8時起床。9時になり連休の谷間の平日で、銀行の用事をすませに武蔵境にでる。
帰ってから、朝には遅い時間だがコーヒーを飲む。今日は新聞の休刊日。
きのう図書館で借りてきた本を読む。
お腹がすいたので少し早いが稲庭風の細麺のざるうどん。
食後、『気違い部落周遊紀行』きだみのる(初出昭和22年)の読書のつづき。気違い部落とはタイトルからして強烈だが、むろん内容は、精神に病を持つ者たちが住む集落の話ではない。筆者が村に移り住んだ体験を内側から冷徹な哲学者の視点で書き著した物だ。
明晰で緻密な文章を集中して読むと頭は疲れる。読むだけで疲れるのだから、これを書くのはどれほどの経験、教養、知識、エネルギーがいるのだろう。
13時半になりいったん休憩して散歩に出る。ポツリポツリしているが小一時間なら本降りにはならないだろう。
川沿いの小径には人影がまったくない。
考え事をしながら野川からハケの階段を上り帰る。
先人が遺してくれた名著を読むとやはり刺激を受ける。ジャンルはさまざま、その著者の暮らしぶりもさまざまであるが、通底しているのは、ぶれのない「意識の高さ」である。
そういう「意識の高さ」でいうと私のような凡人は自分をかえりみて、年齢を重ねてきたので表面的な態度や物腰には出ないかもしれないが、いつのまにか、悠然とできない、椅子の座面に半分しか腰掛けていないような落ち着きのなさ、耳を立て辺りを常に覗っているげっ歯類のような生き方をしているのではないか、と自問自答してしまうのだ。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買いきて
妻としたしむ (啄木・一握の砂より)
悩ましいのお(笑)。
0 件のコメント:
コメントを投稿