昼は家で更科の白い蕎麦を茹で軽くすませる。
店のような器に盛り付けてあるが、古道具店というかリサイクルショップというか、そこでカミさんが安く調達してきたものだ。古道具屋というと何かしっとりとした風情で時には逸品が紛れていそうな気もするが、リサイクルショップというと途端にいけない。リサイクルショップという語感に使い古し感が漂うなあ。
外枠はおそらくメラミン製だが、よく出来ていて竹製っぽく見える。本物の竹製は使い込むにしたがい濡らした後の拭き上げや乾燥をしっかりしないと黒ずんでくるから此の方が使い勝手がよいという利点はある。
食べたものを撮すとき、見栄えなど気にせず昨年流行った(ありの~ままの~姿)でもよいのだけど、ブログに写真を載せるようになると、家で食べるにも少し考えてこういう小道具を思いつくのである。
これは格好をつけているのでも見栄を張っているのでもない。見せること、見られること、を前提にしたものである以上、匿名性の低いこのブログでは、生の実像を晒すのではなく、女性が外出時に多かれ少なかれ化粧をするのと同じで、少し体裁を整える方に意識を向けているのである。
ただし、セットはふたつしかなく、人が集まったときにはこの手は使えない。人が集まったときは皆でひとつの大皿に盛られた蕎麦をつつきあう文化満開になる。
このひとつの皿や鍋をつつく文化は時代が進んでも日本からなくなることはないだろうと思う。
雨が降りだしそうなので早めに店に出ようと思い支度をしていたら、いかん降り始めた。雨具(かっぱ)を着るのが面倒なので今のうちと思ったのだが、変更してコーヒーを淹れて本を読むことにする。
四六判の単行本のブックカバーは手提げ紙袋を切って折ったものだが、いかんせん紙が厚くちょっとごわごわする。
最近どこかの報道番組で見たが、コーヒーはブラック派が半数近いようだ。私もそうだが意外な数字だった。
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