午前中は雑用をしていて午後になり高尾山に行く。二ヶ月半も空いたので脚は一から作り直しだ。こういう足慣らしのときは高尾山からと決めている。思えば高尾山には何度も通いお世話になっている。自分で言うのも何だがガイドが出来るくらいなのだ。なので今日はガイド風に書く(笑)。
上は6号路と病院道の分岐。左6号路は琵琶滝を経て山頂に向かう渓流沿いのコースで、右は高尾保養所(高尾病院)前を通りケーブルカー高尾山駅の近く十一丁目茶屋の横に出る急登だが最短コースである。ただし私有地を通るのでガイドブックなどには紹介されていない。
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みょうおんばし |
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病院脇の急坂 |
今は病院の敷地になっているが、戦前までこの辺りには佐藤旅館というのがあり、作家、中里介山や民俗学者、柳田国男など多くの文化人に愛されたそうだ。とりわけ中里介山はこの地が気に入り妙音谷の千年樫のそばに庵を結び執筆したそうである。この妙音谷という地名、先ほどの妙音橋も介山の命名だそうで今もそれが使われている。
階段を上ったすぐの所に湧水がありその上の場所、今は草木に覆われて隠れるようにして石碑がひっそりと建っている。その石碑を知る人は少ない。
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「中里介山妙音谷草庵跡」とある |
草庵の上にあった大きな千年樫は昭和57年の台風で倒れてしまったそうだ。
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左・男坂 右・女坂 |
先で合流するのでどちらを行ってもよいが階段のある男坂の先には多くの歌碑が建てられている。
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参道の歌碑通り |
桑都(そうと)とはうれしき名かな春の月 古泉居
桑都は八王子を指す。八王子は昔、桑の栽培、養蚕が盛んで、いにしえの西行も「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」と詠んでいる。
四天王門をくぐり境内にある大本坊の屋根はあるスポットで有名だ。
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ムササビが住み着いている |
陽が落ちるとここから出てくる。ムササビはモモンガよりずっと大きく飛膜を拡げると座布団くらいの大きさになる。
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想像図(笑) |
秋の花を数点。
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ヤマホトトギス |
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タマアジサイ |
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シモバシラと吸蜜中のダイミョウセセリ |
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頂上より都心方面 |
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頂上下5号路分岐 |
山頂の北斜面5号路に「江川杉」と呼ばれる杉林がある。津久井城山には檜(ひのき)を植林した「江川檜」もある。
樹齢150年というから木の世界では古いものではないが、この江川太郎左衛門英龍という人はとても有能な人で、この解説以外にも領地韮山に反射炉を造ったり、東京の「お台場」の設計建設者でもある。
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工事が終わり新装のビジターセンター |
四天王門脇のトイレ近くに置かれる石柱は不思議な由来が解説してある。
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これよりびわのたきみち |
遅く出かけたので夕方になってしまい下山の山道はすでに薄暗かったが、空はまだ明るい。
ピークを目指すだけが山歩きではない。ぶらぶら楽しむのもまた善しなのだ。さあ帰ろう家でビールが待っている。
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