2014年8月5日火曜日

平成26年8月4日(月) 晴れ

今日は誕生日である。もちろん誕生日が嬉しい歳ではないが、またひとつ歳を重ねて今、生きていることは感謝する。こういう気持ちになれるのも、病に斃れた友人ふたりの死が背景にある。

ふたりとも還暦を迎えたばかりで逝ってしまった。早すぎる死だ。身内の方を差し置いて云うのもおこがましいが、本人たちの病を得た悔しさ、その無念さは誰よりも解っているつもりである。

「歳はとりたくないものだ」という言葉がある。これは各々では色んな含みがあるとは思うが、一般的には、溌剌としていた若い頃の自分から遠ざかってゆくことへの嘆息と愁傷であると解釈している。しかしこの言葉は生きたくとも生きられなかった者たちに対しては、悪意のない冒涜である。

生きていれば歳をとる。この当たり前の事にあらためて感謝する。

誕生日だからといって何かをするわけではない。普通の平日の一日。それで十分。

夕方店の賄いで鰻丼。丑の日にも賄いで食べたが、今日は一応お祝い鰻丼である。


店を終え、深夜飲みながらCS放送で録画してあった『半七捕物帳・津の国屋』を観る。これは1984年の時代劇スペシャル、テレビ版である。主演:露口茂の半七で面白かった。当時の俳優たちは時代劇の所作がきちっと決まっていて、身のこなしが美しい。

「半七捕物帳」は岡本綺堂の原作であるが、全68話あり日本の推理小説の礎になっている。量が多いので全部は読んでいないが、未読の作品が楽しみである。青空文庫で自由に読めるのはありがたい。

この「津の国屋」というタイトルと同じ表題で、「の」の使い方が違うが松本清張の短編で「津ノ国屋」というのがある。内容はまったく違うが、清張は大の綺堂ファンであったから、何か思い入れがあったのかも分からない。

以下wikiより

半七捕物帳』 (はんしちとりものちょう) は、岡本綺堂による時代小説で、捕物帳連作の嚆矢とされる。
かつて江戸岡っ引として、化政期から幕末期に数々の難事件・珍事件にかかわった半七老人を、明治時代に新聞記者の「わたし」が訪問し、茶飲み話のうちに手柄話や失敗談を聞きだすという構成で、旧幕時代の風俗を回顧しながら探偵小説としての謎解きのおもしろさを追求する趣向の小説である。作中で「捕物帳」とは、町奉行所の御用部屋にある当座帳のようなもので、同心与力の報告を書役が筆記した捜査記録をさしている。
近代日本における時代小説探偵小説草創期の傑作である。1917年大正6年)に博文館の雑誌「文芸倶楽部」で連載が始まり、大正年間は同誌を中心に、中断を経て1934年昭和9年)から1937年(昭和12年)までは講談社の雑誌「講談倶楽部」を中心に、短編68作が発表された。

内容と評価[編集]

厳密な時代考証や綺堂自身の伝聞・記憶などから、江戸期の江戸八百八町を小説の上にみごとに再現した情趣あふれる作品。時代小説としてのみならず風俗考証の資料としても高い価値を持ち、明治期の「現代人」を媒介に、江戸時代を描写する遠近法的手法が使われている。
本格推理、怪談風味、サスペンスなど物語の展開も多様である。何よりも古さを微塵も感じさせない引き締まった文章がすばらしく、解説者都筑道夫は「まるで今年書かれた小説のようだ」と評した。また出来不出来がほとんど見られず、解説者北村薫は「全部をお読みくださいと言うほかない」と述べた。
綺堂は「シャーロック・ホームズ」を初めとする西洋の探偵小説についての造詣も深かったが、『半七捕物帳』は探偵小説としては推理を偶然に頼りすぎたり、事件そのものが誤解によるものだったりして、謎解きとしての面白さは左程ではないと言われる[1]。しかし何作かは本格性の高い作品である。国産推理小説がほとんど存在しなかった時期に先駆的役割をつとめたことは確かである。

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