何となくこうしようかな、と思っているのは駄目で雑用をせずに直ぐ動くべきだった。思い直して野川に行く。これはもう日課のようになったので面倒ではない。習慣化してしまうと楽になる。ブログを毎日書くという作業も似ていて習慣になると、それほど大変ではない。
楓や銀杏と違い鮮やかな紅葉や黄葉ではないケヤキ等の落葉樹の葉が枯れてゆく滋味のあるさまに古くから人々は思索のときを重ねてきた。
今日の国分寺崖線 |
崖の遊歩道を登っていて,何かの気配がして覗いてみると、猫と眼が合った。飼い猫か野良かは分からない。
国立天文台の中を通って帰る。
数え切れないギンナンと枯れ葉。こういう場面で感傷的な言い回しは串田孫一や手塚宗求などの余程の達人でないと、小っ恥ずかしい文章になるので止めておく。
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