2022年2月5日土曜日

令和4年2月4日(金) 曇り時々晴れ

 7時半離床。リビングで朝刊とラッシー。


『カムカムエブリバディ』を観て部屋でブログにかかる。


ベートーヴェンのピアノソナタ集のアルバムをBGMに


ブログの更新。『歴史探偵』(録画)を観る。今回のキーワードは「缶詰」。日本の「缶詰」の技術が結ぶ東西冷戦の裏話。


昼はTKGごはん。

午後『ゴシップ』第5話(録画)を観る。人気女子プロゴルファー盗撮事件の取材と凛々子(黒木華)にまつわる噂。

毎日こうやってどこにも出かけずTVの録画を観るのが唯一の仕事みたいになっているが、もちろん本意ではない。しかしそうは言うものの大きな目的を見据えて生きているかといえば、もし健康であっても毎日が、良く言えばルーティン、悪ければ惰性に生きていて何となく根拠もないのにいつまでもこの生活が続くような錯覚に委ねて深くは考えず、毎日を送ってるように思う。

心の拠り所、明確な目的があればそこに向かって時間をつぶすのも生き方。私にはそういうものはない。母が死んだ後、手記のようなものが出てきて、そこに毎朝目覚めて今日も生きていることに感謝するみたいなことが綴られてあったがそれも実感では感じたことはない。

ただ淡々と生きるだけ、毎日を消費するだけの生活でもいいのではないか。気張って何かと闘うとか頑張らなくてもいいのだ。日々悪くなってゆく自分を見つめるのは辛いが、それも自分に与えられた身体で誤魔化しながらやってゆくしかない。人は健康なうちは自分が我が肉体の主人のように錯覚しているが、自由にならない部分を発見するたびこの肉体はいつかは返さねねばならぬ大いなるものの存在を意識する。それは仏とか神とかという宗教的なものではなく摂理のようなものだ。

毎日変わりばえしないので今度水耕栽培の植物を部屋で育ててみようかと思う。そういうことを考え出すのは病人の証であるが土を使わず根の部分を観察できるのは初心者には向いているかもしれない。ただこの時期育て始めるのに適した植物が少ないようなのでしばらくおあずけかな。

18時を回って飲む。北京オリンピックの開会式をちょっと観ていろいろザッピング。22時から「酒のツマミになる話」を観る。

0 件のコメント:

コメントを投稿