なんと、8月の頭に失くして諦めていた小銭入れが出てきたのである。それも毎日使っている肩掛けのポーチからだ。ということは失くしたのではなくずっと持ち歩いていたことになる。そんなバカなと自分でも思う。神隠しにあった者が突然帰ってきたような驚きである。
そのポーチには財布と小銭入れ、カメラ、名刺入れ、ペン、メモ帳、スマホなど身の回り品を入れていて、これは山歩きにも持って行くのだ。山ではザックをいちいち下ろすのは面倒だから、すぐにカメラなどの小物を取り出せるように小さな肩掛けポーチを使っている。山用としてだけでなく日常使いと共用できるので便利なのだ。出てきたのはその毎日使っているポーチのチャック付き内側ポケットの中からだった。まさしく灯台下暗しということになる。
ポーチの内側ポケットには滅多に使うことのないイヤホンを入れてあり、たしかに普段あまりチャックを開けることはないが、あれだけ探し回ったのだから、見てないはずはないのだが・・・・・・不思議だ、やはり神隠しとしか今でも思えない。
今日はたまたまイヤホンを探していてその普段は開けないチャックを開け、中に手を入れ、あれっ、イヤホンの他に何かあるぞ。
失くしたはずの小銭入れを発見したときの瞬間の あっ!は皆さんお分かりいただけると思う。
驚きと同時にニヤけましたがな(笑)。
なぜ小銭入れがそのポケットに入ったかのは、たまたま内側のポケットのチャックが開いていて無造作に習慣的にポーチに小銭入れをしまったときに偶然であるが開いていたポケット内に入ってしまったのだろう、としか考えようがないが、覚えがない以上「そんなところには入れた覚えがない」という、人には思い込みというものがあり、自分の記憶や習慣に間違いないと思う自信があるが故の、盲点にはなかなか気づかないものであることを改めて思い知った次第である。
小銭入れがないと何かと不便なので同じのを買おうか、と思っていた矢先だったのでとても嬉しい。たかが小銭入れでも嬉しいものだ。私は何を隠そう、何も隠してないがこんなことで一喜一憂する小心者です。
出てきた小銭入れ・愛着があったので素直に嬉しい |
午後散歩にでる。天文台通りを下りハケの舗道にまわる。
シールマンスのジャズハーモニカが聞こえてきそうな夏にはない空の色だ。
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