しかし今ひとつ実感がわいてこない。何か私には関係のない出来事に首を突っ込んだような気後れがある。
このような気分であるから、手放しで欣喜雀躍、小躍りのひとつも出ようか、という世間でいうところの「孫は子より可愛い」という心情には、今は密着するはずもなく、一歩下がって見ている状態である。
これには個人差が大いにあるだろうが、その内「目に入れても痛くない」というのを実感する日が来るのだろうか?
いずれにしても真っさらな命である。我が子のときは感じなかったが、小さな顔を見て命の不思議さ、この小さな命から放たれる神々しいまでに澄んだ清純の照射はオジイサンには眩しすぎるのだ。
よその子の成長アルバムを延々と見せられるより退屈なものはない、と心得ているのでこの一枚にとどめる。
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