きのうに続きパスタの昼食。
サクランボ(桜桃)が出盛りである。以下引用
私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。これは、太宰治『桜桃』の最後の部分だ。家にいたたまれなくなって飲み屋で出された桜桃を食べている場面。ほとんど作者本人である。蔓 を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚 の首飾りのように見えるだろう。
しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐 き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。
太宰治の命日は、「桜桃忌」と呼ばれている。六月十九日なので先週だった。作品『桜桃』は四百字詰め原稿用紙で十五、六枚の短編である。作品のタイトルとはかけ離れた内容で、晩年の太宰が、身も心も病んでいたのが伝わってくる。
太宰は三鷹の玉川上水に十歳年下の愛人、山崎富栄と入水自殺をして果てる。入水したのは六月十三日だったが、捜索が難航し発見されたのが六月十九日だった。ちなみに六月十九日は太宰の三十九回目の誕生日でもあった。
豆知識であるが、入水は(にゅうすい)または(じゅすい)と読む。(にゅうすい)は、ただ水に入ることだが、(じゅすい)は自殺を意味している。なので入水自殺の場合は、(じゅすいじさつ)と読んだほうが知的である。あ、でもそれでは重言になるか、頭痛が痛いのように。よくわからん。
三鷹の禅林寺、森鴎外の墓所に対面するように墓石がある。亡くなったのは昭和23年である。その五年前、永井荷風が鴎外の墓を訪れている。それは永井荷風『断腸亭日乗』に書かれている。
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