2015年1月24日土曜日

平成27年1月23日(金) 晴れ

朝昼兼のパスタ。カミさんがいるので二人前を作る。



隠し味にバター醤油を使った和風スパゲティ
そういえば先週の土曜日、雪の扇山(おうぎやま・山梨秀麗富嶽十二景のひとつ)を歩きながら二年前に亡くなった同郷の友、城尾(じょうお)の事を思い出していた。彼は持久系の運動は得意だったので彼となら一緒に山を楽しめたのに、と今になって思う。彼とはよく飲んだが大人になってからは昼間、健康な遊びを一緒にしたことなかった。

そして私が山歩きをしていたその先週の土曜日一月十七日は彼の祥月命日だったのだ。直前まで覚えていたのに不覚にも当日はすっかり忘れていた。

去る者日々に疎し、という言葉はその通りであるが、それはフェイドアウトして一日一日均等に薄れてゆくようなものではなく、何かの刺激で、例えば独りで山歩きをしているときなどは今でも彼が高円寺に住んでいるような気がして、山から帰ったら電話して飲みに呼び出してやろう、と虚しくも鮮明に彼のことを思い出すのだ。亡くなる前の四ヶ月を私の家で過ごしたことが幻に思えてならない。

こうして嘆息をもらしているのだが生きている限り、人は年老いて孤独になってゆくのが摂理であるから逆らっても不自然になる。

思春期の孤独は大人になるために独りになって自分と向き合うための孤独であるが、人生の折り返しを過ぎ、自分の残りの持ち時間が少なくなってくる中高年の孤独は、自分と向き合う孤独ではなく、身の周りに起きる死を意識し始め「死」と向き合うことにより「ひとりぼっち」の真の意味やまたその独りであることの心地よさも解ってきはじめる孤独である。

若い頃と比べて「死」は身近なものになりつつあり、死に対する恐怖心も前よりはいくぶんか薄らいでいるようにも思う。と、判ったようなことを書いたが「悟り」からは遥~か、遠い所で俗にまみれて生きている。

早めに店に出て、私用の買い物に南口に行く。


山に行ってから箸を忘れているのに気づき小枝を折って現地調達することが重なったので100均ショップに行き揃えてみた。

箸+スプーン・フォークセット全部で216円也
 100均と言えども、Made in Japan の18-0ステンレスである。安物のとても軽い造りが山用としては長所となる。

ついでに間食系も調達する。起きられたら明日は山に行く予定。



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