2016年11月5日土曜日

平成28年11月4日(金) 晴れ

7時半起床。コーヒーを飲みながら


プライムラジオを流してブログの更新。


リビングで牛乳と新聞。


小旅行に田中君と長野に行く話がまとまり宿泊の手配は昨日のうちにすませた。行き先の情報を集めてみる。

朝昼兼のコンニャク麺のうどん。


午後一で新幹線乗車券と指定席券を買いに武蔵境駅に行く。今は「みどりの窓口」に行かなくても自動券売機があるので便利になった。さらに言えば家でネット予約のモバイルSUICAチケットレスも可能だがめったに行かない旅行は、切符があったほうが旅らしくなる。

帰宅して野川に行く。


下の写真が、前にも書いたカワセミカメラマンの人たちがいろいろ川の中に小細工してある場所である。今日のこの時間は誰もいなかったが、多いときは五六人もが三脚を出している。アップで撮影してトリミングしてしまえば細工など判らなくなるかもしれないが、常識で考えてこんな不自然なものをこしらえてはいかんでしょうが。本来なら子供のいたずらを注意しなければならない立場の大の大人がしますかね。



少し足を伸ばして大沢神社にまわってみる。


基督教大学裏門交叉点の東八道路を北に渡り人見街道を少し行った所が大沢神社である。





元は古八幡(ふるはちまん)の場所にあったが、長久寺に一度移され、その後この場所に落ち着いたそうだ。
1595年創基とあるから江戸幕府開闢(1604)以前である。神社仏閣としてはそう古いわけではないがそれでも420年が経っている。

少し長めの散歩を終え帰宅。この程度の散歩ではなまった身体はなかなか元には戻らないが、焦ってやりすぎると故障しそうな気がするので騙し騙しすることになる。年齢は正直です。それは誰にでも訪れることで悲観することではないし、逆らわずに素直に受け入れるようにしている。今の自分を若いときと比べるのは意味がない。

人は元気なときは身体が動かなくなったり自分が呆けたりしている姿を想像できない。もしアンケートを取れば今、60代、70代の健康な人は心も体も若いので、もっと歳を重ねても自分だけは当分は大丈夫だと思っている人が多いのでないかと想像する。

しかしどんなに若いと本人は思っていても80歳を越えてきて徐々に、努力しても自分の意思ではどうにもならない無残な老い衰えに見舞われる人は少なくない。

私がもし80を過ぎてまだこの世に生かしていただけているのであれば、今の私を羨ましいと多分思うであろうから、今を大事にする意味はここにあるのだ。

老いても「老醜」という言葉は使いたくないし、また好きではない。老いるのが好きな人はいまい。生きていれば選びようもなく、あまねく老いは誰にでも降りかかってくるのだからそれを醜いというのは、老人が自虐的に自分を卑下して謙遜する日本の独特の文化のような気がするが、そんなことよりあと10年もすれば65歳以上の人口が日本の3分の1になる、人類が今まで経験したことのない現実をどうするの?確実なのは増える税金、減る年金。

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