー』はロック音楽を捨て母の遺したフレンチレストランのシェフとして立ち上がる物語で可もなく不可もなくの印象。

水曜『ダーティ・ママ』は永作博美が周到な役作りをしてきて好演している。映画『八日目の蝉』でみせた演技力は本物だ。

後は『聖なる怪物たち』『最高の人生の終わり方』『運命の人』など毎日これでもかというくらい多くの作品が放送されるが、最後まで観るのはたいてい3作くらいに落ち着く。




2012年1月19日木曜日

平成24年1月18日(水) 晴れ

水曜日の深夜番組『孤独のグルメ』が面白い。。輸入雑貨商を営む主人公「井の頭五郎」が営業で訪れる街々で見つける庶民的うまいもの屋のドキュメント風ドラマだ。

食事は必ずひとりで酒は飲まない。コミックが原作らしいが、紹介する店はコミックとは違い現実にある店をスタッフが探しているそうだ。今回で三回目だったが、どの回も行ってみたくなった。

主役を務める俳優の松重豊がなかなかいい味だ。松重豊という俳優はヤクザや刑事など一癖ある役が多いがスーツ姿のサラリーマンスタイルもピタッとはまっている。強面の顔からちゃんと毒気を抜いた普通の人を演じている。というかその普通の人こそ彼の本来の顔に近いのではないかと思う。

今回は池袋の『楊』という四川家庭料理店で「汁なし担々麺」がメインだった。山椒をたっぷり効かせた辛さがクセになるらしい。調理場で作っている課程を撮していたので味はだいたい見当がつく。もちろん店の味にはならないが今度家で作ってみよう。

2012年1月17日火曜日

平成24年1月16日(月) くもり

晴天が続いていたが久しぶりに曇天だ。今日は夕方から今年90歳になる叔母とその次女従姉夫妻と会う約束があり店は休ませてもらった。文京区の千駄木に住む従姉の長男宅の近所で食事というより焼き鳥屋で久しぶりの再会に話が弾んだ。叔母は高齢のためその席には参加しなかったがまだまだ元気そうで良かった。この叔母は、私の母の妹で、母とよく似ていて街で人に見間違えられる事が多かったという話を母と叔母の両方から聞いたことがある。

母は早世したのでこの叔母には長生きしてもらいたい。

明日は浅草の中村座歌舞伎観劇だそうだ。どうぞ楽しんで来て下さい。

2012年1月15日日曜日

平成24年1月14日(土) 晴れ

きのうの22時からNHKの番組『ふれあい街歩き』でベトナムの「カントー」という街を紹介していた。ここは南シナ海に近いメコンデルタの要所で「米白く水清く旅人去りがたし」と謳われた所だ。

ベトナムを旅行をする中で短期滞在型の日本人の多くは首都ハノイや南部のホーチミン・シティ(旧サイゴン)を中心に廻ることになるのが一般的だ。今回NHKで紹介された「カントー」はホーチミン・シティから車で約5時間南に下った街で日本人の観光客を見かけることは今でも多くないと思う。

実は今から14年前、1998年春、私はこの「カントー」の地に行ったことがある。今は知らぬが当時町中で日本人と思われる人を見かけた覚えはない。

ベトナム南部のメコンデルタ地域は細かい川で陸地が分断されている。それを橋を架けずに渡し船で賄っている。ほんのわずかな距離でも車ごと乗れるフェリーがある。いちいち止まった先では物売りが日本では考えらぬ勢いで商売に励む。「カントー」もたどり着くには何度もフェリーに乗ることになる。

私の旅はいたってシンプルだ。海外の旅の場合でも往復の格安チケットを探すだけ。後は現地でなるようになる。私は外国語が堪能ではないが使えるに越したことはないと思う。しかし旅を続けるには英語も含めて現地語は必須ではない(付け焼き刃の語学が役に立った事例を私は知らない)。

話せなくとも外国を肌で感じるなら一人で街を歩くことだ。『なんとかなる』


2012年1月13日金曜日

平成24年1月12日(木) 晴れ

この冬一番の寒波で関東以北は最低気温が氷点下の所が多かった。

二月になると青森の八戸一円を中心に東北各地で広く行われる門付け「えんぶり」という行事があることをテレビで見て知った。





wikipediaからの引用
2月17日の早朝に30組を越える「えんぶり組」が八戸市長者山の長者山新羅神社に詣でた後に同市の商店街で一斉摺りを行い、その後更に近郊農村部を門付けして巡り、20日までの4日間に亘って同市内の各所で演じられる。現在では観光的要素の大きい行事となっているが、元々は儀礼性の濃い田楽田植踊)の一種であるとされる。先端に鳴子板や金輪をつけた「ジャンギ」と呼ばれる棒を持って踊られるが、このジャンギが田植前に田を均すのに用いる柄振・朳(えぶり)という農具に起源も持つものであるために「えんぶり」と呼ばれるようになったと伝えられる。


テレビで紹介していたのは子供達が「えんぶり」の装束をまとい商店や飲食店を門付けして廻る様子で地域色が色濃く反映されていた。子供の可愛いこと。人と人のつながりの濃密さや人と接したときの相互の感情の表現が都市とは明らかに違う事がテレビを通してもわかる。


東京のような都会では良くも悪くも分かっていても無関心を装う事が習慣になる。これは異端者を好奇の目で視ぬための儀礼的無関心であったり、眼前の理不尽に立ち向かえぬ逃避的無責任であったりする。この見て見ぬふりは都会で生活する者ならば程度の差はあろうがほとんどの人が思い当たるだろう。


その同じ人間が地方へ行く人が変わったように活き活きとしたりする。人はそれぞれの場所や時間で社会的役割を、例えば職場では仕事人としての顔、家庭では夫や妻、父親や母親の顔を使い分けながら生きている。どれが本当の自分の顔かということは重要ではない。人は社会的な生き物であるのだから、人との関係において表現される自分というものが重要である。


閉鎖的村社会文化が残る地方から息苦しい人間関係をのがれて都市に出てきた人間は、都会特有の匿名性の高さや自由を手に入れるが、同時に誰にも寄りかかれぬ孤独を胸中に抱える。


帰れる故郷があることの、ありがたさをこのごろ改めて思う。




2012年1月11日水曜日

平成24年1月10日(火) 晴れ

朝日新聞のコラム「1分で知るマメ医学」で体重について書いてあった。昨年から体重のことを多少は気に掛けているせいか、小さな記事でも目にとまる。

見出しに「少し太めは大丈夫」などと書かれているのだからそれを見逃す私ではない。

引用する。

 これから10年で、自分ががんや心臓病、脳卒中になる危険度を知りたい。そんな人に役立つのが「がんと循環器の病気リスクチェック」(http://epi.ncc.go.jp/riskcheck/)だ。国立がん研究所センターのウエブサイトにある。40~69歳が対象で、体重のほかに性別、年齢、身長、喫煙習慣、飲酒の頻度などを入れると危険度が分かる。 (中略)


 日本人の中高年男女35万人を平均10年以上、追跡した国内の研究から、BMI(肥満指数)が、死亡リスクに与える影響を分析した研究がある。特にリスクが低いのは、男性では25以上27未満、女性は23以上25未満だった。ちょっぴり太り気味といったところか。


 「40歳以上で死亡リスクを考えれば、23~27、見た目を入れても21~25の範囲で」と、国立がん研究センター予防・検診研究センターの津金昌一郎・予防研究部長は話す。
 どうやら、極端な肥満でなければ無理にやせなくても良さそうだ。


 自分にとって都合が良い記事は読んでいて気分が悪かろうハズもなく、一応切り抜いておいた。
世の中に健康志向が声高に謳われ始めたのはいつごろからだろう。生きていく事に必死だった時代には飽食の産物「ダイエット」などという言葉は無かった。

抗菌もしかり、昭和の時代は今よりは不潔だったが、それが今となっては逞しくも思える。潔癖さに何を求めているのか知らぬが、過ぎたるは及ばざるが如しで不自然なまでの清潔はかえって免疫機能が遊んでしまい、アレルギーを引き起こすのではないかという話をどこかで読んだ。何事もほどほどというのがよい。

わずかではあるが日没が遅くなっている。





2012年1月9日月曜日

平成24年1月8日(日) 晴れ

正月明けですぐに三連休になったので明日の成人の日が終わってからやっと本来の仕事が始動する気分の人が多いのではないだろうか。ただ世間には色々な仕事があり、盆暮れ関係ない仕事に携わっている人に街は支えられている。

暮れにやり残した自室の整理をした。分かってはいるのだが、きれいに片付けるというのはなかなか大変な作業だ。「断捨離」や「人生がときめく片付けの魔法」などの片付け指南書がベストセラーになっていることからもわかるように、きれいにしなければと思いながらなかなかそれを実行できないという人が私を含めて多いのだ。独身時代の若い頃、部屋は本当に足の踏み場がないくらい散らかっていた。今はそれに比べると散らかっていても床が見える。何の自慢にもならないが。

今日の昼はカミさんと娘と三人ですき焼きをした。食事の材料のやりくり上そうなった。すき焼きというのは私の中では昼食ではなく、ある種贅沢な夜の食事である。

休みなので、すき焼きなら酒を飲みながらでも良いが、普通にご飯を食べアルコールは飲まなかった。すき焼きというのは味が濃い食べ物なので本来はご飯のほうが合うとあらためて思う。

暮れからしっかり食べて飲んでいるのでそろそろ意識して腹八分にしよう。




2012年1月4日水曜日

平成24年1月4日(水) くもり時々晴れ

二日、夕から次男の婚約者が年始に来てくれた。泊まってもらう事になっていたので夜はゆっくりと過ごせた。深夜になり録画していた番組、内野聖陽が堀部安兵衛役の忠臣蔵の後半を一緒に見た。二十五歳の若い彼らでも話のあらすじや展開はあたまに入っていて、面白いと言う。

吉良という仇相手のある物語なので吉良にゆかりの方々には気分の悪い方もいるであろうが、多くの人々はこの物語を支持し様々なかたちで今に伝えてきた。

また来ます、と言い残して三日の昼過ぎ次男と一緒に二人の住む街へ帰っていった。

明けて今日四日、暮れから決めていた武蔵野七福神巡りに出かける。効率よく巡れる特別巡回バスが吉祥寺から30分おきに出ているがあえて変則てきな周り方をした。まず三鷹の店までバイクで行き昼前だったので近くの蕎麦「布袋屋」で食事をする。

天とじ蕎麦

写真を撮る前にうっかり箸をつけてしまった。エビが大きく美味しかった。寒いときは粋を気取らず痩せ我慢せずに暖かい蕎麦を注文する。

吉祥寺まで電車で出て五日市街道沿いの「安養寺」、「武蔵野八幡宮」、少し北の「大法禅寺」の三つをまわる。

安養寺、布袋尊

武蔵野八幡宮

武蔵野八幡宮、大黒様

大法禅寺、福禄寿
井の頭公園弁財天

弁財天は開帳されていない

延命寺、毘沙門天

延命寺

延命寺、寿老人

杵築大社(きづきたいしゃ)

杵築大社、恵比寿様

恵比寿様のオブジェ

杵築大社
「井の頭弁財天」までは吉祥寺周辺なので徒歩で移動したが、残りの「延命寺」「杵築大社」は武蔵境寄りで距離もかなりあるのでバイクで移動した。バイクを使ったのは残りふたつがバイクなら止められる事、最後の杵築大社は家から一番近いことだ。近いと言っても直線で4kmはある。

ちょうど正午に巡り始めて三時半くらいにお参りが終わった。日暮れまでにまだ時間があるのは気持ちに余裕が出る。さあ明日から始動だ。正月気分を切り替えよう。

本日の成果、まあスタンプラリーだ



2012年1月1日日曜日

平成24年1月1日(日) 曇り時々晴れ

正月で家族全員が揃った。我が家は子供が三人いる。子供と言っても皆成人していて仕事をして休みが違ったりするので全員が揃うことはなかなか無い。毎年正月はシャンパンを開ける。全員酒飲みなので750cc一本では最初の一杯で終了する。開けて注いで「おめでとう」と言って30秒後にはグラスが空だ。そう思うと何という高い飲み物であろう。スタンダードな物でも3000円以上はする。

フランス料理の業界に長くいたので一応商品知識はある。

シャンパンというのはフランスのシャンパーニュ地方で作られた物だけに許された名称で、それ以外の場所で作られた物はシャンパンと名乗れない。これはフランスの法律で定められており厳しく管理されている。

この法律をA.O.C.(Appellation d'Origine Contrôlée)アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレと言い、原産地統制呼称と訳される。ワインの他チーズ・バターなどの乳製品にも適用されその規定に適う製品しかAOCのラベルを貼ることはできない。

例えばシャンパンでいえば同じフランス国内であってもシャンパーニュ地方以外の産地で作られた発泡性の酒はVin Mousseux(ヴァン・ムース)泡のワインという表記しか許されない。

Cognac(コニャック)なども同じでフランスのコニャック地方産の葡萄の蒸留酒いわゆるブランデーだがコニャックと表記できるのはその地方だけだ。



で、本日用意したのはこの3本 まず左から「ローラン・ペリエのロゼ」、このシャンパンは英国王室御用達で2011春ウイリアム王子の婚礼晩餐会で供された。

真ん中の一本は「ポメリー・ブリュ」 このシャンパンは19世紀初頭クリコ未亡人が「ヴーヴ・クリコ」甘みのあるシャンパンでロシアで大成功した後、ルイーズ・ポメリー(この方も未亡人)がそのスキを突くように辛口を出し英国で大成功を収めるという未亡人ライバル物語のシャンパンだ。

最後はおなじみの「モエ・エ・シャンドン」創業のクロード・モエは18世紀半ばからシャンパンを世界に向けて拡販した功績者でシャンドンという名は創業者の孫の娘婿の名字ということだ。ちなみにモエとシャンドンの間の「エ」はフランス語でetと書きtは発音しない。英語のandだ。つまり「と」ということである。ときどき「モエ・シャンドン」と言っている方がいるがちゃんと「エ」をつけましょう。

一年に一度か二度の事だ。普段自分が飲み屋をしているので外で飲む機会は少ない。長男が今年30歳になる、私は還暦、次男は今年結婚する。それぞれの節目だ。このくらいの贅沢は良しとしよう。

平成23年12月31日(土) 晴れ

大晦日だ。まだ片付けなくてはならない家の雑用があるにはあるが、それをやりだすと終わらなくなりそうなので前倒し正月気分に切り替えて都心に出る。

今日は六本木ヒルズの「歌川国芳展」と日本橋三越の「荻須高徳展」を廻る。カミさんと次男が同伴する。


六本木ヒルズはお笑い小ネタがある。以前映画を観にきたとき、やはりカミさんと一緒だったのだが、ガイドのお姉さんに声をかけられた。

ガイド「六本木ヒルズツアーいかがですか」

私「は、ツアーというのは?」

ガイド「ヒルズのエリアをご案内するコースです」

私「あ、けっこうです」

丁重にお断りした後、カミさんに言った。

私「おまえが田舎者に見えるから声かけられたぞ」

カミさん「失礼ね、あなたがそう見られたんでしょ」

どちらも田舎者ですけどね。

そのツアーは今は無いと思う。展示会場は52階のアーツセンタギャラリーだ。エレベーターの早いこと、思わず「早やっ」と言ったら息子に「田舎モンか」とつっこまれた。

歌川国芳は幕末期の浮世絵師で実に多くの作品を残していて、今回の展示もすごいボリュームだった。
着物の後ろ姿のカミさん。振り向いてはいけない

日本橋界隈は老舗が多いので大晦日の雰囲気を味わうには格好である。

荻須高徳はパリの街角を多く描いた画家で、以前仕事をしていたフランス料理店の壁にも1点のリトグラフが掛かっていた。


昼食を食べてなかったので日本橋界隈を少し探したが年内の営業は既に終わっている店が多く、仕方なくタクシーで東京駅に向かい3時半ごろ遅い食事をした。

2011年12月30日金曜日

平成23年12月29日(木) 晴れ

28日までの営業で今年も終わった。29日になり店の掃除をする。きのうは終わってから納会半分で飲み過ぎた。朝というか昼前に起きるとカミサンはすでに店に行っていない。午後から私も店に合流し表のガラス戸や床を掃除した。

店が三鷹駅に近いので行き交う人の様子がよく分かる。大きなキャリーや荷物を持った人が目立つ。それぞれの故郷や実家に帰省するのであろう。

私は東京生まれでも東京育ちでもないので生まれ故郷はあるが、両親はすでに亡く帰る家も無いので盆暮れの移動はない。前に書いたが故郷は香川県の高松だ。兄が定年後里帰りして住んでいるので二年に一度くらいご機嫌伺いに訪ねる。兄も酒が好きなのでいつも二人で飲みっぱなしで、まあ飲みに行くようなもので帰りはだいたい飲み疲れて健康には、はなはだよろしくない。

しかし、飲めるときに飲みたい人と飲めるだけ飲むのは大事なことだ。若者でもあろうとも絶対明日があるという保証はないのだから。ましてやもうこの歳になれば健康がいちばんなどという幻想に惑わされてはいけない。自分のしたいことを一番優先すべきだ。

健康のためにいろんな制限をして我慢をするのは本末転倒で、例えばそれで五年長く生きながらえても楽しかったと思えなければ虚しいだけだ。人はいずれ必ず死ぬ。生きている間に楽しもうと思う。


私が中学生の頃流れていたなつかしい歌で、唄っている北原謙二は2005年に他界している。彼の独特の鼻にかかった歌声はクセがあるので好き嫌いが分かれると思うが今でも強く印象に残っている好きな歌だ。今度カラオケに行ったら唄ってみよう。しかしそのカラオケ、ここ何年も行っていないような気がする。


2011年12月27日火曜日

平成23年12月26日(月) はれ

クリスマスが終わり暮れが押し詰まる前の一休み的な日常だ。きのうの夜、何とか仕上げた年賀状を今日投函した。私は年賀状はいくつかの種類を使い分けている。

まず夫婦共有の儀礼的付き合い用、夫婦共有の親密な付き合い用、私と妻のそれぞれ固有の友人への個人的な年賀状と四種類を使い分ける。すべてデザインが違う事はないが、今年は五種類ほど用意して実際に使ったのは三種類だ。

今年は、私の親類の訃報年賀欠礼の知らせが二件あった。妻個人の知り合いからもあったみたいで、そういう年齢に達したということだ。

「プリンセス・トヨトミ」をVODで観た。ツッコミどころ満載であるが、綾瀬はるか、お約束の天然演出に敬意を表して良しとしよう。でもこういう作品はスキだらけがゆえ、評価する側のツッコミをかわし易い構造に甘えている作品だと私は思う。今日も遅くなった今午前三時前この辺で寝ないと朝がきついので終了。

2011年12月25日日曜日

平成23年12月24日(土) はれ

クリスマスが特別な日であるのはキリスト教信者とその文化圏の人々だと思うのだが、日本では宗教的には何の関わりもない人々が本来立ち入れぬ聖なる儀式生誕祭を、いささかの恥じらいもなくイベントにして既に幾星霜、うっかりすると仏壇にクリスマスプレゼントが置かれたりする。

私はこの宗教的節操のなさは、非難することよりもむしろ日本人のしなやかな文化吸収力だと思う。
私を含めて多くの日本人は信心はあるが宗教はない。つまり(Believe)と(Religion)の違いだ。

困ったときの神頼みは当たり前、自分がこれと思えば便所の神様でも、鰯の頭でもありがたく思えるという柔軟な精神構造は多分苦境の時のしたたかなバネとなって古くから今の日本を形作ってきたものと思う。

クリスマスといえば以前仕事をしていた「ポワロー」というフレンチレストランのエピソードをひとつ。

その店は1985年から1995年くらいの間、表参道・青山界隈はもちろん同業者で知らぬ者はなし、かつひんぱんに雑誌に紹介され当時最も予約がとれない店のひとつだった。

毎年10月あたまでクリスマス前後の予約が昼夜とも2回転分満席になる。30席の小さな店なので満席になった時点からかかってくる予約の電話はすべて、おことわりすることになる。朝、店に出勤したときから一日中電話が鳴りっぱなしで仕事にならない、知り合いに電話番を頼んだほどだ。

単純計算すると10月10日から12月20日までのおよそ約70日、一日中本当に鳴りっぱなしの電話の件数を一時間当たり少なく見て30件として12時間では300件以上、これが70日、ということは21000件の予約があったということだ。

ほとんどお二人様予約なので四万人以上の予約を断ったことになる。もしこれをすべて受けていたら表参道駅から青山通りは大変なことになる数字だ。この他にも普通の予約電話は入りっぱなしだった。私はこの過去の繁盛店の自慢をしているのでない。

そのような予約状況にもかかわらず、当日連絡なしで来店していただけぬ場合がある。予約時間を30分以上過ぎて何の連絡もいただけない事がある。その時点で店側の判断としてその予約客はリストからはずす事になる。そこに、たまたまフリの二人連れの方が「二人なんだけど」とドアを開けて来たとき「いらっしゃいませ」と迎えるスタッフの複雑な気持ちをお解りいただけるだろうか。

その日まで断り続けた予約電話の数、キャンセル待ちで待機していただいた多くの方をおいて、そのお二人様は自分たちがいかにラッキーだったことを知らない。もちろん誰もそれをその方に言うことはない。

それもこれも含めて様々なことがおこり世の中は移ろうのだ。表に出てきている事はほんのわずか、多くは人の胸にしまわれている。



2011年12月23日金曜日

平成23年12月22日(木) 薄曇り

今日は冬至だ。一日の内、昼が最も短いというのが我々の一般的な理解であるが、夜明けの時間と日暮れの時間のどちらも一番ではないそうだ。つまり一日全体を比較して昼が最短ということで日の出と日没は別物であることを今日初めて知った。

ちなみに南半球では真夏なのでどういう扱いかというと天文学的には冬至に統一されているが、便宜的、習慣的には夏至の扱いのようだ。

今週は時間がなくて今日一日だけ歩きで店まで行った。今日は気温も上がらず5km約50分、歩きの最後まで手や耳が冷たかった。これからは末梢部の防寒対策が必要になってくると思い、100円ショップを覗くとあるではないかニット帽とフリース手袋、二点で〆て210円也。

犯罪者の遺留品ではない


価格破壊などどいう刺激的な言葉でもヤワに聞こえるほどの値段だ。それを買っておいて言うのもなんだが、世の中には適正価格というものがあると思う。

普段はシャワーしか使わぬが今日は冬至の柚子湯を張ってあるのでつかることにしよう。

冬至日暮れ前の三鷹駅南口付近



2011年12月22日木曜日

平成23年12月21日(水) はれ

「家政婦のミタ」の最終回を録画していたので帰宅後観た。スタート時二回ほど観ていまひとつだったので後は観ていなかったが、視聴率が30%云々というドラマなので改めて注目した。ダイジェスト版を観ていたので全体のあらすじや登場人物の立場は理解している。で、最終回の締めくくり方は、崩壊同然の家族が再生したものの、ミタさんとは共存しない形で終わる。
 
 私の推測だが多くの視聴者の希望はミタさんの今まで決して見せる事のなかった笑顔を見たいという思い(これは最後のほうでそこそこ達せられる)と願わくばミタさんと家族が結ばれる事を予感させての最終回を見たかったのではなかろうか。

 それを言い方は悪いが視聴者の期待を裏切るシナリオだった。物語の背景が痛ましいほど、見ている側、視聴者は結末にはカタルシス(浄化)を求める。最後は単純で良いのではないか、でないと救いのないミタさんが気にかかってしまう。

 以前、篠原涼子が演じた「ハケンの品格」の大前春子さんと印象が少しかぶるが、ミタさんの背景にある重さとは異質だ。キレイで笑顔の美しいお姉さんの代表であった松嶋菜々子がほとんどすっぴんの無表情ロボット状態という演技は、今までの彼女の印象を捨てるに相当の覚悟がいったであろう。
 不思議な物で個人的にはあまり好きではなかった松嶋菜々子という俳優は私の中で評価が一変した。
 まあそれは置いといて最終回は松島菜々子扮する「三田灯」にスタンディングオベーションを送る気持ちで見ていたので、良い一日となった。


2011年12月21日水曜日

平成23年12月20日(火) はれ

そろそろ年賀状を意識する。まだ何も考えていないが25日迄の投函は元日配達が約束されているらしい。年が明けてから心を新たにし賀状をしたためるのが本来の習わしであるのに元日に年賀状が届くシステムに乗っかり相変わらず年内に出す事にしている。

まあ虚礼に近い相手もいるが、一年一回だけの通信相手もある。それはわたしにとってささやかな楽しみで、たった一枚の葉書ではあるが相手の方の近況を知る大きな手がかりである。

私の寝室でくつろぐ
家には二匹の猫がいる。上の写真は若い方の一匹で人間でいえば、育ち盛りの悪ガキだ(コイツに罪はない)。

2011年12月19日月曜日

平成23年12月18日(日) はれ


おとといTSUTAYAで借りた「SUPER8」「パイレーツ・オブ・カリビアン命の泉」「トランスフォーマー・ダークサイドムーン」をまとめて観た。おきまりのハリウッド大作でどの作品もドタバタに終始する。年齢的に私の感受性が低下してきたのか、ハリウッドがダメになったのかは知らぬがどれも人に奨めるような出来ではなかった。だが「トランスフォーマー」シリーズの映像技術の高さは抜けている。

きのう購入した「下山の思想」五木寛之:著 幻冬舎新書

(32頁)いま、私たちは未曾有の大災害に見舞われ、呆然としてなすすべがない有様だ。福島原発が直面する現実は、数年で解決されるような問題ではない。
(中略)
どんなに深い絶望からも、人はたちあがらざるをえない。核に汚染された大地にも、雑草は生え、樹木は根づいてきた。
 しかし、と、そこで思う。私たちの再生の目標は、どこにあるのか。何をイメージして復興するのか。
 それは山頂ではない、という気がする。私たちはふたたび世界の経済大国という頂上をめざすのではなく、実り多い成熟した下山をこそ思い描くべきではないのか。
 戦後、私たちは敗戦の焼跡の中から、営々と頂上をめざして登り続けた。そして幸運の風にも恵まれ、見事に登頂をはたした。
 頂上をきわめたあとは、下山しなければならない。それが登山というものなのだ。


五木寛之氏の作品で思い出深いのは「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「内灘夫人」「デラシネの旗」「青年は荒野をめざす」など数多くあるが若い頃、五木ファンというのがミーハーな気がして素知らぬふりをしていた。

これは私の卑屈さのなせるわざで、人はなんだかんだと偉そうに言っても、どこかに自分だけが知っている卑しさや小狡さをもっている。それが人というものであるならば、人をなるたけ責めないように務めなければならぬと今更ながら思うのである。


2011年12月18日日曜日

平成23年12月17日(土) 晴れ

きのうの夕方から北風に変わり予報どおり朝はぐっと冷え込んだ。12月になり発売されたミシュランガイド関東版・関西版・東京フレンチ版の三冊と「小澤征爾さんと音楽について話をする」小澤征爾×村上春樹対談 「下山の思想」五木寛之:著 を購入する。


私が営む立ち飲み屋とは距離があるがミシュランガイドは長年フレンチの世界に身を置いていたので今でも興味深い。特に今年初めて発刊された単発ガイド東京フレンチは知り合いが幾人か掲載されていてわが事のように楽しい。

私は村上春樹の作品はあまり読んでいない。ただし食わず嫌いではない。購入して読んだ作品もそこそこある。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「羊をめぐる冒険」などであるがどれも読了せずに終わっている。彼の作品のテイスト、音楽を聴きながらパスタをつくる男がどうも肌に合わぬ点(こういう人間は私の周りにはいなかったので共感できん)、こちら側と向こう側のシームレスな繋がりの世界観などがもうひとつ入って行けぬ。

ただし「海辺のカフカ」は完読した。なぜかこの作品は一気に読めた。この作品はやはりこちら側と向こう側の世界を描いているのだが、不思議な手応えがあり白昼夢のように私を引き込んだ。

今日購入した「小澤征爾さんと音楽について話をする」は世界の小澤相手に色々聞き出す対話集でクラシックには縁遠い私にも面白く読めた。

2011年12月17日土曜日

平成23年12月16日(金) 晴れたり曇ったり

今日を含めて今週はよく歩いた。バイクに乗ったのは一日だけという健気さだ。今日は歩きの道順を変え天文台通りを武蔵境駅に向かう。途中TSUTAYAでまとめてDVDを借りる。

話題作だったが映画館までは足を運んでいない作品「SUPER8」「パイレーツ・オブ・カリビアン」の新作・「トランスフォーマー」の新作の三本。

そのまま北に歩き武蔵境駅方面に向かう。武蔵境駅の南側には一歩立ち入れば信じがたいほどの静謐な空間がある。ここは駅から歩いて二分圏内だ。






たまたま境内には誰ひとりとしていなかった。都内でも観光地になるような寺院以外は概ねこういった状態であろう。

2011年12月15日木曜日

平成23年12月14日(水) 晴れ

12月14日を特に意識することはないが、当日になり忠臣蔵関係のニュースで毎年賑わう。事件後
300年を経てもなお日本人が最も好きな物語のひとつと言ってもよいであろう。

忠臣蔵の話題を始めると四十七士の中でも挿話(エピソード)が多い人物がかなりいて、それを語り出すときりがないのでここでは触れぬが、まあ何度観ても誰が演じても飽きない物語だ。

ローカルな話題だが、JR武蔵境駅から南にのびる道で「かえで通り」がある。そのかえで通り、東野住宅交差点から300mほど南、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の向かいに、開店間近と思われる店を見つけた。


この外観からは何をコメントしてよいのか……開店が楽しみである。

2011年12月14日水曜日

平成23年12月13日(火) 晴れ

東京は晴れの日が続く。今日は風もなく空には雲一つ無い快晴だ。12月ということで季節への心構えは出来ているのでこのような穏やかな日があると心持ちが良い。

若い頃、短い期間だったが山手線の大崎に住んだことがある。東京に出てきて事情がよく判らぬ私を「ここは静かでいいですよ」と言った不動産仲介君に奨められて住んだ。不便そうだったが家賃が安いのが背中を押した。確かに土日は静かだった。

当時、普通の若者は平日は朝から仕事に出て暗くなり帰宅する。

あるとき、具合が悪くて欠勤したとき、窓から入ってくる異常な騒音に何事かと思い、住んでいた安アパートの管理人に問い合わせた所、裏は工場ですよ、と「何をいまさら」の応えで、東京という街は人を成長させてくれる。

大崎の近場で賑やかなのは五反田だった。東京全体でいえば当時も今も、華やかさや品位が少し欠ける部分がある街で、その場末感が好きな人は出身地や男女にかかわらず多いと思う。私も好きな街のひとつだ。

今はもちろん無い店で名前も忘れたが当時1972(昭和47年)頃、まだカラオケのはしり、某飲み屋で歳も近い綺麗なお姉さんが唄った「サーカスの唄」は印象に残った。

同じ世代でわれわれの知らぬ古い唄を朗々と唱いあげる様に圧倒された。それまで私はその歌を知らなかった。


YouTubeで拾った小林旭を貼らしていただくが当時聞いた彼女の歌声は私の「サーカスの唄」だ。



2011年12月13日火曜日

平成23年12月12日(月) はれ

前にも書いたが家ではケーブルTVを視聴していて地デジ以外にも多くのチャンネルを観ることが出来る。これはあくまでも、その気になれば観ることが可能というだけで仕事をしている人間には実際に観る時間が多くあるわけではない。

ただケーブルTVのサービスで便利なのはVODだ。これはビデオ・オン・デマンド(Video On Demand)と呼ばれるサービスで視聴者が観たい映像コンテンツ(番組)を好きなときに選んで観る事ができる。

映画DVDを出かけていってレンタルしてこなくとも、リモコンのボタンを操作するだけで居ながらにして
最新の映画作品を観られる。料金もTSUTAYAより新作で50円高いくらいだ。返却の手間などを考えると便利だと思う。

『プリンセス・トヨトミ』が面白いと、聞いたので今度観てみよう。本や映画の評価は自分で体験するまでは何とも言えない。世間や友人の評価とは意外と符合しない事もあるからだ。

街はすっかり初冬になった。

遊び主のいない夕方の公園
武蔵境東方面けやき並木


カメラを水平にしているつもりなのだが何故か右下がりに写る。カメラが悪いのか、私の三半規管がおかしいのか、色々考えたたがひょっとしてコンパクトカメラは軽いので右指でシャッターを押すときに勢い余って額ズレのようになっているのもしれぬ。まさかとは思うが。






2011年12月12日月曜日

平成23年12月11日(日)晴れ

きのうの月蝕は好天の土曜日で中空の高い空で起こる条件が揃い肉眼でも鮮やかに観察できた。


欠け始め

地球の影の中

高い位置にあるのでカメラを安定させるのに苦労した。この時間しらふではない事もカメラが定まらない原因ではある。三脚があればいいのは分かっているが、カメラ小僧ではないのでそもそも三脚を使うシーンがどのくらいあるのかと考えると・・・購入するにはいたっていない。

せっかくの日曜日なのに飲み過ぎて一日中家でぐだぐだしていた。まあいいか。



2011年12月9日金曜日

平成23年12月8日(木)くもり時々雨

店ブログという形で発信しているのだが、店のことは書いたことがない。何故か?

店で何を仕入れた、新しい酒が入荷した、といった情報がお客様の来店動機に必ずしも参与しているのではない事を体験的に知っている。どんなに店のことを延々と書いてもそれを書いている、人となり人物が浮かんでこないとそれはただのチラシではないかと思う。

なので、私個人の日常を書き綴っている。それは公開して人に読まれることを前提に構成しているので起こる出来事を包み隠さず書くというわけにはいかぬが、少しでも自分を晒すことにより読んでいただける方との距離が近くなれば良いと考えている。

距離が近いというのは昔から言う「遠くの親類より近くの他人」に通じる。人というのは血縁の深さより誰と深く繋がっているかが重要だ。仕事の一環のつもりで始めたが、不思議なもので毎日のように書いていると筆が滑らかになっていくように感じる。車のエンジンと同じだと妙な所で感心する。

12月8日というのは真珠湾攻撃の日でありジョン・レノンが撃たれた日でもある。毎年この日はこの二つの出来事を思い出す。思い出すと言っても真珠湾の方はもちろんまだ生まれていない。私はその頃、海のプランクトンか何かで、それを魚が食べ、その魚を親父が食べ、蛋白質になり、某所に蓄えられ、紆余曲折を経て今の私がある(笑)。

その魚を食した親父は満州の北方でソ連軍の捕虜となりタイセット収容所という極寒の地で四年近くを過ごした。

「俺は体が小さかったから生き残れた、配給される食料が足りなくて体の大きい奴から弱っていった。日本に還る頃は三分の一しか生き残っていなかった」と言葉少なに語ったことがある。

その父も鬼籍の人となり十数年が経つ。

父と同い年1915年(大正4年)生まれの石原吉郎という詩人がいる。石原氏もシベリアに8年間抑留された。作品『葬式列車』は初めて接したときは心が震えた。

葬式列車

なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを













2011年12月8日木曜日

平成23年12月7日(水) 晴れときどき薄曇り

週のうち三日くらいは片道約5kmを家から店まで歩いている。十月から始めたのでもう二ヶ月は続いている。意識して歩いているのでかなり早足で歩く。歩き始めてその日の体調に気づくことがある。

脚が重い日があったり、朝二日酔いであったのに意外と脚が軽いときがある。なぜそうなのかは分からぬが体は正直だ。最初は色々なルートを使っていたが、近頃はほとんど同じ道を選んでいる。と言うより無意識にその道を使う。空いているからだと思う。

かなり早く歩くので人通りの多い道だと前を行く人がつかえて歩きにくい。三鷹は緑の多い地域だが場所によっては人通りが多いのでやはり東京だと思う。

店で、ちょっと調べ物をするとき用にIpadを使っている。最近入れた『STAR WALK』というプラネタリウム系アプリが面白い。以下抜粋でWEB上で拾った紹介記事


iPadをかざせば、その先に見える星や星座がすぐ分かる

「あれ、あの星座なんだったっけ?」。そんなとき便利なのがスターウォークだ。知りたい星座や星にiPadを向ければ、内蔵の電子コンパスを利用して、画面にその方角にある星や星座が表示される。今いる場所だけでなく、過去や未来の天体の様子や、旅行予定の町で見られる星座や星のチェックもできる。スターウォークは、ポータブルな“マイプラネタリウム”だ。
天文好きではないが、たまにある天体ショーはどれどれという気分になる。今度の10日土曜日夜の皆既月蝕は晴れていれば全国の高い空で観察できるめったにない好条件だそうだ。
比較的短時間で劇的な天体の変化イベントを楽しめそうだ。ちなみに月蝕は英語で「moon eclipse」または「lunar  eclipse」でエクリプスというのはギリシャ語で、(力を失う)蝕を意味する。エクリプスは他に鴨などの雄が繁殖期を終え金属光沢のある雄特有の羽色から雌と同じような地味な羽色に変わる一時期をさす意味もある。何を隠そう私は元野鳥の会の会員だ。何も隠してないけど。



2011年12月7日水曜日

平成23年12月6日(火) くもり午後から雨

先日、友人のJ尾と飲みながら話した事。彼は映像関係の仕事をしていて若い頃は16ミリ自主制作映画を撮ったりしていたので映画の話題には事欠かない。今もそういう仕事の役得で映画の試写会に週2・3回行くそうだ。うらやましい限りだ。

特にフランス・イタリアなどヨーロッパ映画の質の高さを挙げていた。私も同感だ。

今、邦画は興行的には成功していて次々話題作が出てくる。だがテレビドラマの延長であったり、コミックの映画化であったりと娯楽性の高い作品が多い。これはハリウッド映画にも言えることだが、映画ビジネスになっている。

当たる事を前提として企画制作されるのであろう。映画が消耗品になっている。そういう意味では昭和20後半~30年代テレビが一般家庭に普及する前、映画館は毎週作品が変わるという黄金時代で粗製濫造の消耗品時代でもあった。しかし黒澤明・小津安二郎・溝口健二・今村昌平・木下恵介などの監督がきら星のごとく存在し映画の芸術性を世に示した。

昨今の映画で興行的に成功していて後世に残る作品がどのくらいあるのか知らぬが、なんだか心許ない気がする。

娯楽が悪いのではない。ああ面白かった、でよいのだが、邦画全体の質が傾向的に低下していると感じるのはJ尾と私だけではあるまい。

2011年12月6日火曜日

12月5日(月) 晴れ

 日記として書いているのだが、日付が曖昧になるのを避けるため当日起こった出来事を当日の日付で書くことが自然のような気がするので、これからは実際に記事を書いた日とは少しズレがあることをご理解いただきたい。

近所の芝生畑もすっかり色づいた
武蔵野赤十字病院の目立たない銀杏
晩秋の木々
三鷹駅北口銀杏
師走が実感をともなうのは残り一週間を切ってからだ。今年も残り少なくなったとしみじみ感じるような生活とは無縁で、若い頃のホテル勤務時代や青山の会社に属していた時代は盆暮れも正月も無く、世間が休みの時は常に仕事という生活を40年近くしていた。

還暦を前に暦どおりの生活を今年になってからしている。

写真を貼り付けて文章を省くのは楽でよろしい(笑)。

2011年12月5日月曜日

平成23年12月5日(月) 晴れ

きのうに続き快晴で気持ちがいい。昨日は福岡国際マラソンがあった。来年のロンドン五輪の選考レースのひとつなので各選手ここに焦点を合わせてきているとの解説をきく。

今夏の世界選手権で世間を驚かせた公務員ランナーの川内優輝が日本人トップの3位に入った。20km過ぎでペースメーカーのスピードについてゆけず一時後退したが、終盤になり驚異的な追い上げと粘りで堂々の3位だ。

特に38kmから、順大時代「山の神」とよばれた箱根駅伝のスター今井正人との息詰まる競り合いは見応えがあった。

ふたりの意地と意地の激しい争いを川内が制した。埼玉県庁の仕事をフルタイム勤務という異色の市民ランナーが実業団選手を押さえ、結果を出した。本人は今回の記録には満足しておらず、東京マラソンを目指すという。こういう選手は応援したくなるなあ。


ところで、勝ったのはケニアのダビリという一般参加選手だ。招待選手でもなく、かつ初マラソンであっさり勝つあたりアフリカ勢の層の厚さに次元の違いを感じる。勝ったダビリのコメントが「五輪代表にはなりたいが、厳しいと思う」とあきらめ顔なのが全てを物語っている。