プライムミュージックを流してブログにかかる。
プロの物書きの人でも筆が止まってまったく進まないということがあるようだが、今朝がそうでPCの画面を見ているだけで時間がどんどん経過してゆく。仕方ないので更新せず先にリビングで朝のルーティン。
身支度してから再びPCに向かうがまとまった文を書くのはあきらめて更新だけはしておく。書くことがないようでも、何かひねり出せるものだが、時間が押してくると焦るので余計なにも考えられなくなる。長くやっているがこういうこともある。
昨晩の夕食の写真でもよかったのだが、ダイエットの建前上昨晩は飲まない日に決めていたが、そのおかずの鯖の塩焼きや具だくさんの豚汁で飲んだので、それが何か後ろめたくて写真を上げるのに抵抗があったのだ。どうでもよい場合は正直者になれるものである(笑)。
ブログの更新だけはしたので安心して『わろてんか』を観て出勤。
午前の巡回中、今秋以降初めて鮮やかな富士が臨めた。
秩父の武甲山もよく見えている。
東はスカイツリー。
(・・・・・・仕事中・・・・・・)17時勤務終了。
一日快晴だったので夕暮れも遠望がきくだろうと仕事ではないが巡回で行く場所にあがってみると残照にカミソリのような月が浮かんでいた。
おととい吉祥寺に出たとき、武蔵境から電車に乗ったのだが、ざっと見渡しただけでも沢山の人がスマホをさわっている。ガラケーが普及してからは珍しい光景ではなくなったものの、時代の進化とともに、外に出ているにも関わらず音楽を聴いたりスマホに没頭したりと閉鎖的な個人空間に埋もれて移動しているのだ。
それまでの時代は電車の中でぼんやりしていても、本を読んでいてもたいていの人は外の世界に聴覚であれ眼の隅であれ意識の重心を残していたものだ。普通の神経の大人であればスマホもそういう使い方をしているのだろうが、おととい乗った電車で隣にいた若者は違った。
武蔵境ではそれなりに混んでいてドア付近に立った私にその若者の身体が触れるくらいの混み方だった。そして三鷹で特快乗り換えで多くの人が降りて、私が乗ったハコは立っている人がまばらにも関わらず、その若者はスマホゲームに熱中するあまり身体を密着させたままで動かない。人は人との距離をその場面や状況において適正な間隔になるように意識せずに修正しているものだ。
私が電車の揺れを使ってわざともたれかかって初めて気がつくという図になったという次第。
電車の中で何をしようと人の迷惑にならなければ自由だが美しくないね。己の所作や振る舞いに矜持や美学はないのかね。背筋を伸ばして読書する人をほとんど見かけなくなって久しい。
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