2013年7月31日水曜日

平成25年7月30日(火) 晴れ日暮れてから数時間雨

店の外に出している提灯が点かなくなったので、見てみると電球が入っているソケットに繋がるコードを触ると点いた。球切れではなくコードが断線しかかって接触不良になっているのだろう。前にも同じような事がありソケットごと交換すれば不具合は解消する。

部品を買ってきて新品と交換して、スイッチオン!あれ・・・・・・?

点かない、よく見たら球切れだった(笑)。予備のソケットが出来たと思えば良い、備えあれば憂いなしである。ソケットの不具合は10年に一度あるかないかだが(泣)。

帰宅して『日曜美術館 そこにある永遠アントニオ=ロペス』(録画)を観る。現代リアリズム絵画を代表するスペインの巨匠の紹介。ちょうど日本で展覧会が催されていて東京は終わったが、長崎、岩手と予定が組まれている。以下NHKより引用

超絶的な技巧と鋭い観察眼で、空間の匂い、そして時間の移ろいさえリアルに描き出すといわれる画家がいる。アントニオ・ロペス、77歳。現代のリアリズム絵画を代表するスペインの巨匠である。
ロペスは1936年、スペインの地方都市に生まれた。画家だった伯父に才能を見いだされ、14歳の時、ピカソも通ったマドリードの名門美術アカデミーに、最年少で入学する。ベラスケスを始めとする、まっすぐに本質をえぐり出すスペイン・リアリズムに強い影響を受けながら、常に実験的な表現を模索してきた。代表作「グラン・ビア」は、朝日に照らされたマドリードの町並みに神秘的な美しさを感じ、毎年夏の朝6時半から20分だけ筆を入れ、7年をかけて完成させた執念の大作だ。
番組では、日本で初めて行われる個展に合わせ、初来日を果たしたロペスにインタビュー。スペインでの制作風景を取材した貴重な映像とともに、圧倒的なリアリティに秘められた独自のリアリズムの世界をひもとく。

日本の現代リアリズムは千葉の「ホキ美術館」のコレクションが有名で、私も一度だけ訪ねた。三鷹からだとけっこう遠い。昨年の4月25日に記事で残していた。この日の記事を読み返してみると、最後に高円寺のJ尾を訪ねている。今から思えば、本当に今から後になって思えばだが、兆候はでていた。しかしお互いまだ彼の本当の病気の事は知る由もなかった。

25、April2012 ホキ美術館



2013年7月30日火曜日

平成25年7月29日(月) 小雨夕方以降雨あがる

月曜日は仕込みが多いので早めに出て店の買い物をする。二時を過ぎて、朝昼兼の遅い食事に行く。近所の布袋家で、盛り蕎麦にする。


ここは量が多いので食べ応えがある。前にそれを知らずに大盛りを頼んで、その量の多さに途中で完食できるか不安になったことがある。多ければ残せばよいのだが、大盛りを頼んでおいて残すのは、店に対して失礼であるし、第一格好悪い、粋じゃありません。

食後、テラスベールに移動し休憩兼読書。

シュークリームセット¥500
店内は相変わらずそこそこ混んでいて今日も中央のラウンド席しか空いていない。ベランダ側のテラス席は空いているが、降ったり止んだりのこの外の湿気では座る気がしない。それでもお一人で、ワインをボトルで置いて悠々と飲んでいる人がいた。

三時半になり職場復帰。

店の営業を終え帰宅後、『だましゑ歌麿Ⅲ』(録画)を観る。重要な登場人物が『相棒』と重なるので歌麿の水谷豊が変装している杉下右京さんに見える。




2013年7月29日月曜日

平成25年7月28日(日) 晴れ

午前中にブログの更新をして昼、久しぶりに米を食べる。こう書くと戦時中を思い出すなあ、生まれてなかったけど(笑)。戦時中は食べたくても米が無かったので、今の世の中とは違う。当時の日本の姿を見てきた人は、貧困や弱者とはどういうものかを知っている。話がややこしい方へ行きそうなので止めておく。

たまたま昼食に麺類が続いていただけで、夜は白いご飯を食べていたから別にわざわざ書くほどのことではないが、日記代わりに記しておく。

午後になり娘が来た。彼女は今暮らしている場所にはテレビを置いていない。テレビの無い生活を意識して選択している。なので彼女が日曜日にやって来るときは観たい競馬があるときが多い。

今日は新潟の「アイビスサマーダッシュ」というレースがお目当てである。このレースは1000㍍直線だけのヨーイドンで一度もコーナーを回らない面白いレースだ。

私は興味なく、娘が来たので付き合って少しだけ買ったが、当然ニンジン代に消えた。

夕方になりTSUTAYAに借りていたDVDを返却に行く。

近所の芝生畑
ゴルフが出来そうな広さがある売り物の芝生である。


家内の知り合いに貰った枝豆を食べる。おいしい枝豆と言えば、山形庄内の「だだちゃ豆」が有名だが、遜色ないおいしさだ。何でも農工大の試験場で改良を重ねた品種を栽培しているそうで、実がしっかりしていて、止まらないおいしさである。


夜、ホーチミンの次男とスカイプで話す。諸手続きは終了したそうだ。こちらの「ベトナム大使館事件」を話すと、私のブログを読んで知っていて笑っていた。実は彼も一度東京のベトナム大使館に行ったことがあり、やはり少し迷ったそうだ。それを先に言えよな、先に(笑)。

嫁のSちゃんは、今バンコクに行っているそうだ。友達が旅行でタイに来たので合流したようだ。ホーチミンからはバンコクやプノンペンは近いものなあ、東京から大阪に行くような感覚である。羨ましい。

2013年7月28日日曜日

平成25年7月27日(土) 晴れ日暮れてから土砂降り強雨

きのうは渋谷に出た帰り、脚を伸ばして池尻の筧くんの店に行った。昨日の記事にその事を時間順に書けば、先に終わったメインの出来事の印象が薄れてしまうような気がして書かなかった。これは、大久保孝治教授の一ファンとしての私の表敬であり、当然の礼儀である。ブログは発信する機能性という意味において小さなメディアであり、他者に読まれることを前提に編集された作品である。

筧くんは私の青山時代の後輩で、歳は私とは大分離れているが、友人として長く付き合いが続いている。今は池尻でご兄弟と一緒に和食の店を営んでいる。食事をしていなかったので、知り合いではなく普通の客として食べる。彼が毎朝河岸に行っているので、刺身が美味しい。天ぷらもカウンターでこちらの食べ具合を見計らって揚げてくれる。

ここでブロガー痛恨のミス。せっかくの料理なのに写真を撮り忘れた。知り合いであるが故、撮影許可などの配慮はいらなかったのになあ。知り合いだから話が弾んでしまい写真を忘れてしまうのだ。先のイベントが終わり気が緩んだのもあった。個人的に思い入れがあったので観客といえど軽い緊張があったのだ。

筧くんには娘が二人、息子がひとりいる。彼から娘が芸能界で仕事をしているような事を以前聞いた事があったが、ようやくその娘、次女を最近テレビで見かけるようになった。テレビ番組『テラスハウス』に出演している「筧美和子」だ。私は彼の子供達に会ったことはないので、テレビを通して初めてお目にかかった。

この番組はフジテレビ系毎週金曜日23:00~23:30の放送で、以前同局で放送された恋愛バラエティ『あいのり』の固定版である。

それの番外プロモーション、「父親である彼と番組出演する娘との対話」がYouTubeにあるのでここに貼っておきます。少しは宣伝の助けになるかもわからない。撮影場所は彼の店である。



美和子さん、あなたのお父さんの若い頃は、今のあなたそっくりで、あなたを男性にしたような、それはそれは可愛い男の子でしたよ。今は地井武男状態である(笑)。

話を今日に戻す。家内の知人から瀬戸内産のサザエをいただいた。新鮮なので刺身にする。





録画してある番組が貯まってきてHDDがそろそろお腹いっぱいである。ブルーレイに落とすほどではないが、消してしまうとドラマなどは解らなくなるので明日まとめて観ることにする。





2013年7月27日土曜日

平成25年7月26日(金) 晴れ

今日はN井さんに入ってもらう日で私は休みをいただいている。

変則的な休みであるが、今日は、私が愛読しているブログ「フィールドノート」を書かれている、大久保孝治(おおくぼ・たかじ)氏の出版記念トークイベントに参加するため、N井さんに合わせてもらった。

夕方になり出かける。場所は渋谷の東急百貨店本店7階にある「MARUZEN&ジュンク堂」書店の喫茶コーナーで、午後六時半からの予定になっている。

説明不要渋谷のシンボル
奥が東急本店
大久保孝治氏は早稲田大学文化構想学部の教授をなさっている。以下、「先生」とする。

先生のブログに、どうやってたどり着いたかは覚えてないが、何年も前から読ませていただいている。テーマを絞らない飄々とした日常を毎日更新されている。語り口がとても平明で、ブログからは気さくでユーモアのある人柄が伝わってくる。私もこうやってブログを書いているが、そのスタイルは先生のブログを雛形(テンプレート)にして倣ったものである。

昨年一度だけ、先生の記事に対して、個人的に連絡させていただいた事がある(昨年の6/27~6/29の記事を参照されたし)ので、交流が皆無ではなかったが、直接お会いしたことはなく今日お目にかかるのが初めてである。

この度、上梓されたのは『日常生活の探求』(左右社)で、放送大学のテキストとして書かれたものを再編して、2011年3月11日の震災以降の先生の体験的思索を加筆なさっている。

学問の素晴らしいところは、例えば我々一般人がある思いを抱いていたとする。それは何か上手く言葉に表せない「表現前塊」とでも言うようなものを、短い言葉で的確に表現して形にしてくれる事にある。先生の本も、難解ではないが、ピラミッドのように緩みなく構築された明快な文章は読んでいて快感である。


会場のセッティングをする係の方
 トークイベントは先生を中心に、坂井素思、長谷正人両教授を加えた雑談形式で行われた。途中先生から「ブログは何か出来事があったから更新するのでは長続きしない、何でもない日常を一行でも二行でも毎日書くことに意味がある」というような趣旨の発言があり、印象に残った。同感である。

終了後、ご挨拶に伺う。お顔は先生のブログに時々UPされているので存じ上げているので初見では無いような感覚だ。先生も私のブログを読んで下さっているそうで、たった一度だけ、私と映画監督の成島出さんとのツーショット写真をUPしたこと(今年の6/1の記事)があり、その写真をご覧になっていらっしゃたのだろう、私をすぐに誰だか判ってくださった。厚かましいが先生とのツーショットを撮らせていただく。ありがとうございました。

「フィールドノート」http://blog.goo.ne.jp/ohkubo-takaji


写真の掲載許可を得なかったが、先生はある意味、公人なので許してくださるだろう。不都合があれば速やかに削除します。私がブログに顔を出すのは二回目である(笑)。

2013年7月26日金曜日

平成25年7月25日(木) 曇り時々晴れ

今日も昼食は麺である。きのうも書いたが「昼メシに白いご飯食べてない歴」が続いている。特に理由はない、麺類の方が食感が軽いからだろうか、何となく続いている。


少し早めに店に出て、壊れていた照明器具を取り替える。露出器具の既設物交換なので電気工事士の資格はいらない。それでも100Vを扱うので、雑なことはできない。発熱や接触不良による不具合が生じる可能性を考えてキチッと工事をする。

ここから少し専門用語が出るのだが、判らない方に説明している暇はない(笑)。ごめんね。

壁から出た単線と、照明器具のより線をリングスレーブで繋ぐ。リングスレーブは、大中小と、三種類あり、今回は小を使う。リングスレーブ専用工具で圧着しなければならない。圧着後、絶縁テープを巻くのだが、今回は簡易なテープではなく、専用絶縁キャップを被せて終了。壁に照明器具を固定して、スイッチオン!点灯よし←指先確認(笑)。

照明器具は予備があったので、接続の部品代¥300で済んだ。実際はその部品も一個づつ売られているのではなく、小分けにした数個入りなので事実上の部品代は十分の一¥30だ。

電気屋さんにお願いすると、工賃だけで一万円は確実に請求される。軽い工事といえども、職人が車を出して出張してくるのだから、それが取り分になるのは当たり前だ。余分な出費をせぬよう出来る事は自分でやろう。DO IT YOURSELF。

写真を撮るのを忘れた。ブログを続けていると、ちょっとした事をブログネタに結びつけられるように、意識しなくとも常にアイドリング状態に有るのだが、うっかり写真を撮り忘れることはある。


2013年7月25日木曜日

平成25年7月24日(水) 雨

昼前の部屋の中で27℃くらいなので気温は高くないが、小雨が降っていて湿気があるので蒸し暑く感じる。昼食はスパゲティを作る。


トマト系の味は飽きたのでシンプルな塩味にする。といってもひと手間加えてある。材料は冷蔵庫にあったものを適当に使う。ニンニクと鷹の爪がベースのペペロンチーノをアレンジして茄子とベーコン、玉ねぎ少々を炒め白ワインを加え酸味をつけたソースに、バター少々で旨みを出した。

盛り付けてから思ったが、ソースにパスタの茹で汁をもっと加えておけば、麺のつるつる感が増していた。自画自賛になるが普通に美味しかった。昼は最近麺類ばかりで、米のご飯を食べたのはいつだったか思い出せない。断っておくが、思い出せない、と言っても何かの病気や年齢的なものではないと思う(笑)。

『あまちゃん』(録画)を観る。今は、あきの東京での奮闘が中心になっているが、これまでの展開上、視聴者が気になっている、ユイの復帰とそれに関連するユイの母失踪の結末がどこかで挿入されるだろうと、期待があるのだが、さてどうなるのだろう。

夕方、ちょうど店のシャッターを開けるため外に出た頃、決まって駅の方から来て近くのマンションに入って行く、色白の若奥様風の背筋の伸びた美しい女性が通りかかる。気付いたのは最近なのだが、どうして気付いたのかというと、時間が正確に毎日五時少し前なのと、いつも一人で、めかしこんではいないがお洒落な雰囲気なので、目にとまったのだ。

道行く人を見れば服装や持ち物などで、その人が今どういう時間を過ごしているのかは、およその見当はつく。しかしその女性は見当がつかないのだ。

子供を連れているような事もないし、あまり生活感が感じられないので、もしかしたら一人暮らしかも分からない。しかしどうして規則性のある決まった時間に通りかかるのか、仕事帰りでもなさそうであるし、買い物とすればこんなに正確な時間にはならないだろうし、う~ん謎の女性である。気になるなあ。

直接訊く勇気はありません(笑)。


2013年7月24日水曜日

平成25年7月23日(火) 晴れ一時激しい雨

昼は家で「とろろ蕎麦」にする。二、三日前テレビで流れていた旅番組で、レポーターの女優さんが、美味しそうに「とろろ蕎麦」を食べていたのが気になっていて、口が「とろろ蕎麦」を要求していたのだ。


店の照明器具のひとつが点かない。球切れだと思い交換しても点かない。電球を外して器具のソケット内をよく見たら、最初に点かなくなった電球のおしりの接点とソケットの接点が溶けて固着し、外した電球側にソケットの接点がくっついていた。要は壊れたのだ。電球ではなく照明器具の交換となった。
ちょうどそれをしていた頃、3時40分過ぎ、雷鳴は聞こえていたのでその内来るかな、と思っていたら、雨音がして道路が濡れ始めた途端、誰かがスイッチを入れたような激しさで降りだした。

降り始め
 大粒の雨滴が道を敲き出したと思ったら、白い斜線の猛烈な雨すだれとなり水煙が上がっている。全く傘が役に立たぬ暴力的ともいえる降り方だ。道行く人は誰もいない。道路には水の皮膜が出来て、風がその水面を走っている。

音もすごい
 首都圏も土砂降りである。


東京アメッシュの雨域の大きな塊のいちばん左側の真っ赤になっているのが三鷹周辺だ。三十分ほどで上がり、気温が高く路面が熱せられていたのか、あれだけ激しくふったのにアスファルトがみるみる乾いていった。

で、照明だが、交換の器具や部品がないので今日はここまででやりようがない。明日以降になる。

夕方のニュースで、首都圏各地の激しい雨の様子が流れていた。東横線が落雷の影響で止まり、駅と駅の中間で身動きできなくなった車両から降りて、線路上を歩きで駅に向かう乗客の姿が映っている。ネットを見てみると「俺も線路を歩きて~」とつぶやく不心得者がいた(笑)。気持ちは判る。日常に予期せぬ形で訪れる非日常に、気分が高揚するからだと思う。線路マニアだったりして。鉄道好きにそんなカテゴリーがあるのかどうかは知りません。



2013年7月23日火曜日

平成25年7月22日(月) 晴れ

店の買い物があるので、早めに出る。二時過ぎから休憩と読書で「テラスベール」に行く。家で食べた朝昼兼のもり蕎麦が軽かったので、アイスコーヒーとケーキのセットをいただく。ケーキはヨーグルトのタルトだ。


ここ「テラスベール」はひとりで利用するときは入って正面奥のブース席が好きなのだが、今日は混んでいていっぱいだった。奥の四人掛けのソファー席が空いている。が、それをひとりで占有するほど私は厚顔ではないので、複数組が座れる中央のラウンドテーブル席に着く。

見渡すと別の四人掛けを、ひとりで占有してノートPCを開いている若いサラリーマンが目に入ったが、混んでいる中、彼は居心地が悪くはないのだろうか(広いテーブルを使用していること自体は快適であろう)。まあ何とも思ってないのだろうな、と推測する。

彼に非難の眼差しを向ける人はいないし、四人掛けを占有しているからといって非常識、とまで言えるような行為ではないが、私にはできない。

彼が入ったとき、ガラガラに空いていて広い席に座った後、混んできたのかも分からない。また最初、三人か四人で来ていて他の人が先に帰って彼だけが残ったのかも分からない。が、しかし、けれども、と反意の接続詞を復唱したくなるのは、私だけであろうか。

店内には四人掛けではない一人で座れる小さいテーブルや場所はあるのだ。私なら、いや私でなくとも多くの人は混んできたら席を立ちますね。彼は多分無人島から来たのだろう。

私は険しい目で彼を糾弾しているのではない。子供から大人に成長する過程で、修得していなければならない社会性が、もしかしたら少し欠けているのだとしたら、余計なお世話だが、会社勤めなら組織内で、事業主なら取引先との付き合いにおいて、彼は苦労するだろうな、と、ちらり思ったのである。


2013年7月22日月曜日

平成25年7月21日(日) 晴れ

午前中に投票に行く。結果が見えているので、夜の選挙速報は見ないと決めている。色々考えていることはあるが、このブログでは基本的に政治と宗教の話は語らぬことを旨としている。が、油断すると時々少しだけ熱く語ってしまう(笑)。

国債1000兆を抱えたこの国を自民党が立て直せるとは思わないが、他を見渡しても頼りになりそうな政党は皆無だ。民主党の壊滅的な凋落ぶりは喜劇を観ているようである。

どの政党が政権に就いても国民の不満は消えないが、それでも日本は、失業率5%、給与格差最小、平均寿命最高、新生児死亡率最低、広く高い教育、犯罪率・投獄率・殺人・精神病・麻薬乱用率すべてが低い国である。世界が日本から学ぶとこはあるはずだ。どこの国もそれぞれ問題を抱えていて、日本も深刻な問題が山積しているが、世界との比較において、我々は政治に何を望んでいるのか、我々国民自身が、日本という国を冷静に見つめてみるのは大切だと思う。



投票から帰り、家でひやしうどん。

午後になり、TSUTAYAに行く。見ても意味のない選挙番組対策だ。『桐島、部活やめるってよ』・リメイク版『トータルリコール』・『ワイルドスピードMEGAMAX』を借りる。帰りにJマートにより工具売り場をひやかして、何も買わずに、店外商いのソフトクリームを買う。子供の頃から好きでたまに食べたくなる。



2013年7月21日日曜日

平成25年7月20日(土) 晴れ

関東あたりまでは北から張り出した高気圧の影響を受けているので気温はあまり上がらないようだ。たしかに朝は初秋のように涼しく感じる。短期間に猛烈に暑いのと、涼しいのを味わっているが、暦はまだ七月で、例年ならやっと梅雨明け、といった時期だ。

新聞に、新たに四人の方を人間国宝に認定する記事が載っていた。その内訳は、「長唄」「清元」「白磁」と、ここまではおよそ見当はつく。詳しい知識は無いが「長唄」「清元」は三味線を使う邦楽であるし、「白磁」は陶磁器、焼き物の世界である。

残ったひとつ「蒟醤」が、何の事か判る人はどのくらいいるのだろう。だいいち読めません。蒟蒻(こんにゃく)のに醤油のと書いて、・・・・・・・何か食い物か?知らなければ全く見当もつかない。

これは「蒟醤」と書いて「きんま」と読む。漆芸の装飾技法のひとつで、その起源は東南アジアにある。と、知った風に書いたが、何を隠そう今日知ったばかりである。堂々と言うことではないと思う。

これには更に驚きがあった。この「蒟醤」は、私の故郷、香川県の伝統工芸だった。何とまあ、知らなかった。故郷を離れて四十数年が経つ。ずっと地元にいれば、何かの折に触れる機会があったかも分からないが、今まで知ることはなかった。

http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2013_02/series_07/series_07.html

すごい、香川県人の誇りである。讃岐は、「うどん」だけではないのであった(笑)。

こういった芸術の域にまで昇華したものも含めて、日本の職人の新旧の技は世界が認めている。

テレ東『和風総本家』で紹介された、世界のマイスターが絶賛した究極のニッパーがこれだ。

KEIBA FC-206

ペンチ FC-107
工具好きには、堪らない誘惑だ。こんなのもある。

医療用ハサミを作っている下町の「石宏製作所」の裁ち鋏。スカイツリー開業時のテープカットに使用された。職人の誇りが詰まっている。








2013年7月20日土曜日

平成25年7月19日(金) 晴れ

午前中にきのうの仕返しにベトナム大使館に出かける。何を仕返しするのか、自分でもよく判らないが(笑)。

11時過ぎに到着。昨日と違って正門は閉まっている。そうなのだ、この正門が開いていたのが、そもそも「事務手続きが出来ない事件」の発端だった。何も知らないで行ったら普通誰でも、開いている所から入っていくでしょ、それは。(事件の詳細は昨日の記事を参照されたし)

ベトナム大使館
今日は閉まっている。この状態であれば、どこか別の窓口なり、入り口があるのではないか、と考えが及び、一応建物の周りを確かめてみるという行動を取れると思うのだが、間が悪かったとしか言えない。

今日は満を持して、隠しダンジョンの場所を予想してあるので、そこへ直行だ。

建物の南東の角を回った所に、ありましたよ、通用口みたいな扉が。


よく見ると


頭の中でドラクエの音楽、目的を達成したときに流れるメロディが鳴り響いた瞬間である。

階段を上がり、中に入るとすでに二十人近くの人が待っており驚いた。査証の取得やパスポート関連など目的は様々だろう、白人が五人、他アジア系の人、日本人のビジネスマンらしき人数人など、顔ぶれは賑やかだが、中はシンとしている。

混んでいたが、書類を申請して待つこと一時間で、ミッションインポシブルな私の任務は完了した。

私が帰るときは午前受付終了で空いてきた
事務をしているのは二人のベトナム人女性で、笑顔はないが粛々と仕事をしている。愛想笑いなどという文化は、日本固有のものだから、ましてや社会主義国のお役所で笑顔を期待する方が間違っている。20数年前、ベトナムのタンソンニャット空港のイミグレーションで、軍服を着た女性係官の能面のような、お腹をくすぐっても絶対笑わぬような冷たい表情を思い出す。それに比べたら、日本の役所の女性が女神(ビーナス)に見えます。


2013年7月19日金曜日

平成25年7月18日(木) 晴れ

ホーチミンシティの次男から依頼があり、在日ベトナム大使館に行く用事ができた。ベトナムで三ヶ月以上仕事をするには、労働許可証が必要で、彼は昨年からすでに現地に赴任しているが、その事務手続きがまだ終わってなかったようだ。運転免許証と同じで、何かトラブルがなければ、提示を求められる事はないだろうが、ルールは遵守しなければならない。

在日ベトナム大使館の認証が必要な書類があり、代理で出かけた。場所は渋谷区元代々木で、代々木八幡と代々木上原の北側の中間、山手通りの西側辺りで、瀟洒な住宅街だ。

この辺りは、青山で仕事をしていた時代にバイク通勤の抜け道で使っていたので、頭の中に地図が出来ていて、念のためGoogleストリートビューで確認をしてから行ったので、迷わず着いた。記念に写真を一枚撮る。こういう場所であからさまに何枚も撮影すると、怪しまれて、連行されるという映画みたいな光景が一瞬、頭に浮かんだので、一枚だけにしておく。「李下に冠を正さず」である。


着いてみると、正門が開いていて、タクシーが停まったり何やら人が集まってくる。建物の入り口には受付のようなものがあり、どうやらこれから、大使館主催の会合があるみたいだ。皆さんこの暑いのに上着着用でかなりフォーマルな雰囲気だ。

全く関係の無い私だが、こちらにはこちらの用事があるので中に入っていった。受付の方は日本人の男女二名でこの会合の関係者だったが、全くの部外者だった。大使館関係者ではないので、彼らは事務関係のことは全然わからない。仕方ないので、中に入って行きベトナム人とおぼしき女性に声をかけてみた。

怪訝な表情でこちらを見ている。たしかにこのフォーマルな雰囲気の中、ポロシャツにサンダル履きの場違いな空気を全身からまき散らしているおっさんは、どうみても変な奴に見えるだろう。私はベトナム語は、一ミリも解らないので、日本語と英語で訊ねてみたら、私の用件は理解してくれたようで、「待ってください」と言って、奥に消えた。

・・・・・・10分経っても戻ってこないのだ、彼女が。

すでにレセプションホールでは日越友好の会議が始まっている。ホールのドアが開いているので中の様子は見える。中央のスクリーンにプレゼンしながら交互にスピーチをしている。このロビーで、私ひとりだけが、これ以上はない完璧さで浮いている。

考えてみると、今時ゆるいセキュリティである。日本とベトナムは緊張した関係ではないのでのんびりしているのだろう。それでも、私が立っている場所は相手国の出城であり、日本の法律の及ばぬ治外法権域である。

見渡しても事務サービスを受けているような場所もなく、さっきのお姉さんもどこかへ消えたままだ。なにやら釈然としないが、少なくともここで、私が求めている事務手続きが行われてはいないようだ。では、どこでその事務手続きをしているのか?話を聞ける相手もなく、これ以上は時間が潰れるばかりなので、今日は謎のまま引き揚げる。手強いぞ、ベトナム大使館。

帰宅して冷静に考える。大使館というのは国を代表して外交をする役目だ。そして、査証やパスポート、許可証など事務処理は領事部が行っているはずだ。それに、普段は大使館の正門が無防備に開いているはずがない。たまたまのタイミングで私が闖入してしまったのだ。領事部はどこか別の入り口なりエントランスがあるのではないだろうか、と考えた。

もう一度Googleストリートビューを丹念に見る。何やら建物の角を回った辺りに、小さい表示板のようなものがあり、入り口のようなものも確認できる。ドラクエでダンジョンの秘密の入り口を見つけた時と同じである。まったくもう、こんな所に隠してあるなんて、の気分だ。

確証はないが、他にないでしょ、もう。明日確かめに行く。今日はこのくらいにしといてやる。

2013年7月18日木曜日

平成25年7月17日(水) 曇り夕方から雨、夜も更けて雨あがる

私はテニスを一度もしたことがないのに、テニス肘だ。日常生活が不自由なほどの痛みはないが、腕を伸ばして物を持ち上げようとすると、痛みが走る。何年も前から慢性化しており、時々痛みが強くなる。

テニス肘というのは通称で、「上腕骨外側上顆炎」という病名がつけられている。早口言葉のようだが、じょうわんこつがいそくじょうかえん、と音読みするのだろう。

テニスをしない人でも、なる人が増えているらしい。原因はPCのマウス、キーボードの操作や、手首を酷使するスポーツ、仕事など複合的で、日常生活だけでもなるのだそうだ。安静が一番なのだが特に心当たりのない日常生活だけでなった場合、日常生活をやめるわけにはいかないので、なかなか治りにくい、と前に医者から見放されている(笑)。

ストレッチをしたり、アイシングをしたり、ペインクリニックでトリガーポイントの麻酔治療などを試したが、思うようには良くはならない。まあ欺しだまし付き合うしかなさそうだ。中高年になって、体のどこにも全く不具合がない人は、いるだろうが、いても少数であろう。

昼過ぎ武蔵境に出る。西口側が新しくなったのを知っていたが、初めて来た。


「クイーンズ伊勢丹」は武蔵境の中長期的な発展を見越しての先行投資的出店なのだろうか。品揃えはそこそこ充実しているが、値段も比例しているので、ここを普段使いに利用するには、財布に余裕がないと使い辛い。現時点では武蔵境は青山や広尾などのように、高級セグメント層が多い立地ではない。



「ロイヤルホスト」で遅い昼食を摂る。


茄子入りミートソース
店の営業が始まる前に、雨が降り始め、終わる頃に雨はあがった。雨の営業、静かな一日だった。

2013年7月17日水曜日

平成25年7月16日(火) くもり

朝から涼しく感じる。涼しいといっても25℃近くはあるので相対的な感覚だが、梅雨明け以来、猛暑の洗礼を受けていたので、少し気温が下がると楽に感じるのだ。

午後になり早めに店に出て、仕入れの買い物をすます。二時近くになり遅い昼食をとりに出かける。

南口三鷹通り沿いにある中華「虎坊」に行く。二時なので空いている。私が入ると、ちょうど三人客が帰るところで、私一人になった。ここは初めて利用する。店の内装はきれいで、洋食のレストランのようだ。



虎坊特製チャーハン¥980 ランチタイムは(スープ・デザート付き)


今日は暑さがいくぶん和らいだので、一度入ってみたかったここを選んだのだ。日中の気温が35℃を超える日では、美味しくてもこの熱い料理をわざわざ食べようとは思わない。

食後、北口に戻り「テラスベール」で休憩兼小一時間の読書。



深夜、『御宿かわせみ』第七話(録画)を観る。一話から通して観ていると、るいと東吾の仲睦まじさが時代劇らしからぬ演出でキスシーンがあったりする。今のNHKの時代劇の演出ではまずでてこないシーンだ。現代では、駅で抱き合ったりしているカップルを見かけることは珍しくないが、当時(1980~1981)、人目につく場所でそういう姿を見ることは、まだほとんど無かったと記憶している。なので当時は時代劇のこういったシーンがとても斬新に映ったのではないだろうか。

演出が時代をリードしていたのか、時代が演出を希求したのは判らないが、男女の絡みの描写に時代の変遷が顕れている。




2013年7月16日火曜日

平成25年7月15日(月) 晴れ

朝、九時半に家を出て、府中の森公園に行く。園内で開催されている「陶器市」の最終日だ。二輪の方が速いのは判っているが、さすがに暑いので車を出す。十時前に着くと園内の駐車場はすでに半分くらい埋まっていた。









やまぶどうの蔓で編んだ籠で、職人の手作業で作っている精緻な逸品であること、中国産の物とは違い、割れたりずれたりしないこと、を売り場のおじさんが力説してくれた。テレビ番組『美の壺』で紹介されていたことをカミサンから聞く。観たような気もする。一生物どころか、世代を移して使えるすごい物だそうだ。値段もすごい。

上の写真の物で十万以上の値札が付いていた。写真を撮ってもよいか、と訊くと「値札を裏返してね」と言われる。デパートなどで販売するときは、色々取り分があり、もっと高いのだそうだ。


上の写真の小さな花入れを購入する。ひとつ¥500。「いつ買うの、今でしょう!」と書いてあるが、「う」が付いただけで間延びしてしまう。流行語を借用した気持ちは分かるが惜しい、もうちょっとだったね、ここは流行語どおり「今でしょ!」でしょう。

一時間余り散策して会場を後にする。駐車場をでるときはすでに満車で、待ち並びの車の列が出来ていた。一番後ろの待ち時間は30分ではすまないのではないかと思う。「陶器市」が目的ではなく子供連れで休日を過ごそうという若い家族が多い。

ちょうど昼食時だったので、帰り道にある「御狩野」(みかりの)に寄り、蕎麦を食べる。


天ざる¥1360也。

帰宅して一時間ほど昼寝。起きてTSUTAYAに行き、観たかったタイトルを探すが、全部貸し出し中だった。せっかく来たので手ぶらで帰るのもと思い『LOOPER』を借りる。近未来タイムマシ物だ。ブルースウイリスが出演しているので借りた。彼の作品はつい観たくなる。時間を扱う作品は、時間のパラドックス、矛盾をいかにうまく見せるかが重要だが、この作品は大きな破綻もなく、よく出来ている。

『LOOPERジョーは、未来の犯罪組織の依頼で過去にタイム・トラベルしてくる標的を処理する殺し屋、通称「ルーパー」だ。しかしある依頼で処理することになったのは、30年後の未来からやってきた自分自身だった。未来の自分を殺せずに取り逃がしてしまったジョーは、彼が標的にしている相手が30年後に未来の犯罪王「レインメーカー」となる幼い子供であることを知る。