井上陽水のオルゴール集のアルバムを流して
ブログの更新。リビングで朝刊とシリアル。
録画の『迷宮グルメ 異郷の駅前食堂』(録画)を観る。今回はクロアチアのシサクという街を訪ねる。
いつものヒロシが旅をする。
知っている英単語を挟んだ日本語でほとんど通じないが、全然気にしないのがいい。
観光地コースから外れた日本人がまずいない街を歩くので面白い。
何とかなるもんです(通訳がいるからね)。 |
家内が応募していた三鷹市民枠のジブリ美術館の招待券が当たっていて、今日の2時からという時間指定で、午後、雲が切れて夕方まで降りそうにないからせっかくなので行ってみた。
家内は何度か来ているみたいだが、私は初めてだ。一枚で大人、子供あわせて4人まで入場できる。
井の頭公園の一角にあり館内はもちろん撮影禁止で屋上など限定でカメラを出せる場所がある。
屋上の巨神兵 |
鉄製の巨神兵オブジェ |
一通り廻ると小雨が降り始めた。近くにある井の頭公園の有料駐車場にバイクで来ていたので早めに帰ろうということで急いだが、ラスト1kmでザンザン降りに捕まってしまった。パンチーまで濡れました(笑)。
夕方「せごどん」という大河ドラマ名の焼酎を開ける。
大河ドラマの『せごどん』はたまに観るが続けては観ていない。今日は「江戸無血開城」の回で観ることにする。ちなみに大政奉還の建白書を起草したのは、将軍徳川慶喜の信頼厚い最後の老中、備中松山藩主の板倉勝静(かつきよ)を教育した※山田方谷といわれている。
※山田方谷(やまだほうこく) 幕末近く備中松山藩(現・岡山県高梁市)は10万両の借財があり破綻していた。これを立て直すべく松山藩の財政改革を任され、僅か8年で再建し、さらに10万両の蓄財をなしたという地元では神様のように敬われている人物。維新後、その業績を知る新政府より敗軍側であるにもかかわらず再三の大蔵大臣の要請があったが、老齢であることを理由に断り続けたゆえ幕末史に名前が上がることはあまりない。
司馬遼太郎の『峠』で有名な越後の河井継之助や二松学舎の創設者三島中洲は方谷の弟子である。
で20時になってNHKに合わせたら台風24号関連で番組が飛んでいた(笑)。
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