天気が良くないのは予報で判っていた。今日はどこにも出かけず家で過ごすことにする。
カミさんは用事で出かけたので、ひとり昼ごはんにする。豆腐とワカメの味噌汁、納豆、スクランブルエッグ。炊きたてのご飯はおいしいが、一膳だけにしておく。
時間というものは不思議なもので、家でぼんやりしている一時間などはすぐに過ぎてしまうが、山歩きをしていての一時間のロスは、極端にいうと取り返しのつかない時間になったりする場合がある。
予定のない日、家で静かに過ごす小雨の一日。
雨音は聞こえないが、庭の黒い土にしみこんでいく秋雨の気配は、今日の季節外れの生暖かい気温を意に介さず澄んでいる。
寝足りているのに昼寝をする。で、実際に寝られるのだ。こういう現象を集めればそれをトシ(年齢)というのだろう。
事実還暦を過ぎて、一般的には初老という表現が当てはまる歳になった。しかし今どきは還暦を過ぎても私を含めて多くの人は自分を、若者ではないが老人とは思っていないこと、さいわい大病を免れている還暦過ぎであれば、おそらく壮年を往く、くらいの自己分析なのだと思う。
これには服装や物腰所作、立ち振る舞いなど客観的な他者からの評価と、セルフイメージの自分は若いつもりの主観が分かれやすい年齢層であると思うが、何の装飾もなく裸で風呂場の鏡に映る己の姿を見て、「がまの油」ではないが自らの凝視に堪えない劣化した肉体、若い肉体には不可逆な現実を突きつけられて、ひそかに悄然としたりする年齢でもあるのだ。
あの頃に戻りたい、は無い物ねだりである。人は歳をとり、やがて世代が変わる。若い頃世話になった人への恩返しもできぬまま歳を重ねた。しかし、その恩返しは世話になったその人に、ではなく、次の世代を世話することが、世話になった人への恩返しになる、と私は思っている。
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