川岸には下りず遊歩道を走る。黙々と走る。散歩ではなく走るときはカメラを左手に持ち、他は手ぶらだ。耳が冷たいのでニット帽を被り、薄いフリースの手袋をしている。上は長袖と半袖のTシャツを重ね着して、下はタイツとショートパンツとランニングシューズである。走り出しは少し寒いが5分も経たない内に寒さは感じなくなる。
時間があるので遠回りする。
大沢市民農園 |
今日は富士が近く大きい。不思議なもので同じ場所からでも日によってはそう見えるのだ。
丹沢もよく見えている。中央に白馬に見える雪渓があるのだがここからはよく見えない。
一時間と少しのランニング。概ね走ったがこの舗道は景色を楽しみたいので息を整えながら歩く。
シャワーを浴びて朝昼兼のパン。先日から思い出したようにホットドッグを食べているが、今日はベーコン付きにしてみた上、粒マスタードはあるのにわざわざ練りマスタードを買ってきた。
フランスのディジョン産のマイユやモー村のポメリーなどの粒マスタードはおいしいが、こういう場合はアメリカ産のチープなマスタードのほうがジャンクフードらしい感じが出るのだ。
散髪にいくつもりで早めに店に出る。店に出てからカレンダーに印を付けているこの前散髪に行った日をチェックしたらまだ三週間しか経ってなく、止めにする。散髪する間隔を決めているのではないが四週間以上開けることはほとんどない。短髪にしているとボサボサ感が目立つからである。
大人の場合、髪型の自由度は高いが職業によりある程度の制約はある。飲食やサービス関係の場合は店に規定があったりする場合と自主規制も含めて短めで清潔感のある髪型が求められる。
近頃はそういう業界でも長髪の人もいるので一概には言えないが、男で長髪というのは一般的には芸術や芸能関係、フリーのジャーナリストなどに多く見られる。
そういう人達にとって髪型というのは本当に自由なのだと思う。でも自由であれば短髪、鮨屋の職人のような角刈りのオーケストラ指揮者がいてもおかしくないと思うのだが、私が知らないだけかもしれないが、見たことないなあ。なぜ芸術家は押し並べて長髪の人が多いのだろう。
社会の縛りを受けない自由人であることの提示や体制への反逆を髪型により表現しているということなのだろうとは推測する。
いやそうではないく、そんな大した意味はなく、実は音楽家や画家などの芸術家は髪型などには無頓着で伸びるに任せるという人が多いのだろうか。本当にみんなそうなのだろうか。そうではなく、中には無頓着を装う計算がどこかにあり、外見を気にしない無造作な髪型服装、所作が実は繊細に演出されたものであり、人に見られない所で鏡を常に気にしている矮小な俗物だったりする人がいるかも分からない、とは思うのである。
いかん脱線してしまった。
店を終え帰宅して、明日は山に行こうかどうしようか考えながら飲む。
初物ホタルイカ |
胡麻和えほうれん草 |
マカロニサラダ |
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