久しぶりに新宿にでる。東口にでる階段を上がっていると誰かに見られているような気がして、そちらを何げなく見たら四名の若者がおそろいでした。
この前新宿に来たのはいつだったか思い出せない。一年ぶりのような気がする。
土曜日で人の多いこと。若い頃はこの人混みのなかが苦になったことはないが、今は苦手になった。信号が変わり人が流れ出したとき横にいた若いカップルの女性とぶつかりそうになった。連れの男の子が私を睨んだ。睨まれてもお互い様なんだけど。その眼は寛容さのない攻撃的なものだった。
都会の人混みでは親より年上かもわからない年長者に向かって若者がけんか腰の殺伐とした眼つきをすることがある。しかるべき場所では良い子なんだろうとは思う。
用件をすませたついでに東急ハンズにまわり四月始まりの卓上カレンダーとメモ帳を買う。
さて、三鷹に帰ることにする。
新宿駅はいつも慌ただしい |
時刻表といえば松本清張の『点と線』のなかで、病弱の妻、安田亮子が書いた随筆文が登場する。
「ある日、主人が帰って汽車の時刻表を忘れて行った。退屈まぎれに手にとってみた。寝たきりの私には旅行などとても縁のないものだが、意外にこれが面白かった。(中略)
時刻表には日本中の駅名がついているが、その一つ一つを読んでいると、その土地の風景までが私には想像されるのである。(中略)
所在ないときは、時刻表のどこを開けても愉しくなった。私は勝手に山陰や四国や北陸に遊んだ。
(中略)
この時刻には、各線のどの駅で汽車がすれ違っているかということまで発見するのだ。たいへんに愉しい。汽車の交差は必然だが、乗っている人のびとの空間の行動の交差は偶然である。私は、今の瞬間に、展がっているさまざまな土地の、行きずりの人生をはてしなく空想することができる。
(中略)孤独な、夢の浮遊する楽しさである」
これが物語の重要な伏線になっているのだが、私は中学生のころ、これと同じような気持ちで時刻表を見て遊んでいたことがありこの文にとても共感できるのである。
夕方になり相撲を観ながら飲む。
レモンをくし形に切る。両端を落とすとき深く切りすぎると果肉まで切ってしまい深爪のようになるので少しだけ切る。そして半割にして必要な分だけ小分けにする。残りはラップをかけ冷蔵庫へ。
ひと手間かけて芯の部分を落としてやる。
ジンをオンザロックで飲む。スモークサーモンの切り落としにこのレモンを搾る。
うま~(笑)。
主菜がないまま赤ワインに変えて飲む。早い時間から飲むと早めに撃沈する。平日ならまだ仕事をしている時間である。
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